上海旅行三日目。川沙公園散策。浦東国際空港の永和大王で朝食。ありがとうございました
川沙村で一晩過ごしました。
今日はお昼の便で帰りますので、もう朝から空港に向かいます。
ただ少し名残り惜しいので、寄り道しながら駅まで歩きます。
朝の川沙の風景です。
川沙公園は朝早くからにぎわっているようであります。
私も中に入ってみます。
公園入口近くで、ラジオで大音響の音楽を流しながら太極拳を行う人たちがいます。
上海の公園に集まる中高年には大音響の音楽が付き物になっています。
整備中で封鎖されて渡れませんが、えらく立派な橋です。
観光名所になってもいいぐらいの美しさです。
大阪の住吉大社を連想しました。
風光明媚でわりといい公園でした。
何気ない街中の公園も中国式庭園のつくりにあつらえてあって、やはり中国ですね。
上海の余韻を味わうように散策しました。
あとは帰るだけです。
川沙から浦東国際空港まで、さして移動時間はかかりません。
心配性なので、チェックイン予定時間より二時間ばかりも前に空港に来てしまいました。
早すぎました。
これだったらもう少し川沙でゆっくりしてきたらよかったかもしれません。
せっかくなので空港でゆっくりしましょう。
永和大王で朝食にします。
ファーストフード店らしいですね。
台湾に似たような名前のお店があったような…と思いながら入店しました。
カウンターの従業員の話す中国語が、若干台湾人っぽいような気がしました。
しかし後で調べたところ、永和大王は上海発祥のチェーン店だということです。
中国文化圏の朝食らしい、豆乳と油條のセットです。
18元(約300円)でした。
あと黒米でこしらえたブリトー的な食べ物もついています。
味のしない油條。
表面さくさく、しかし全体的にはふわふわ食感です。
専用のこってり味ソースをつけていただきます。
黑米饭团なるこの食べ物。
黒米と各種の雑穀を固めた内側に、炒り卵と、揚げて味付けした細かな油條が入っています。
黒米には塩気が無いのですが、中の油條がさくさく食感でしっかり味付けで、美味しくいただけました。
黒米と雑穀も健康によさそうで、気に入りました。
暖かくてほのかに甘い豆乳を飲み、ひと息つきます。
中国文化圏では朝食に豆乳と油條が定番。
日本には中華料理店は多数あれど、この定番朝食にはあまりお目にかかれないですよね。
豆乳自体があまり身近でないといいますか…。
豆乳を日本でも気軽に飲みたいですね。
朝食を済ませて、うろうろ。
空港内にも清真餐庁なる清真料理のお店があります。
中国のイスラム料理、ハラル料理ですね。
このお店でも蘭州拉麺が食べられるかもですね。
空港内の土産物店で買い物したり、書店で中国語書籍を買ったりして時間をつぶしました。
しかし余裕を持ってチェックインを済ませたものの、便の出発が遅れに遅れ、二時間ほど待っての出発でした。
遅れの原因等の説明は一切無く、謎なのでした。
帰りの便では随分待たされましたが、接客等は悪くもなく、わりと使いやすいと感じたLCC、春秋航空のフライトでした。
利用者は中国人客が多いので、機内でも中国気分が満喫できると思います。
二泊三日、楽しい上海旅行でした。
お付き合いありがとうございました。
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上海旅行二日目(8)。人民広場から上海書城を経て渡しフェリー渡航。川沙で深酒の夜
上海に来て、観光できそうなところはだいたい見て回ったかな…という気持ちになりました。
人の多い中を歩き回り、商店の日本よりシビアな接客対応にも遭い、旅行二日目の午後にしてもう疲れが出てきています。
少し早いですが、今日の宿方面にもう向かって歩いていきます。
ただ道すがらで観光と買い物もできればいいですね。
徐家匯から電車に乗って人民広場の近くに来ました。
人民広場のある人民公園、有名な公園なのですが、外から見た限りでも大勢の人が公園内部にあふれていて、中に入れそうには見えませんでした。
公園内で何か催し物でも行われていたのかもしれませんが、私はわざわざ中に入って確認してくる気持ちを欠いていたのでした。
通り過ぎましょう。
書店の多い福州路沿いに歩き、上海書城にやって参りました。
日本でいうところの丸善ジュンク堂のような…総合書店ビルなのですな。
外国に来て、こういう書店ビルをのぞくのは楽しみです。
上海書城の中を下の階から上の階までひととおり見て、出てきました。
豊富な書籍に日本の店舗と遜色ないディスプレイ、お洒落な内装と、よかったのです。
ただ書棚と書棚の間の狭い通路のそこかしこに座り込んで座り読みに及ぶ読書客が多く、物珍しい光景でした。
他の客の通行の妨げになることをものともせず読書に耽る様は、同じく読書家を自認する身として、胸に迫るものがありました。
彼らぐらい、公共の場でもなりふりかまわず読書に夢中になりたいものです。
そう思いながら買う本を選び損ね、空手のままです。
上海書城で何冊か中国語書籍を買うつもりだったのですが、これというものが見つけられなかったのですね。
店内に魯迅の短編小説集がなかったのは意外でした。
お土産の中国語書籍は、都合が合えば帰りに空港内の書店で買うことにします。
今夜は浦東国際空港近くの川沙という村に宿泊する予定なので、再び外灘から黄浦江を越えていくのです。
しかし外灘に向かう道筋が大変な混雑でした。
途中、警察だか軍隊だか、制服の恐ろしげな人たちが交通規制で歩道を封鎖してしまう一幕もありました。
迂回を余儀なくされました。
混雑の最中、視線を上げると、沿道の軒の上を猫たちがうろうろしているのが見えます。
ままならずのろのろと歩いている大量の人間たちを、上から目線で眺めているのでした。
上と下とで空気の流れが違います。
にぎやかさでは下の道が勝ります。
ようやく外灘に来ました。
レトロビル群は、これから夜に向けてライトアップされるのですね。
夜まで待てば綺麗な夜景が拝めそうですが、早めに宿についておきたいので、ここに長居せずに浦東新区側に渡ります。
行きは観光隧道を通って来ましたが、帰りは渡しのフェリーに乗って向こう側に行きましょう。
香港旅行の際に何度も乗ったスターフェリーのような体験を期待しています。
チケット売り場で若干2元(約33円)を払い、コイン状のトークンをもらいます。
改札にトークンを通し、乗船口へ。
しかしこの乗客の多さ。
街が人であふれている以上、当然の結果でした。
この先の厳しい乗船体験が予想されます。
なかなか可愛らしいデザインの渡しフェリーがやってきました。
しかし待っている乗客の数からすると、中は詰め詰めになりましょう。
接岸して、皆がフェリー内に乗り込みます。
その後、乗り込んだ乗客たちは我先にと船内の階段に走って二階席を目指しました。
いい風景を、皆見たいのですね。
それにしても小さな子供の手を引っ張り引きずるようにして階段へと駆ける勢いのお母さんまでいて。
中国の人たちには、誰かが行動を起こすと皆が刺激されて一方向に殺到するような性質があるようで、私もその都度流れに乗りながら内心、怖いなと思うのでした。
上海での公共のマナー等は日本で予想していたよりもはるかに良かっただけに、群集心理で流れができる一面を見せ付けられると、複雑な思いになります。
ともあれ私も二階席に走りました。
皆と同じで、いい景色が見たかったのですね。
二階デッキから。
まあ外灘の遊歩道から眺めるのとさして変わらない景色でした。
あまりに乗客が多くて、クルーズを楽しむ風情もなく。
香港のスターフェリー渡航のようにはいきませんね。
ただ、今回の旅もそろそろ終わりだという寂しさを感じながら、迫る浦東新区のビル群を眺めています。
短く人口密度の高い船旅でした。
接岸です。
渡しフェリーの浦東新区側乗り場です。
皆が出てきます。
ここから陆家嘴站に行って地下鉄に乗るのですが、駅はここからずいぶん北にあるようなのです。
歩かないといけません。
歩いている最中に周囲が暗くなり始め、私は道に迷ってしまいました。
なんとなく人の流れに乗っていたはずが、いつの間にか人がまばらになり、高級マンションらしい建物が立つ界隈へ。
街灯の明かりも頼りなく、焦りました。
東方明珠塔を見つけてひと安心できました。
あの根元に駅があるわけですので。
これで見納めです。
ありがとう、世界の観光地、上海。
日本のすぐ近所とは思えない、濃い異文化でした。
陆家嘴站から鉄道2号線で川沙站までしばしの乗車です。
川沙站から今晩の宿に向かいます。
村というわりには駅前から大通り沿いに飲食店などが並ぶ、結構賑やかな開発具合です。
駅から離れた繁華街の中にある、ゲストハウスに一泊。
ただ通されたのは、フロアからいったん出た階段ホール内にある部屋でした…。
もとは何の部屋だったのか、想像がふくらみます。
こんなところで一晩過ごすのも面白いですが、寝台しかないドミトリー部屋で居辛いので、いったん外に買い物へ。
おやつとお酒等を買ってきて、ロビーで就寝まで時間をつぶすことにします。
テーブルの周囲を囲む長いすの端に腰掛けました。
初めて飲みます、哈爾浜啤酒(ハルビンビール)。
ラベルのまったり白熊イラストがいい味出してます。
口当たりのいいビールでした。
ロビーにいるのは、中国人の泊り客ばかり。
こういうゲストハウスでは客同士で雑談するのが常なのですが、どうも前夜泊まったゲストハウスもこのゲストハウスも、客同士で積極的に雑談する雰囲気でありません。
中国人の泊り客たちは、どうも外国人に関心が薄いように見受けられました。
中国人客同士では時々会話していますが、私の他にいた欧米人客が一人、寂しげに独り言を洩らしながら宿の従業員と話して場をごまかしつつ過ごしていました。
誰も彼に構いません。
私も同じように孤立して、ひとり酒です。
見かねたのか隣の席にいた人が英語で話しかけてくれました。
遼寧省というと、日本とも縁の深い港湾都市、大連が代表的です。
会話はあまり弾みませんでした。
中国人客たちは皆英語が上手に話せるのですが、積極的には話したくない様子。
もし私が中国語を話せるならば、雑談も盛り上がった、かもしれません。
間が持たないので、フロントで青島啤酒(チンタオビール)を買って飲み続けます。
これが確か7元(約117円)とかそんなもので、後から考えましたがとても安いです。
青島啤酒自体は、香港旅行の際にヴィクトリア・ピークの山頂でいただいた過去があります。
こちらも少々苦味が勝りますが、美味しいビールでした。
中国人客たちがパソコンを触るなどして思い思いに過ごしている傍らで、一人酔いつぶれていると、何か不思議と寂しくないのでした。
上海を旅していてときどき感じたのですが、雑踏などで中国人の集団の中に混じっていると、何か不思議と居場所を与えられるような、変な居心地のよさを感じるのです。
特に何か話しかけられたりするというわけでもないのですが。
他人と他人との距離が近いせいなのかもしれません。
日本に帰属する日本人の私が、そしらぬ顔をして混じるわけですが…。
他人は他人としながら排除しない空気があって。
人があまりに多すぎたり、空気が悪かったり、商店の接客姿勢が厳しかったりしても、「上海は妙に居心地がいい」と感じた所以でした。
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『手間のかかる長旅(104) 六人は如意輪寺口で降りた』
路線バスは山道に入った。
時子(ときこ)は先日アリスと来て知っている。
間もなく、山中のバス停に着くのだ。
「間もなく如意輪寺口。間もなく如意輪寺口です。お降りのお客様は降車ボタンを押してください」
アナウンス声にうながされて、時子は降車ボタンを押そうと思った。
通路を挟んだ席のアリスが、こちらを見ている。
時子は窓枠についた降車ボタンまで人差し指を伸ばした。
「あっ」
時子の指先が触れる前に、降車ボタンは点灯している。
呼び鈴を思わせる電子音が鳴り響いた。
誰かに先に押された、と時子は思った。
アリスはボタンを押さずにこちらを見ていたから、彼女ではない。
他の仲間たちはこの如意輪寺口で降りるかどうか確証がないはずだから、時子に先んじてボタンを押すとは考えられない。
彼女たちの前方に座っている、他の参拝客の誰かが押したのだ。
週末の午前中、如意輪寺に参拝する中高年の女性ばかりが多く乗っている。
中には法事等で馴染みの人もいるのだろう。
そんな人たちは、バスの乗り降りも手馴れている。
私が押したかったのに、と時子は思った。
人に先んじて降車ボタンを押し、自分は如意輪寺に行ったことがあるからここで降りることを知っている、という優越感を味わいたかった。
時子の顔に、失望の色が明らかだったらしい。
こちらを見るアリスが、苦笑いしていた。
降りる乗客の最後に時子たち一行は付いて降りた。
料金箱に料金を落としながらそれぞれ礼を言って降りる彼女たちに、女性運転手は丁寧に応じている。
東優児(ひがしゆうじ)の女性的な響きの男声にも、ヨンミの外国の言葉にも、女性運転手はそつなく挨拶を返して動じなかった。
全ての乗客を降ろして、バスは山道の向こうに走り去った。
バス停の標識が立つ山道の脇に、一行は集まっている。
彼女たちを置いて、他の参拝客たちは次々と如意輪寺へ山道を歩き始めていた。
「なんかこういう山の空気吸うの、いつ以来だろうか」
美々子(みみこ)は言葉を漏らした。
バスに乗っていたときより表情がすがすがしい。
ヨンミと優児の腕を両脇に取って、二人の間に挟まっている。
「綺麗な空気ね。こんなところが近くにあったのね」
優児は静かに応じた。
「ねー、いごすんちょあよ」
ヨンミも機嫌よく応じた。
「あなたたち仲いいね」
三人を指して町子(まちこ)はそう評した。
町子は落ち着いている、と時子は思う。
初めての場所に来るとき、自分の場合はもっと心が乱れている。
先日、夕暮れ時のこの場所に、アリスと二人で来たときの気持ちを思い出した。
少し離れたところに立って、アリスはこちらに横顔を見せている。
彼女は山道の先の、如意輪寺のことを考えているのに違いない。
上海旅行二日目(7)。旧フランス租界の跡地、徐家匯。徐光啓と天主教堂、真功夫のご飯
七宝老街から再び地下鉄9号線で上海市街地中心部に戻ります。
旧フランス租界の跡を見ておきたく思います。
9号線の徐家匯站で降りました。
この徐家匯の周辺が、かつて租界のあった土地だということです。
徐家匯站15番出口の前に、太平洋百貨。
台湾の新竹で見た太平洋SOGOと関係があるのでは、と疑いました。
後で調べたところ、同じ企業グループに属しているということでした。
新竹の店舗とは親戚筋にあるわけですね。
中には入りません。
大通り沿いにあるショッピングモール、美羅城(Metro City)の建築が目を引きます。
近くまで行くのが大変そうなので、遠くから眺めるだけにしました。
この広場の付近で、日本人らしい観光客を見かけました。
日本の人って、たたずまいが中国の人と違いますね、やっぱり。
私も自分では上海の街に馴染んでいるつもりでも、端から見ると浮いているのかもしれません。
旧租界を思わせる西洋建築は見られるのですが、大通りが走るこの界隈に横断歩道は少なく、気になる場所に行ってみるにもひと苦労です。
歩いていてもどかしい思いにさせられました。
遠回り遠回りを強いられます。
コロニアル様式というのでしょうか、各階に窓辺にテラスのある建築です。
図書館の施設でした。
上海の街中でよく見られる香港上海銀行(HSBC)です、ここ徐家匯にもありました。
香港上海銀行の支店は日本にもあって、大阪市内だと中之島に店舗があるそうです。
中国の郵便ポストは緑色です。
道が広くてショッピングモール他、沿道にも飲食店等が多くて。
この徐家匯辺りに泊まって、夜はご飯の美味しいお店を探したり買い物したりすると楽しそうです。
もう少し短い間隔で横断歩道があればなおよしでした。
街中に、緑豊かな区画があります。
公園ですね。
徐家匯の街の名の由来になった、徐光啓にちなんだ光啓公園です。
徐光啓は明代末期の人物で、キリスト教に帰依した科学者でした。
1562年の生まれで1633年に没しています。
日本でいうところの安土桃山時代から江戸時代初期に生きた人物だということですね。
ちなみに日本だと徐光啓と同じ1562年生まれでは、大名の加藤清正(かとうきよまさ)がいます。
魯迅公園でも思いましたが、市民の憩いの場である公園内に偉人の墓所があるというのは、不思議な感覚です。
夜中に来るのは何となく、怖いかもしれませんね。
徐光啓はイエズス会の宣教師であったマテオ・リッチ(利瑪竇)に師事し、リッチの口述を翻訳した他、広い分野で著作を刊行しています。
天文学等、西洋の学問に広く通じた人物でした。
光啓公園のすぐ近くに、徐家匯天主教堂があります。
この地域のランドマークと言っていい場所です。
上海最大の天主教(カトリック)教会だそうです。
行ってみましょう。
教会敷地の入口に教会関係者が立っていて、入ろうとすると「左手の案内所でチケットもらってきて」と言われます。
この左手をしばらく進んだところにある観光案内所内の窓口で、チケットを入手するのです。
案内所の方にチケットを頼むと、"It's free."と無料で渡してくれて、拍子抜けしました。
見学料金がかかるものとばかり思いました。
教会の前に戻り、このもらってきたチケットを見せて敷地内に入れてもらえます。
わざわざ無料のチケットをもらってきて見せる意味は何なのだろうか、と思いました。
綺麗な赤レンガ造りの外観、装飾も美しいです。
この土地に教会が開かれたのは1851年、現在の天主教堂が建てられたのは1910年ということです。
キリスト教徒だった徐光啓が生きた時代よりも後に、教会が遅れて出来たのですね。
光啓公園とこの天主教堂が至近の場所にあるのは偶然なのか必然なのか。
どうなのでしょう。
わかりません。
天主教堂内の聖堂に入ると、奥行きが有り、頭上のステンドグラスから光が差し込む空間でした。
神父様が説教の最中だったので、他の見学客と共にしばらく私も長椅子に座って宗教的空間に浸りました。
中国語の説教の内容はわかりませんので、早々に聖堂を退出しました。
天主教堂の側面に廻りこみます。
やはり美しい建築であると思います。
ところで私の帰り際、敷地入口のところで入場しようとした観光客の若い女性が一人、教会関係者に止められていまして。
彼女は係員から叱責を受けているような様子で、必死に抗弁していましたが最後まで入場を許されませんでした。
どうも彼女が大腿の上部まで露出するホットパンツを穿いていたので、礼拝にはそぐわない服装と判断されたようです。
怒鳴られていて、少し気の毒でした。
というのは、教会敷地内にはミニスカートの若い女性観光客たちがすでに何人も入っていたのです。
確かにホットパンツはミニスカートより丈はさらに短いとは言え、露出度はほとんど変わらないのでは…と私は思ったのでした。
天主教視点では、ミニスカートとホットパンツとの間に、入場を拒むべき見えない基準があるのでしょう。
見えない基準を理由にせっかくの美しい聖堂の見学ができないなんて。
気の毒だな、と思いながら私は駅方面に戻っています。
お昼を食べていないので、少しお腹が減っているんですね。
台湾資本のドリンク店、50嵐が徐家匯にもありました。
台湾旅行の際に入り損ねているので、気になりますね。
でも今はドリンクよりもご飯の気分です。
素通りしました。
真功夫のお店が50嵐の近くにあるのです。
前に香港だったか台湾だったか、どこかでこの真功夫のお店を見た覚えがあります。
ブルース・リーをロゴに使ったデザイン、いいですね。
何を提供するお店か知りませんが、飲食店であることは確かです。
入店しました。
マクドナルドのような内装の、中華料理のファーストフードチェーンでした。
本場中国で、ファーストフード化された中国料理を食べてみるのも面白いかもしれません。
店員にメモ帳を使った筆談を駆使して注文の末、料理が運ばれてきました。
「香汁排骨飯」、20.50元(約349.59円)でした。
ご飯は日本のお米とほとんど同じですが、粘りが少なく食べやすいです。
ただ出されたばかりなのに少し冷めていました…。
しかしこの、熱々で脂ぎったスペアリブ煮込みのスープがとても美味であります。
しっかりした味付けで、味のよく染みた骨付き肉がたくさん入っています。
食べて元気が出そうです。
おそらくこの熱いスープをご飯にかけて食べることを想定して、ご飯はぬるめ温度で提供しているのだと思うのですね。
ただ何となくこのスープとお肉を白いご飯にかけてしまうことに私は抵抗があって。
別々に食べてしまいました。
疲れていたせいか、自分でも変なこだわりを発揮してしまったのでした。
やはりスープとお肉をご飯にまぶして、一緒に食べた方がより楽しめると思います。
ともあれ美味しくいただきました。
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上海旅行二日目(6)。上海中心部至近の水郷、七宝老街。七宝教寺にお参り
上海近郊には、水郷(水郷古鎮)と呼ばれる水路を取り込んだ集落がいくつかあるのですね。
その水郷の中でも「七宝老街(七宝古鎮)」は上海市街中心部から地下鉄9号線に乗って行けるということで、観光客の人気も高いとか。
そうガイド本に載っています。
手軽に行けるのはいいですね。
ということで、私もその七宝老街に向かいます。
水郷とか海辺の街とか、私の趣味に合います。
いくつかの路線を乗り継いで、地下鉄9号線の七宝站です。
駅出口から出て参りました。
ここは水郷…という雰囲気ではなく、都会都会してます。
地下鉄駅の上に駅ビルあり、道路向かいにショッピングモールあり。
本当に水郷なんてあるのか?と怪しみました。
この方向に進めばいいそうです。
歩きます。
自動車の通行量が多く空気が悪いので、マスクも装着しました。
しばらく歩くと、町屋が密集する道の狭い区域に入ります。
水郷、七宝老街に着いたようですな。
観光地観光地してますね。
ある程度、予想したことではありました。
門から直接入るのでなしに、なぜか狭く仕切られた通路を通って入場させるスタイルになっております。
七宝老街内への観光客の入場速度を調節する意図なのでしょうか。
細い路地の両脇に伝統家屋を利用した各種土産物店が並ぶ七宝老街です。
えらい人出です。
殺人的と言ってもいいですな。
日差しも厳しい折でした。
まだ水郷の片鱗は見えませんね。
向こうの方に橋らしい人混みの盛り上がりを見て取りました。
橋があるということは、水路でありましょう。
人混みに混じりながら、橋の上へ。
橋の西側です。
遠景で水路の両岸に高い建物が並んでいるので、あんまり「水郷古鎮!」って感じでもないですな。
これはこれでいい眺めではあります。
橋の東側は高い建物もなく水郷水郷してる…のですが前にいる人の頭が写り込んでしまいました。
橋の上を通る人が多いので、いつまでも写真を撮っていたら他の人の迷惑になります。
慌てて撮っています。
橋の向こうの路地はよりいっそう激しい人混みでした。
躊躇しました。
この先を進めば確実に心身を消耗します。
迂回します。
人通りの穏やかな裏路地を通り抜けて、七宝教寺という寺院に向かいます。
途中、このお店がありました。
沙県小吃です。
軽食の、チェーン店的なブランドなのですね。
福建省にある沙県の出身者たちが、沙県政府から飲食店経営の技術指導等の開業支援を受けて、中国全土に広がって店舗を増やしてきた経緯があるのです。
そんなわけで、中国全土で見られるお店です。
正確にはチェーン店ではなく、沙県政府が「沙県小吃」の商標を管理していて。
経営の独立した各店舗の経営者に、少額の登録料と引き換えに店名のブランドを貸している形態であります。
かなりのお手頃価格で食事ができる庶民的なお店だということで、私も上海に来たら入店しようと目論んでいたのでした。
どこにでもお店があるはずなのに、上海の市街地中心部ではなかなか見つかりません。
ようやく七宝老街でお目にかかれました。
それはいいのですが、ちょうどお昼どきで、狭い店内はお客で満席です。
店の前にも立って順番を待ちながら、煙草をふかしている男性がいるぐらいです。
炎天下の人混みを抜けてへたっている私は、ここにきて入店をためらいました。
ためらった挙句、店の前を通り過ぎてしまいました。
満席の店内に入って店員さんに食べたい料理を筆談等で伝える手間を想像すると、「気になるお店だけど、今はいいかな」と思ったのでした。
いずれ昼食はどこかで食べたいです。
沙県小吃の店舗にまた出会えるかどうかはわかりませんが…。
水路の奥行きに目をこらしました。
水路を迂回した末に七宝教寺にたどり着きました。
ところでこの門をくぐった先の守衛室の陰に、年輩の男性が座禅を組む形で座り込んでいて。
念仏のようなものを唱えながら、参拝客に向かって深々とお辞儀を繰り返していました。
物乞いというよりは何らかの修行に没頭する行者のような…。
お寺の関係者でもなさそうでしたが、お寺とはどういう関係の人なのだろうか、などと考えながら山門に向かいます。
山門の入口はふさがっていて、脇の仏具販売所の内部を通って境内に入ります。
入場無料でした。
七宝老街という街の名前は、七宝教寺が由来になっているのだそうです。
建物自体は最近の建築と見えました。
ただ、お寺自体の建立は1000年以上前だということです。
本殿の御本尊を拝んできました。
七重の七宝塔が立っています。
この塔も龍華寺の龍華塔と同じく、微妙に傾いているように見えます。
そういう建築様式なのかもしれませんね。
ガイド本によるとこの七宝塔は2002年建立だそうです。
日本の寺院では仏塔として、五重の五重塔、二重の多宝塔などが一般的ですね。
もともと仏教の経典の中に出てくる「七宝塔」がそうした仏塔の起源であるようなので、この七宝教寺の七宝塔は仏塔の原典の姿をよりよく再現しているのかな、と思います。
ところで境内に、説明らしいものもなく妙な像が立っていました。
神代に文明を創り上げた神様…でしょうか。
杖の先で北斗七星?らしき軌跡を描いているようです。
ただ仏教寺院の境内に、道教の神様がいるものでしょうか?
神が文様を描く杖の先を、母豚が気迫のある顔立ちで見守っています。
北斗七星と子連れの豚が象徴するものが何なのか、気になりました。
七宝教寺で参拝を済ませた後、混雑を避けて迂回歩きしながら七宝站に戻ります。
これで見納めだと思い、しみじみと水路を眺めます。
以前にもこれに似た風景を、見た記憶がありました。
大阪の堺市で、かつて環濠都市だった名残りのある界隈を歩きました。
七宝古鎮とは規模も風情も違いますけれど。
もしかしたら、街の性格は似ていたかもしれませんね。
水運を活かして運ばれて来る品々の、集積地になるのです。
水門の上が橋になっていて、渡れるようになっているのは合理的でした。
水路沿岸に、生活感ある住宅が並びます。
水郷と呼ぶにふさわしい風景でした。
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上海旅行二日目(5)。虹口足球場から龍華寺へ。龍華寺は三国時代の寺院
朝食の後、観光を続けます。
魯迅公園周辺をひと通り巡りましたので、これからは上海の他の観光地も見ていくことにしましょう。
電車に乗って行きましょう。
魯迅公園の虹口足球場に隣接する、虹口足球場站の駅舎を目指します。
高架の上に線路が通っているんですね。
駅舎に行くには、いったん虹口足球場側で階段を上って、連絡通路を渡った方がよさそうです。
また味千拉麺の店舗を見つけました。
わりとありますね。
高架のある風景に見入りました。
高架好きです。
虹口足球場站です。
立派な駅舎なんですね。
駅構内に入りまして、上海の鉄道改札口恒例の、手荷物検査に入ります。
このとき、ふと、この独特の光景を写真で撮っておきたいと出来心を起こしたのですね。
写真を撮ろうと、検査装置に手持ちの端末を向けました。
写真を撮る前に、私の前の乗客の手荷物を検査していた係員が私に気付いて、鋭い非難の声を浴びせてきます。
慌てて端末を降ろしたものの、係員はこちらを指差して依然咎めてくるのでした。
言葉はわかりません。
やはり場所柄、写真撮影はうかつでした。
後悔すると同時に、えらい目に遭わされるのでは、と思い背筋が凍りました。
相手の言葉がわからないので、勢いで件の係員に近寄りました。
自分の端末に入った写真一覧の画面を相手に見せるのです。
「この検査装置は撮ってない」とジェスチャーで示し英語でまくしたて、呆気に取られてわかったようなわかってないような顔の係員を残し、そのまま検査場を通過してしまいました。
たまたま写真を撮る直前だったから自分の中で言い訳もたちましたが、かなり苦しい開き直りでした。
中国は社会主義国で治安維持のための締め付けも厳しい国柄、個人の自由が制限される局面は意外と多いのかもしれません。
国の中では開放的と思われる上海も、例外ではないのですね。
深呼吸などして気持ちを落ち着かせた後、目的地への電車に乗ります。
郊外の寺院、龍華寺に行きましょう。
手持ちのガイド本によると、龍華寺は三国志の時代の呉の国の王、孫権が没した母のために建立したと伝わっています。
建立から2000年近く経つ上海最古の寺院なのです。
最寄りの龍華站の地下構内から、地上に出て参りました。
趣きのある塔が駅出口から見えているのですが、道路向こうの寺院敷地は工事用のフェンスで囲われております。
駅出口付近には横断歩道もなく、かなりの迂回を強いられる模様です。
私の他にも参拝客らしき人々が大勢歩いています。
あの人の流れについていきましょう。
日本の寺院の仏塔とは趣きが違い、中国仏教建築の雰囲気を感じます。
ただ龍華寺は建立は三国時代でも、境内に残っている建物は近代、清朝末期になって建てられたものだそうですので、さほど古くはないのですね。
龍華塔というそうです。
若干傾いている気がしなくもないです。
斜塔ですな。
中には入れません。
龍華寺、または龍華古寺。
立派な山門の構えですね。
参拝料金として10元(約171円)納め、境内に入ります。
門の内側では、このような煙具合です。
以前の香港と台湾の旅行では寺院参拝の作法を適当にごまかして済ませてきましたが、せっかくなので今回は、私も周囲の人たちに合わせて中国式を真似しました。
香港と台湾で参拝したのは道教寺院でしたが、作法は中国仏教でも同じようですね。
参拝客は手にした線香の束に火を灯し、正面と左右に向かって三度、礼をします。
ひと通り礼を済ませて、線香は香炉にくべます。
門から正面の本殿と思しき仏殿に入り、中の大きな御本尊を拝んで建物内部を廻り、裏側の出口から出てくると、また向こうに同じような仏殿があるのです。
その仏殿の中の御本尊を拝んで建物内部を廻り、裏側の出口から出てくると、また同じような仏殿があるのです。
その仏殿の中の御本尊を拝んで建物内部を巡り、裏口の出口から…といくつもの仏殿を通り抜ける参拝でした。
つまり、仏殿が縦にいくつも並んでいるんですね。
日本の仏教寺院ではなかなか得られない参拝体験でした。
御本尊の仏像はいずれも大きくきらびやか、華やかなのでした。
仏殿と仏殿の合間にはこうした香炉台があって、他の中国人参拝客たちはお賽銭を香炉上部の窓の中に投入れていました。
何かそういう作法があるのかもしれません。
これは私は真似しませんでした。
龍華寺の境内は参拝客でごった返しており、いくらか早足で参拝を済ませたのでした。
「呉の孫権が建立した寺院」という由来に惹かれてやってきたのですが、現在はっきりした孫権の要素は見当たらず、参拝の際には想像力を要します。
私は特に三国志に詳しいわけでもないので、その想像力にも事欠くのでした。
上海自体がかつての呉の国の範囲に含まれるとはいえ、現在残る三国時代の史跡は非常に少ないのです。
三国志好きの人が三国志要素を求めるには、上海はちょっと厳しい土地柄ですね。
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上海旅行二日目(4)。四川北路、蘭州拉麺のお店で朝食。蘭州拉麺は清真料理
果物を買ったりしましたけれど、まだ朝食を食べていないんですね。
山陰路から四川北路に出る途中の沿道に、現地の人でにぎわっている食堂が何軒かあったのです。
中国文化圏では、朝食を家ではなく街の食堂で摂る習慣があるようなのですね。
そういうお店で朝食を摂るのが旅先での醍醐味ではあるのですが、現地の人でいっぱいの店内を見て、私はどうも気後れしてしまったのでした。
うまく注文できなかったらどうしよう、等々考えてしまいます。
内山書店跡地の近辺を歩いていたら、よさそうなお店を見つけたのです。
沿道の奥まったところに、兰州拉面(蘭州拉麺)の看板です。
去年の東京旅行の際に、神保町で食べた馬子禄の蘭州拉麺が美味しかったのを思い出しています。
上海の蘭州拉麺はどんな感じなのでしょう。
ちょうどいい機会だから、挑戦してみましょう。
店内に入り込みます。
一面ぴかぴかタイル張りの狭い食堂で、中は無人でした。
壁際にカウンターとごく小さな窓が設けてあって、そこから壁で隔たった厨房の中がわずかにのぞけます。
厨房をのぞいてみて誰もいないかと思ったら、奥にひと気がありました。
中年の女性が一人立っている様子。
挨拶をするとこちらに来て、窓越しに女性の顔だけが見えました。
私が「我可以吃牛肉面吗(牛肉麺は食べられますか)?」とかろうじて話せるフレーズを使って伝えると、通じた様子。
女性がうなずくので、安心しました。
料金10元(約172円)を支払います。
どうも朴訥そうな方で、好感が持てます。
席に座って待っていなさい、というような仕草をされたので、従うことにします。
店内にバイクが停めてあったのは度肝を抜かれましたが…。
しかしよくよく考えると、まだ営業時間前だったのかもしれません。
店内は壁もテーブルもタイル張りで、磨き上げられていて清潔感があります。
光沢があります。
椅子まで磨かれていて、光沢がありました。
なんだか上海の他の生活感あふれる食堂とは、趣きが違うようです。
一般的な中国式とは違った異国情緒を感じます。
ややあって店の女性が、厨房と食堂とが繋がっていないのでいったん店の外に出て、食堂の入口から入ってきました。
そこで私は初めて女性の全身を目にすることになったのですが、彼女は頭から黒いベールのような衣装をまとっていたのです。
イスラム教徒だったのですね。
カウンターの窓越しに顔を合わせたときは意識しませんでしたが、改めて見るとその顔立ちも、上海にいる他の漢民族の女性たちとは少し違うような気がします。
北方の人、という印象を私は持ちました。
彼女は厨房と食堂とをつなぐ窓からカウンタの上に、私が頼んだ牛肉麺の器をいったん置いて、それから店内に入ってきたのです。
そしてカウンタの前で改めて牛肉麺の器を取り上げ、私のテーブルに運んできてくれました。
牛肉拉麺。
器の中にお箸をさしてくれてあるのが斬新でした。
陶器の器の絵柄が素敵です。
薄切りの牛肉が少しと、おそらくパクチーですね、香草が入っています。
麺は日本の素麺に似た食感でした。
スープは薄めの塩味で、あまり味がしない…だしの風味もよくわかりません。
全体的に味の印象の薄い中で、香草の強い香りが勝っているので、パクチーの苦手な私はただひたすら無心に食べました。
馬子禄で食べた蘭州拉麺を思い出して、途中でテーブル備え付けの黒酢をかけてみたり、ラー油を足してみたり。
何をどうしても、薄めの塩味とパクチー風味、柔らか食感は揺るがないのでした。
馬子禄の蘭州拉麺にもパクチーは入っていましたが、そちらはそこまで気にならなかったのですが。
こちらのは、より薄味だからでしょうね。
ともかく完食しました。
日本のにゅうめんを食べたような食後感でした。
馬子禄の牛肉麺を食べたときのようには行きませんが、落ち着いた朝食が摂れて、これはこれで悪くなかったのかもしれません。
あまり中国らしくない、異国風の静かで清潔な店内で、蘭州拉麺と向き合った時間でした。
食べ終わり、また厨房内で立ち働いている女性に謝謝と声をかけると、片手を挙げて応じてくれました。
店名にある「清真」というのは、イスラム教のものであることを示す名称だそうです。
例えば清真料理というと、これはイスラム料理のことなんですね。
神保町の馬子禄で食事したときにはまったく気付きませんでしたが、蘭州拉麺というのも中国のイスラム教徒の料理だったのです。
蘭州はイスラム教徒が多い土地なのです。
このお店の女性もおそらく蘭州、それとも新彊か、イスラム教の盛んな中国の辺境地域からやって来た人なのでしょう。
物静かで朴訥なたたずまいから、何かと漢民族が目立つ中国という国が、その実は他民族国家であるということを思い返しました。
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