三十三間堂から六波羅へ。京都市の旅(1)

京都市内の観光がしたくなりまして。

前回、兵庫県神戸市を散策して、平清盛(たいらのきよもり)関連の史跡をたくさん見てきたんですね。

その流れで、京都市内にある清盛公の史跡も巡ってみたくなったのですよ。

京都観光に行きましょう。

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京阪電車京橋駅前にやって参りました。

ここは京橋というぐらいで、大阪から京都に向かう旅の出発地なんですね。

京阪電車に乗って京都に向かいます。

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もう京都市内の七条(しちじょう)駅に着いてしまいました。

京橋駅から京都市内の七条駅まで、ノンストップで行ける特急電車に乗れたんですね。

あっという間でした。 

週末は、こういう特急電車の運行本数がもっと増えてくれると嬉しいですね。

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地下にある七条駅のホームから地上に出てくると、七条橋の目の前です。

川沿いに柳の木も立っていて、京都京都した良い風情です。

いかにもな京都感。

私のような田舎者はすぐ雰囲気に呑まれてしまいます。

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鴨川が流れていますな。

涼しげで。

よろしゅおまんな。

七条橋を渡って西に向かえばJR京都駅方面です。

しかし今回の私はあくまでこちら側、鴨川以東の七条駅界隈を散策して参りますよ。

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七条駅前からこのまま七条通を東に進みましてね。

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和菓子店、飲食店が軒を並べる通りを歩いて歩いて。

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七条通が、南北に通る大和大路と交わります。

その交差点に今回の目的地、蓮華王院三十三間堂があるのです。

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平安時代末期、後白河(ごしらかわ)法皇の住居であり政庁であった法住寺殿の一角に、平清盛公が蓮華王院という寺院を寄進しました。

三十三間堂はその蓮華王院の本堂だった建物です。

建物が三十三の間を持つことから三十三間堂という通称で呼ばれるようになったのですね。

この三十三間堂の建物、横に長さが120メートルあるそうです。

そして内部には、1001体もの数の観音像が祀られているのです。

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こちらは三十三間堂ではなくて、拝観受付所です。

拝観料、600円を納めて中に入れてもらいましょう。

受付を抜けて、ロッカー完備の下足場から三十三間堂内に入ります。

 

残念ながら本堂内部は撮影禁止なので、中の様子は写真ではお伝えすることがかないません。

鎌倉時代の仏師、湛慶(たんけい)の手による観音様の巨像を中心にして、その左右にそれぞれ500体ずつ、十一面千手観音が祀られています。

三十三間堂内の端から端まで、どこまでも続く観音様の群れでした。

観音様たちとは別に、彼らを守る二十八部衆と呼ばれるインド由来の神々と、風神雷神の像の勇壮な姿も拝めました。

堂内の像、いずれも国宝だということです。

圧倒される眺めでした。

天上界が存在するとしたらこういう世界だろう、と昔の人たちが想像した風景を、権力と財力によってそのまま実現してしまったような。

そんな空間でした。

 

内部での圧倒的な体験の後、本堂の外に出てきました。

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お堂の長さが伝わる写真を撮りたいのです。

ぐるりをまわってみたいと思います。

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境内には池泉庭園もあります。

もともと、後白河法皇の法住寺殿は広大な敷地を誇っていました。

その総敷地のうち六分の一を占めた蓮華王院の敷地だけでも、現在の三十三間堂敷地の何倍もあったようです。

七条駅からここまで結構歩きましたけれど、もともとは七条駅のある鴨川ぎりぎりまで蓮華王院の境内が広がっていました。

その頃は、境内に五重の塔を始め様々な建物があったとか。

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お堂の正面にきました。

お堂の通路には床机がしつらえてあって、参拝客が思い思いに休めるようになっています。

お寺の心遣いを感じます。

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境内の一角には独特の塀で仕切られた場所があります。

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太閤塀と言って、安土桃山時代豊臣秀吉によって築かれた塀なんですね。

この三十三間堂の界隈に大仏殿方広寺という寺を建てるにあたって、その境内の南門として築かれたものだそうです。

秀吉はかつての権力者だった後白河法皇の蓮華王院を取り込んでしまう形で新しい広大な寺院、方広寺を創建してしまったんですね。

その意図はうかがいしれませんが、まあ趣きがあって、いい塀ですね。

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太閤塀の際から見る三十三間堂、長さがよくわかる眺めかと思います。

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お堂の西側では、江戸時代、「通し矢」の催しが盛んに行われました。

通し矢はお堂の軒下の南端から北端まで、矢を射って届かせる競技でした。

各藩に所属する弓術家たちが、藩の名を背負って熾烈な競争を繰り広げたのです。

縁側の柱や軒には、流れ矢による損傷を防ぐために、三代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)によって鉄板が備え付けられました。

由緒あるお寺で何を物騒なことをやっているんだ、と私は思いました。

ただ現在でも、お正月にはここで通し矢にちなんだ弓道の催しが行われているそうです。

殺生を戒める仏教と、殺生の技術の極みである弓術の取り合わせに、何か言葉にできない異様な感慨を覚えます。

三十三間堂の内と外、お堂の壁を隔てて聖と俗とが共存していたのですね。

などという感想を口にしながら、参拝を終えて三十三間堂を後にしました。

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京都三十三間堂通し矢列伝 弓道の心と歴史を紐解く

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『The Shining』Stephen King

言わずと知れたアメリカの人気作家、Stephen Kingの"IT"が再び映画化されると聞きまして。

YouTubeで映画の紹介動画を見ました。

怖くて面白そうで、ぞくぞくしますね。

以前に映像化された作品を見たことがありますが、やはり面白かったのです。

今回の映画化も楽しみですね。

 

ところで私、"IT"の原作小説をまだ読んだことがなかったのです。

この機会に読んでみようと思い、アマゾンで原書を注文しました。

ですが自分の中でKing気分が盛り上がり、"IT"が届くまで我慢できず、手持ちのこの本を読み始めてしまいました。

The Shining

The Shining

 

Stephen Kingのこれも人気作品、"The Shining"です。

Stanley Kubrick監督、Jack Nicholson主演で映画化された作品を見たことがある方も多いかもしれませんね。

 

こんな内容です。

自らの不祥事により、教員の職を失ったJack Torrance。

彼は友人の紹介によりかろうじて、山岳地帯にある歴史あるホテル"The Overlook"の冬季管理人の職を得ました。

幼い息子Dannyと妻Wendyと共に始まったOverlookでの生活。

しかし、次第にいわくのあるホテルの過去が明らかになります。

三人を襲う悪意。

Jackは不運なきっかけでのすれ違いから、妻子との関係を悪化させます。

深い雪に閉ざされた空間で、一度壊れたものを直すのは不可能でした。

幼い子Dannyは、"The Shinning"を最後の頼りに、助けを求めます。

 

失ったものへの後悔、失いつつあるものへの執着と絶望。

それらの感情に押しつぶされて正気を失う人も、踏みとどまって理性を保つ人もいます。

そんな人たちの心理を丹念に描写するKingの筆致に、読者は「自分はどちら側なのか?いつまで留まっていられるのか?」と自問自答することになります。

人によっては、この作品を読みながら過去の苦い記憶に襲われるかもしれません。

著者はおそらく自身の過去をモデルにしたのであろう登場人物たちを描きながら、「我々がどちら側にも成り得た」ことを思い出させようとしているようです。

読んでいて、狂気にとらわれた作中人物のことまでも愛おしく思われてくるのは、そのためなんですね。

他人のことが、自分から切り離された他人ではなく身近に思えてくる小説です。

優れた娯楽作品として最後まで読みきってしまいますが、読後は作中人物たちの思いを追体験したことで、必ず涙を誘われます。

この稀有な読書体験。

何度となく再読してしまう魅力があります。

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The Shining

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台湾旅行二日目(8)。金峰魯肉飯を味わった後の寧夏夜市散策、古早味豆花で珍珠奶茶

淡水を観光した後、夕食をいただいて、台北に帰ってきました。

しかしなんだかまだお腹が空いています。

夕食、控えめでしたからね。

台湾って小吃(Xiǎo chī)という軽食が盛んな国なので、小腹が空いたときに食べられるものは豊富なんです。

そういえば私、台湾に来てから代表的な小吃グルメ、魯肉飯(Lǔ ròu fàn)をまだ食べていません。

いい機会ですので、魯肉飯を食べに行ってしまいましょう。

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魯肉飯の名店、金峰魯肉飯(Jīn fēng lǔ ròu fàn)にやって参りました。

お店前の通路に、行列ができています。

人気店なのですね。

お店が混んでいる時間帯だと、相席も覚悟です。

私も現地のお客さんと、同じテーブルで相席になりました。

テーブル自体はそれなりに大きさがあるので、さほど窮屈な思いをせず食事を楽しめます。

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魯肉飯を頼みましたぞ。

大中小と量が選べて、私が頼んだのは小です。

30元(約120円)でした。

細かく刻んだ豚肉とタレがご飯にまぶしてあります。

甘いタレが豚肉にしっかり染み込んで、美味です。

添えられた瓜のお漬物の塩加減は薄め、さっぱりした食感が、脂っこい魯肉飯によく合っています。

お好みで、テーブル備え付けの八角粉を振りかけていただきましょう。

より台湾料理らしい風味が楽しめます。

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煮卵も頼みましたぞ。

15元(約60円)です。

魯鴨蛋(Lǔ yā dàn)というメニュー名でした。

ただ、期待したよりも薄味でした。

台鐵便當に入っていたもの、それに素食のお店で食べたものも薄味だったので、台湾の煮卵って薄味が基本なのかもしれないですね。

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旅の間の食事で不足しがちな青野菜もこの機会にいただいてしまいます。

空心菜(Kōng xīn cài)の炒めものです。

これも大中小と量が選べて、この小で20元(約80円)でした。

油をたっぷりと使い、ピーナッツと一緒に炒めた空心菜

中が空洞になっていて、しゃきしゃきした食感が癖になります。

しっかりした味付けで、とても美味しくいただきました。

 

金峰魯肉飯で美味しい夜食をいただいた後、夜の台北の街をしばらく散策することにしました。

せっかく台北に来たので、観光夜市なんかも見たいと思ったのですね。

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歩いていると、観光夜市の案内らしいネオンサインを目にしました。

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寧夏夜市(Níng xià yè shì)という夜市なんですね。

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この道路を進んだ先に、観光夜市があるのですな。

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結構なにぎわいのようです。

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道の両側に、食べ物を売る屋台が軒を並べているのですね。

その間を散策しながら、買ったものを食べ歩きしたり、テーブルと椅子を用意してある場所で座って食べたりできるわけです。

私も夜市の中を抜けてきました。

揚げものにスイーツにドリンク類等、美味しそうな小吃が売られているのですが、どれも若干、一般の店舗で売られているものより割高に思いました。

ただ活気があって、お店を見ながら歩くのは楽しいです。

混雑の中を行くので、所持品の盗難には気をつけましょう。

 

美味しそうな食べ物類に心を動かされながら、しかし結局食指が動かず、何も買わずに夜市を抜けてきました。

当然物足りない気持ちです。

そんなところに、夜市の向こう側の道沿いで、こんなお店を発見しました。

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古早味豆花(Gǔ zǎo wèi dòu huā)という、豆花というスイーツと、ドリンク等を売るお店なんですね。

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夜市で各種スイーツ類を見てきて、甘いものが欲しくなっていた私。

見れば、ここのドリンク類は夜市のそれに比べると割安な様子。

また前を通りかかったとき、店頭に並んでいた日本人客が、「『孤独のグルメ』で出てきたお店らしい」と話しているのが聞こえたんですね。

孤独のグルメ』と言えば漫画本原作の、人気のあるテレビドラマですな。

このお店が登場してたんですね。

私も少なからずミーハー気質なので、そういう話を立ち聞いて、これはいい機会だから味わっておこう、と思ったのです。

喉が渇いていたので、お店の名物の豆花ではなくタピオカドリンクをテイクアウトすることにしました。

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持ち歩きやすい、小ぶりな袋に入れてもらえます。

珍珠奶茶(Zhēn zhū nǎi chá)というメニュー名で、わずか40元(約160円)であります。

お手頃価格でした。

珍珠奶茶って、「真珠のミルクティー」ぐらいの意味だと思います。

雅な名前ですね。

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タピオカたっぷり、タピオカドリンク。

珍珠奶茶。

底に球状のタピオカが沈むその見た目から、「バブルティー」なんていう別名でも呼ばれますね。

歩きながら飲んでしまいましょう。

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寧夏夜市の脇を通りながら、タピオカドリンクをいただきました。

太めのストローで、時々タピオカの弾力のある柔らかな実を吸い込むように、ミルクティーを飲みます。

面白い飲み物ですね。

ミルクティーの甘さとタピオカのもちもち食感に、歩きずくめの疲れも癒されました。

最近は日本の繁華街でもタピオカドリンクを売るお店が増えてきましたけれど、本場では美味しいものがお手頃価格で楽しめるので、嬉しいですね。

 

台湾の夜を満喫して、宿に戻りました。

明日は台湾で観光ができる最後の日なので、今夜はよく休息を取っておこうと思います。

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宿で同宿の人たちと談笑しながら、美味しい晩酌を楽しみました。

台湾啤酒は、やっぱり甘い味のが特に美味しい、という気持ちを確かにしました。

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手を合わせる。つわものの名残りと港町。神戸市の旅(3)

天気のいい真夏の気候が好きでして、歩くのはわりと苦になりません。

夏向き仕様に体が出来ているのですね。

高田屋嘉兵衛本店跡付近から、湊川神社に向かいます。

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阪神高速の高架沿いに東に進めば湊川神社に近いJR神戸駅まで行けるのですが、ここは一度高架下をくぐって北に出ます。

湊川神社に行く前に、北にある湊川公園という公園を経由して行こうと思ったのですよ。

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高架下をくぐる歩道橋が好きです。

いいですね。

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北へ向かって歩きます。

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湊川公園に行く前に、湊町公園の中を通って行きましょう。

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マッサージ椅子的な椅子があったので、これで疲れ気味の背中をマッサージさせていただきました。

疲れが取れたような気がします。

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湊川公園西口」という交差点に来ました。

西口と言うことはこの辺りに湊川公園があるはずなのですが…。

それらしい場所が見えません。

右手には高架が通っています。

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高架下に神戸市営地下鉄湊川公園駅があるのです。

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高架脇にこんな階段を見つけまして、ようやく気付きました。

階段を上ってみます。

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高架の上にこんな広々とした空間が広がっていました。

探していた湊川公園は、頭上にあったのですね。

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高架の下を歩いていても、なかなか気付きません。

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芝生の向こうに、私の第六感に引っかかるものを見つけました。

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武士の石像ですな。

誰の石像でしょう。

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これは当然、楠正成公の像でした。

現在の湊川公園の辺りは南北朝時代、「湊川の戦い」があった場所なのですね。

数に勝る足利尊氏の軍と果敢に戦った正成公。

しかしついには敗れて、この地で自刃されたのです。

最後まで後醍醐天皇に従い戦った正成公は「忠臣」とされ、後の時代には一種の政治的な象徴として崇敬を集めることになりました。

政治的なことはともかく、楠公さんの公平無私と言いますか、己の利益ではなく理念のために戦った生き方に私も尊敬の念を覚えます。

今はこの像、湊川公園の整備工事にともない、仮置き状態のようです。

はやく新しい居場所が定まるといいですね。

手を合わせました。

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湊川公園の下には、雰囲気のいいアーケード商店街もあります。

ところで神戸港って今年で開港150年だったんですね。

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湊川公園から湊川神社まで、東に進みます。

歩いて10分から20分ほどの距離でした。

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湊川神社の北側から来ました。

こちらが山の手で、神社の敷地は平地から昇り勾配に向かって広がっているんですね。

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ようやくここまでたどり着きました、湊川神社

想像していたよりも規模の大きな神社で、感動しました。

明治時代になってできた、比較的新しい神社です。

もともとこの地には、楠公さんの墓所だけがありました。

江戸時代になって「水戸黄門」として知られる水戸光圀(みとみつくに)公が私費で記念碑を建て、楠公さんの墓所を立派にしたのですね。

それをきっかけに庶民の信仰を集めることになり、明治時代の湊川神社建立に繋がったようです。

私も本殿にお参りした後、正成公の墓所へ伺いました。

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「大楠公墓所」とあります。

ちなみに大楠公とは正成公を指し、その嫡男の「小楠公」楠正行(くすのきまさつら)公と区別する名称です。

楠公の墓前で手を合わせました。

 

最終目的地の湊川神社楠公さんの墓所にお参りを済ませたので、帰路につきます。

ただ、まだお昼を済ませていなかったのですね。

お腹が空いています。

元町の神戸南京町に寄って、中華料理か何か食べたいですね。

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とは思ったのですが、南京町の中をひととおり歩いて、入るお店を決められなかったのです。

私は餃子を食べたい気分だったのですが、目星をつけていた餃子専門店に行列ができていたのですね。

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結局は、元町の駅近くで見つけたこのお店に入ることに。

餃子の専門店、瓢たんです。

幅の狭い、空間の限られた店内は、カウンタ席のみ。

席と席との感覚も近いです。

窮屈ではありますが、家庭的な、穏やかな雰囲気で餃子がいただけるいいお店でした。

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いただきます。

餃子一人前が370円、紹興酒が250円でした。

餃子は一人前では若干物足りません。

他のお客さんは、男性客だと二人前頼んでいる人が多いようでした。

今回私は一人前で我慢しました。

カウンタ備え付けのにんにく味噌、ラー油、お酢等をお好みで調合してタレをつくります。

紹興酒と一緒に、美味しくいただきました。

楠公さんにも、太平の世に生きて餃子を食べて欲しかったですね。

一日よく手を合わせた、神戸市の旅でした。

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手を合わせる。つわものの名残りと港町。神戸市の旅(2)

史跡にあふれた兵庫の街。

新川運河の水門を脇目に通り過ぎ、さらに歩きます。

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先の水門の近くに、こんな界隈があってですね…。

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清盛塚というそうです。

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大きな十三重の仏塔があるのです。

こちらを圧倒する迫力がありますね。

従来、この塔は清盛塚と呼ばれ、平清盛公の墓所だと考えられてきました。

大正時代、道路拡張のためにこの仏塔も十数メートル離れた位置から現在の位置に移転されたのです。

その際の調査で、この仏塔は実は墓所ではなく供養塔であるということがわかったのだそうです。

つまり、清盛公の遺骨は出てこなかったのですね。

先にお参りした能福寺の平相國廟もそうですが、平清盛公の墓所と伝わる場所は兵庫を含め各地にあって、どこに清盛公が眠っているのかは諸説あるんですね。

偉大な人物の墓所が特定できないのは残念なようでもあるし、また妄想する余地があって楽しみでもあるところです。

仏塔に手を合わせました。

 

また清盛塚のすぐ近くに、真光寺という時宗のお寺もありまして。

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時宗の開祖、一遍上人が眠られている廟所が境内にあるのです。

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鎌倉時代伊予国の豪族河野氏に生まれ、出家して諸国を巡りながら踊り念仏を広められた一遍上人

その教えは当時の武家、庶民を問わず、多くの人々の間に根ざしました。

上人はその教えに賛同する人々、主には庶民を引き連れて、日本各地を遊行したのです。

その遊行の最中、上人はこの兵庫の地で入寂されたということです。

この兵庫の地に眠られていたとは、一遍上人に関心のあった私も、知りませんでした。

これも出会いです。

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廟所にお参りして、手を合わせてきました。

お盆ということもあってか、真光寺境内にはお参りの方が多く来られていました。

 

今度は海沿いの土地を経由して、東に向かって行こうと思います。

当初の目的地であった湊川神社まで、歩いて行くわけなんです。

長い歩き旅になりそうです。

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清盛塚の向こうにある大和田橋を渡り、中之島に上陸します。

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太平洋戦争時、空襲の最中に水を求めてこの橋の下に逃げ込んだ人たちが、火に巻かれて大勢犠牲になりました。

橋脚の一部に、今でも戦火の跡が残っているそうです。

橋の向こう、中之島側の川べりに、犠牲者の慰霊碑もありました。

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橋の上から見える、大和田水門に描かれたキャラクタ「ハットン」の姿を見て、少し心を落ち着かせました。 

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また、橋の上には1995年の阪神大震災で崩れ落ちた橋脚の一部が展示されています。

渡っていて、厳粛な気持ちになる大和田橋です。

慰霊碑に向かい、遠くから手を合わせました。

気持ちが沈んできました。

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兵庫は、三宮と須磨のだいたい中ほどにある土地なのですね。

今日はいい天気です。

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道沿いにあった浄土宗のお寺、阿彌陀寺にもお参り。

境内の池の中に、平清盛公が魚の供養をするために建てた「魚の御堂」の礎石と伝わる巨石が配置されています。

この巨石、南北朝時代足利尊氏(あしかがたかうじ)がその魚の御堂で楠正成の首を改めた所以で「楠公供養石」とも伝わっているそうです。

安土桃山時代、大名の黒田長政(くろだながまさ)から兵庫の商人鷹見氏の手を経て阿彌陀寺に寄進されたということです。

…と、現地の案内板に書かれていました。

このお寺に件の石がある経緯が複雑で、こうやって自分で内容を記していても意味がわかりづらいですが、ともかくも敬愛する楠公さんの最期に関わる史跡だということでお参りしてきたのです。

巨石に手を合わせました。

 

阿彌陀寺から歩いてすぐの場所に、神戸市卸売中央市場があります。

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東京の築地市場のような場所なんですね。

ただこちらは、関係者以外場内立ち入り禁止ということで、見学はかないませんでした。

小売もしていないそうで、一般客は買い物もできないんですね。

併設の専門店街と飲食店街は一般客の利用もできるみたいです。

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ただお盆期間のせいか、その食品店街専門店街のお店も軒並み閉まってました。

そろそろお昼時が近づいてきたので、出来たらここでご飯を食べてもよかったのですが…。

まあ、神戸市内にはご飯を食べられる場所が多そうなので、焦ることもないのです。

今は空腹を押して歩いて参ります。

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中央市場のすぐ横には、海!

港の風情を味わいました。

兵庫津の跡地だけでなく、現在の兵庫港の姿も見ておきたいものです。

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脇道に入り、海側の道に向かいます。

鍛冶屋町という地名なんですね。

かつてこの周辺に鍛冶屋さんがいたことを想像させますね。

倉庫の多い界隈で、傍にはコーヒー豆業者の倉庫があって、コーヒーの素晴らしい香りが周辺に漂っています。

コーヒーが飲みたくなってしまいました。

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海側に来ました。

港と言いますか、造船所のドックが海側に設けられています。 

明治時代の神戸港開港以前からあった兵庫港神戸港の一部となり、造船業神戸港の発展を支えてきたのですね。

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造船所界隈から、海を見ることができました。

対岸の中央市場側に停泊している船を見て、ようやく港らしさを感じました。

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港湾部近く、住宅街の道沿いに、石碑が見えます。

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高田屋嘉兵衛 本店の地」だそうです。

蝦夷地(現在の北海道)での貿易と漁場の開発等で財を成した廻船業者、高田屋嘉兵衛(たかだやかへえ)はかつて、この兵庫津界隈を本拠地にしていたのですね。

淡路島出身の嘉兵衛は、若い頃に兵庫津に来て船頭となり、資金を貯めて「辰悦丸」という大型船を買い入れました。

この辰悦丸を使って兵庫津、東北、蝦夷地を結ぶ廻船業を始め、莫大な富を築いたのです。

嘉兵衛は国後島沖を航行中にロシア船に拿捕された後、ロシアへの連行と抑留の憂き目に遭い、その間に「ゴローニン事件」の解決にも一役買っています。

私も嘉兵衛のことはよく知らなくて、この記事を書くために調べてみたのですけれど、面白い人物ですね。

北海道の函館港の発展にも嘉兵衛の功績が大きかったんだったそうです。

また作家の司馬遼太郎が、嘉兵衛を主人公に『菜の花の沖』という長編小説を書いているそうで。

私も一度読んでみたくなりました。

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高田屋嘉兵衛の本店跡から、いよいよ湊川神社に近づいていきます。

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手を合わせる。つわものの名残りと港町。神戸市の旅(1)

湊川神社にお参りしたい、と常々思っていたわけなのです。

湊川神社兵庫県神戸市にあります、楠正成(くすのきまさしげ)公をお祀りした神社でありまして。

楠正成公は、南北朝時代に活躍した武将であります。

私は正成公が地盤とした大阪府南部の出身で、郷土が生んだ偉人として正成公に親近感を持っているのですね。

楠正成公、所縁のある土地土地では親しみを込めて「楠公さん」などと呼ばれもします。

楠公さんを祀る湊川神社に今までお参りしたことがなくて、何か歯がゆい気持ちがありました。

このお盆の時期に好機を見て、神戸市に出かけることにしたのです。

大阪市内からJRの列車に乗り、東海道本線を通って参ります。

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JR兵庫駅で降りて来ました。

この駅周辺の土地は神戸市兵庫区にあたるようです。

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駅前は広々。

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周辺の観光案内地図を見つけて駆け寄ります。

見ると、「兵庫大仏」とか「清盛塚」とか、気になる史跡が豊富!

ただ、今回の目標の湊川神社の所在は、どこにも書いてないんですね。

確か、湊川神社の最寄りは兵庫駅だと思ったのですが…。

兵庫駅構内に戻って、駅員の方に尋ねることにしました。

尋ねてみたところ、湊川神社の最寄り駅はJR兵庫駅ではなくひとつ手前のJR神戸駅だと言うことでした。

私の勘違いだったんですね。

ひと駅余計に乗ってしまいました。

仕方が無いので神戸駅まで行こうかな、と思うのですが。

兵庫駅まで列車に乗って来たせいで、運賃を余計に払っているんですね。

すぐまた電車で神戸駅まで行くのはもったいない、と思い直しまして。

まずは兵庫駅界隈の観光をすることにしました。

先ほど見た観光案内地図上の史跡群が、気になり始めていたのです。

私のよく知らない、兵庫の街。

歩けば発見もありそうです。

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阪神高速の高架沿いに歩いたり。

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時宗のお寺、満福寺と柳原天神社が隣り合わせています。

時宗のお寺って今まであまり見たことがなかったので、珍しく思いました。

踊り念仏の祖、一遍上人ゆかりのお寺なんですって。

境内に特に由来の解説などは無かったので、詳細はわかりません。

隣の柳原天神社の方は、かつて菅原道真(すがわらみちざね)公が太宰府に赴く途上この兵庫の港に立ち寄り、当地の梅花を見て歌を読んだことが勧請の由来のようです。

一遍上人菅原道真公、一度にいろいろ考えてしまい立ちくらみしそうになりました。

とりあえず道を進みましょう。

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神戸市内、道々にこうした観光案内地図が設けてくれてあって、嬉しいです。

今回、自分で地図等用意せずに来たので助かります。

この辺り、「兵庫津」に向かう街道の跡みたいですね。

兵庫の街は昔、兵庫津という港で栄えた土地柄のようで。

これから、港町の風情ある界隈が見られるのか?と期待してしまいます。

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少し歩くと、「兵庫大仏」が拝めるそうです。

行ってみましょう。

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大通りから横道に入り込んで、いきなり大仏様の後ろに来てしまいました。

正面にまわりましょう。

大仏様のいるお寺の正面にまわってみると。

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こんな案内が出ていました。

福原京史跡、平相國廟。

このお寺の中に、平清盛(たいらのきよもり)公の墓所があるんだそうです。

平相國というのは、清盛公の別名ですね。

平安時代末期の権力者、清盛公が遷都を強行して出来た都、福原京

兵庫の街を含む、神戸市内の一帯がその福原京の跡地だったのですね。

そう思い当たって、少し興奮してきました。

これは大仏様への参拝と共に、清盛公の墓所にもお参りしたいところです。

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天台宗の寺院である能福寺

正面から拝む、大仏様のお姿です。

手を合わせました。

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伝統日本三大仏、兵庫大佛。

案内板の説明によると、当寺の大仏は同じく大仏を保有する奈良の東大寺と鎌倉の高徳院からの公認を受けている…のだそうです。

なるほどー。

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そして、平相國廟。

平清盛公の墓所ですな。

十三重の仏塔が建っています。

手を合わせました。

 

能福寺から出てきました。

兵庫は福原京の跡地、ということを知らずにやってきましたが、こうなると色々関連の史跡を見たい気持ちです。

散策を続けます。

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能福寺から程近い新川沿いに建つ、イオンモール

どうもあのイオンモール辺りが、かつての兵庫津の跡地らしいです。

兵庫津は平清盛公の時代には、大和田泊(おおわだのとまり)と呼ばれていたようですな。

もともと奈良時代行基(ぎょうき)によって開かれた大和田泊に、清盛公が経ヶ島という人工島を造成するなど、大規模な修築を行って発展させたのですね。

この大和田泊が、清盛公による日宋貿易の基盤になったわけです。

清盛公の一門が源平合戦で滅んだ後も、兵庫津として鎌倉、室町、江戸時代を通して栄えた港だったのですね。

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イオンモールと新川を背に鎮座する清盛くんです。

何百年の長きに渡って栄えた国際貿易港の跡地に、外国文化の影響を受けた大きな商業施設が出来ているのは、自然な流れと言いますか。

今も昔も変わらぬ人々の旺盛な消費欲求を裏付けるようで。

大和田泊、兵庫津健在!の思いを確かにしました。

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もともと瀬戸内海の西側から兵庫津に寄港するには、兵庫津の西南に伸びる和田岬の沿岸を航行する必要があったそうなのですね。

ところが和田岬沿岸は波風がつよく危険な場所だったそうです。

明治時代に入り、まず和田岬の北方に船の迂回、避難のために新川運河が開削されました。

その後、兵庫運河、藻刈島運河、新湊川運河が開削され、和田岬の付け根部分を横切る形で四つの運河から成る総称「兵庫運河」が開通したのですね。

これにより船は海が荒れている際には和田岬沿岸を通ることなく、この兵庫運河を通り兵庫津を経由して瀬戸内海を行き来できるようになりました。

今、私の目の前に流れている新川運河は、兵庫運河の北側の部分に当たります。

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新川運河沿いにこんな史跡もあります。

兵庫城跡ですな。

戦国時代、摂津国(現在の大阪府北西部から兵庫県南東部にかけて存在した国)の土豪織田信長の配下だった荒木村重(あらきむらしげ)が、信長に反旗を翻しました。

この村重の反乱鎮圧に功のあった武将、池田恒興(いけだつねおき)は兵庫の地を与えられ、ここに兵庫城を築いたのですね。

恒興は、荒木村重の城で同じく現在の神戸市内にあった花隈城を解体して、兵庫城の建築に使用したんだそうです。

明治時代に入る直前、この城跡に新政府によって最初の兵庫県庁が建てられました。

この最初の兵庫県庁の移転後、新川の開削など諸々のことで周囲の地形も変わり、兵庫城の名残りは今や全く見られません。

兵庫城があった時代にはまだ新川運河は無かったわけですが、それでもすぐ北を山陽道が通り、兵庫津も至近距離にありました。

物流の拠点に位置する城だったのでしょうね。

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今でも周囲にイオンモール、各種倉庫等が見られます。

もしかしたら、中世から現代に至るまで、こうした風景はそれほど変わっていないのかもしれません。

武士の時代にも、倉庫などが兵庫津の周囲に立ち並んでいたのかも。

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新川運河の南北には、それぞれ水門が設けられています。

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台湾旅行二日目(7)。紅毛城と八里の遠望。夕食は淡水名物

素敵な淡水の街。

これから高台にある紅毛城(Hóng máo chéng)を見学して参ります。

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最初にスペインによってサン・ドミンゴ要塞として建造された、紅毛城。

紅々しい外壁が綺麗なお城でした。

スペインからオランダ、明、清、イギリス、と時代によってその所有国はめまぐるしく代わってきています。

領事館として使用していたイギリスから台湾政府に返還されたのはごく最近、1980年のことだそうです。

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あの紅々した綺麗な外壁も、2メートル近い厚さがあるそうで。

海側から砲撃を受けることを想定して補強されているんですね。

 

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敷地内にはイギリス式庭園と、イギリス領事館の建物が残っていて素敵です。

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領事館の中を窓からこっそりのぞいたりといったこともできます。

前に神戸の異人館でも同じことをやった記憶が…。

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この砲台群は、イギリス領事館時代のコレクションらしいです。

どういう意図で集められたのかはわかりませんが、要塞の雰囲気は出ていますね。

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何気ない領事館のたたずまいですけれど、各国が取り合ってきた防衛の要を抑えているです。

ここで業務にあたる領事さんの誇りも高かったでしょう。

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敷地から淡水河向こうの観音山が拝めます。

あちら側に行きたいな、と私は思いました。

紅毛城の敷地から坂道を降り、河沿いの環河道路に向かいます。

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淡水海關碼頭(Dàn shuǐ hǎi guān mǎ tóu)です。

観光地化された埠頭なんですね。

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以前に北九州の小倉でこんな風景を見たような。

ぼんやりと思い出しました。

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埠頭から、観音山とその山麓の八里(Bā lǐ)の街がよく見えます。

近年旅した鹿児島の、桜島の威容を思い出しました。

日本の旅を思い出してばかりです。

しかし観音山の立地は桜島を彷彿させますね、本当に。

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散策路沿いに、雰囲気のいいカフェなどもいくつか。

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八里行きの渡し場が見えてきました。

日本の東海道には「七里の渡し」って名所がありますが、こちらは「八里の渡し」ですな。

距離の単位としての一里は約4キロで、七里の渡しは約28キロを移動するもの。

八里は32キロ…。

淡水河の幅が32キロあるはずもないので、「八里までの渡し」と言った方が正確ですな。 

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渡し舟のフェリー来てますね。

私も乗ってやろう、と思うのですね。

八里に渡りたくて。

しかしチケット売り場に近づいたら、そこに立っていたおじさんたちに止められました。

どうも、「次の便で八里に渡ったら、帰りの便が無い」ということみたいです。

八里には夜市があるので、遅くまで往復の便があるのかと思っていたのですが。

最終便は夕方なんですね。

八里側に泊まる予定ではないので、残念ですが渡し舟に乗るわけにはいきません。

がっかりしました。

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未練がましく、まだ八里側の観音山を眺めています。

それにしても、本当に桜島

しばらく見ていたい、素晴らしい眺望です。

 

名残惜しいので、淡水老街をしばらく散策して夕食を食べてから帰りたいと思います。

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お土産にこれを買いました。

淡水の名物、鐵蛋(Tiě dàn)です。

鐵蛋って「鉄の卵」って意味ですね。

淡水は鉄道の街だから汽車の中で食べる卵ってことなのかな?と私は思ったんですね。

でもこの鐵蛋、持って帰って帰国後に食べたんですけれど、そうしたら「鉄」の意味がわかりました。

表面が、とても固いんです。

醤油と香辛料等でしっかり味付けした、煮卵なんですね。

表面はとても固くて弾力もあり、歯応えしっかり。

中の黄身部分は柔らかくなっています。

美味しくいただけました。

お酒の肴にもぴったりの一品であります。

ウズラの卵でつくった小サイズの鐵蛋、また各サイズの唐辛子味鐵蛋もありまして、いずれも美味でした。

 

ところで淡水の名物というと、もう一品あるんですね。

老街の中の飲食店街に、その名物を出すお店を見つけました。

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楊鱻魚丸湯阿給店、長い店名ですね。

ところで「鱻」って見慣れない漢字、日本の音読みでセン、中国語ではXiānって発音になるらしいです。

それはともかく、上記の店名にある「阿給(Ā gěi)」っていうのが淡水の名物なんですね。

このお店でご飯にしましょう。

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阿給が40元(約160円)、淡水魚丸湯(Dàn shuǐ yú wán tāng)が同じく40元。

この二つを注文しました。 

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魚丸湯と阿給。

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魚丸湯は魚介のだしが効いたスープに、魚肉を練ったお団子が入っています。

お団子はふわふわ食感。

温かくて、しみじみと美味しく、元気が出そうな味でした。

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阿給、要は日本のお揚げなんですね。

たっぷりの春雨を、揚げで包んでありました。

梅肉のソースでいただきます。

酸味の利いた梅味で、これは魚丸湯とよく合います。

こちらも美味しくいただきました。

このお店は店の奥に炊飯器とスープ鍋が用意されていて、セルフサービスでご飯とスープが自由にいただけるようになっています。

店員さんも気さくで、いい雰囲気のお店でした。

 

お店を出た後、老街を歩いて淡水車站まで戻り、台北までMRT(地下鉄)の列車に乗って帰りました。

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