伏見稲荷大社から任天堂、中書島。京都市の旅(2)
伏見稲荷大社前から、北に歩いていきましょう。
かつて伏見稲荷大社のずっと南に大日本帝国陸軍の第十六師団があって、この師団街道が京都市の中心地から南の第十六師団司令部まで繋がる道路だったのですね。
手持ちの地図によれば、地下鉄烏丸線の十条駅の近くに任天堂があるそうです。
漠然とその方向に歩いていればそのうち見えてくるのではないか、と思います。
この交差点から、阪神高速8号線に従いまして、西へ。
十条通り沿いに行きます。
鴨川にかかる橋を渡ります。
そのままずーっと西へ西へ。
十条新町の交差点で南、つまり左手に曲がりました。
細い路地を歩きます。
工場街の先に任天堂の社屋が見えました。
明治時代創業、もともとは花札等の製造販売を行う会社でした。
長い間に各種玩具の製造販売にも携わり、やがてテレビゲーム事業に参入。
それ以来スーパーマリオ、ポケモン等の誰もが知るゲーム作品を生み出してきた、世界的企業です。
任天堂であります。
周辺の庶民的な街並みにそぐわない、未来的なデザインの巨大ビル。
息を呑みました。
周囲を高い塀に囲まれています。
まるで城のようですね。
正門前にまわってみます。
日本国旗の日の丸はためく、任天堂の正門前です。
ここで開発されたゲームが日の丸を背負い、世界中の子供たちと、あと大人たち(私も含む)の元に届くのかと思うと感慨深いものがあります。
見学の案内でも書いてないかな~と期待したのですがね。
入口には「関係者以外立入禁止」の看板が立っているだけです。
守衛室前の出入り口も鉄扉が閉じられ、部外者の来訪を拒む雰囲気でした。
「任天堂株式会社 本社開発棟」と書いてありました。
世界的ゲーム企業の開発棟となると、無数の産業スパイに狙われていてもおかしくありません。
億の金を生み出すゲーム製品のまさにその源泉が、私の目の前のビルの中にあるのです。
私は小学生の頃、任天堂製の携帯ゲーム機「ゲームボーイ」がお気に入りでした。
そのゲームボーイを起動した時に画面に現れるあの社名ロゴと「ぴこーん」という独特の効果音が好きで、興奮したものです。
任天堂製のゲームで育ちました。
しかしそんな独白をしたところで、社屋の中には入れてくれそうにありません。
世の中は世知辛いのです。
名残惜しく、振り返り振り返り。
近場の伏見稲荷大社にあれだけ多くの外国人観光客が集まっているのですからここまで任天堂見物に来る人がいてもよさそうなのですけれど。
私のほかには物好きなカップル風の男女が二組ばかり、立ち止まって社屋を見ているぐらいでした。
名残惜しいです。
開発棟ビルの近くをうろうろしていると、近くに任天堂のロゴがある別のビルを見つけました。
こちらも大きなビルです。
開発棟ビルの南にあるこちらが、どうも本社ビルだったようです。
ここは「立入禁止」とも書いてないのですが…気軽な見学を受け付けている雰囲気でもありません。
確かネットの記事だったと思いますが、昔読んだ話では、任天堂本社は役所のような雰囲気の堅い社風なのだとか。
遊びを売る企業の社風が堅いというのも変な話ですが…。
ゲーム開発の現場はともかく経営に携わる部署では堅実でないと、世界的企業を維持することなどできないのですね。
自分一人で納得しました。
帰りましょう。
夢を見続けるためには、眠ったままでいることが鉄則です。
開発課の人たちが、車内で雑談していてついぺろっと次の作品のアイデアを喋ってしまうこともあるでしょう。
地下鉄烏丸線内には、同業他社と機関投資家の送り込んだ産業スパイが適度に紛れ込んでいるはずです。
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伏見稲荷大社から任天堂、中書島。京都市の旅(1)
8月の話なんですけど、京都の伏見稲荷大社にお参りしてきたんですよ。
駅舎の内装に、参詣気分が盛り上がります。
昨今の伏見稲荷大社は外国人観光客にも人気で、週末の混雑も激しいのです。
その混雑を見越して、朝早くにやって参りました。
こういうのを「先見の明」と言うのですね。
自画自賛ですね。
参道には商店が並んでいますが、まだ開店前で静かなものです。
この近くに宿泊したのか?
朝早くからもう散策している欧米人観光客の姿がちらほら。
伏見稲荷大社の境内へ。
立派な楼門です。
すでに参拝客が集まっています。
楼門をくぐればすぐ本殿がありますので、参拝も容易です。
私も商売繁盛を祈りました。
古代に山城国を開発した渡来系氏族、秦(はた)氏の秦伊侶具(はたのいろぐ)が創建したと言われる伏見稲荷大社。
全国の稲荷神社の総本社にあたります。
御利益を期待したいところです。
参拝は済んだのですが、今回はさらに、本殿の後ろにそびえている伏見山に登る予定なのでした。
この何重にも重なる鳥居が有名で、海外から大勢の観光客が参詣に来る要因になっているのですね。
珍しい写真が撮れますからね。
こうした鳥居が、伏見山の頂上へ向かう道すがら、多くあるのです。
伏見山山麓の本殿の近い辺りだからだと思いますが、わりと人が多いですね。
おそらく、この人たちの多くは山頂までは登らないだろうと思うのですが…。
千本鳥居は右側通行であります。
右側を歩きましょう。
この鳥居、全部奉納されたものなんですね。
お稲荷さんを信仰する大勢の人たちの心がこの不思議な風景をつくったということです。
そう考えるとありがたみが増しますね。
山頂までの登山道沿いに、いくつものお社があります。
篤い伏見稲荷信仰に付随して、他の神様たちも祀られるようになった結果なのですね。
ところどころに御茶屋さんがあります。
お土産、お菓子類が売られていて自販機もあるのですが、ゴミ箱の用意は無いので、飲み終わった空き缶等の処理に困ります。
高所にあって、ゴミ回収が難しいためでしょうね。
稲荷山山頂への登山を考えられている皆様には、空き缶等のゴミを持ち帰れますように、ゴミ袋の準備をお勧めします。
眺望が開けました。
ここは四ツ辻という場所で、稲荷山から伏見の街並みが見られる一番いい場所なのではないかと思います。
ここまで結構な傾斜の登山道で登ってくるのが苦しかったのですが、四ツ辻までたどり着いている外国人がかなり多く、私は少し感動しました。
で、この眺望のいい四ツ辻にお店を構えているのがお茶屋の「にしむら亭」です。
俳優の西村和彦さんのご実家ということでテレビの観光番組等でよく紹介されているお店ですね。
この眺望を拝みながらひと休みしたいと思うのですが、せっかく勢いづいているのでこのまま山頂まで参ります。
山頂からの帰りに、にしむら亭名物のこの美味しそうなソフトクリームをいただきたいと思います。
奉納鳥居は山頂まで続いています。
山頂である「一ノ峰」に来ました。
小さなお社があるぐらいで、周囲も樹木に囲まれていて景色が見えるわけでもないのですが、とりあえずの達成感は味わいました。
お社のまわりに、登山を成した参詣者が奉納した小さな鳥居が無数にあります。
登ってきたのとは別のルートで、にしむら亭まで戻りたいと思います。
ここは御劔社(長者社)です。
「加茂玉依姫」が御祭神だそうです。
京都の下賀茂神社の御祭神と同じですね。
この御劔社は謡曲「小鍛冶」の中で、刀鍛冶の三条小鍛冶宗近という人物が名刀「小狐丸」を打った場所として出てくるのだそうです。
私は刀には詳しくありませんが、小狐丸って言えばテレビゲームに武器としてよく出てくる名前だな…とぼんやり思いました。
三条宗近は現在この井戸から湧き出している「焼刃の水」を、小狐丸を打つ際に使用したのだそうです。
稲荷山には御劔社の他にも「神蹟」と呼ばれるお社が祀られているのですが、それらの場所にあったもともとの祠は、中世の「応仁の乱」の際に消失してしまったのだそうです。
応仁の乱は、室町時代、足利将軍配下の守護大名たちが東軍と西軍に分かれて、京の都を戦場にして争った大乱です。
この応仁の乱の際、東軍の細川氏の配下にあった武将、骨皮道賢(ほねかわどうけん)が要害であった稲荷山に籠城したのですね。
これを西軍の山名氏方の大軍が攻め、骨皮道賢は討ち取られました。
稲荷山山上のお社等、各施設も灰燼に帰したということです。
骨皮道賢の素性については諸説あるようですが、「稲荷山に籠もって戦った末に敗死した」という一事をもって歴史に名を残した武将なのですね。
まあともかく、この応仁の乱のとばっちりによって稲荷山の中世以前の信仰の跡は消え失せてしまったということです。
私たちが見ているお社等は、中世以降に築かれたものなのですね。
骨皮道賢の生き様はともあれ、にしむら亭のある四ツ辻まで戻ってきました。
にしむら亭のソフトクリーム。
ラムネの一色にしました。
400円です。
にしむら亭の床机に腰掛けて、絶景を見ながら、ラムネ味ソフトクリームぺろぺろ。
登山での疲れが癒されるような心地です。
で、ソフトクリームがなくなるまでしばらく絶景を眺めていたのですが…。
風景の中に気になるものを見つけたのですね。
この写真ではわかりにくいと思いますが、中央の白い建物、どうも世界的なテレビゲーム会社の任天堂の社屋っぽかったのです。
「あ、あれ任天堂じゃね?」と思いました。
社屋の右上に掲げられた「Nintendo」のロゴがうっすら見えます。
任天堂が京都市に本拠を置く企業ということは知っていたのですが、それが伏見稲荷大社の近くにあったとは。
後で見に行ってみようか、と私の野次馬気質が湧いてきたのでした。
四ツ辻を後にして、伏見山を下ります。
ギャンブル愛好で有名な漫画家の奉納鳥居を見つけて、日本人の信仰について考えました。
恵比寿さんがお稲荷さんに御利益を望むなんて、面白いジョークであります。
私も伏見稲荷大社に来たのは観光目的もありますが、まず現世利益を望む心があってのことです。
恵比寿さんとお稲荷さんへの信仰が、自分の実感によく合います。
帰る前に鳥居をよく見ておきます。
改めて見ても圧巻ですね。
ほとんどトンネルですね、もう。
今後の稲荷大社の御利益を期待しながら、退去することにします。
まだ11時前なんですけれど、任天堂の社屋を見に行く前に、どこかでお昼を食べておきたいですね。
いよいよ参道はにぎわって参りました。
伏見大社の境内もこれから混雑するでしょう。
お昼ごはんですが、実は以前伏見稲荷に参詣した折に、食事したお店がありまして。
またそこに行こうと思っています。
開店時間よりちょっと早かったみたいで、準備中でした。
たぶん11時開店なのです。
とりあえず列に並びます。
「ラー麺 陽はまた昇る」。
前に来たとき、このお店のラーメンが美味しかったのです。
今回も楽しみですね。
今回はからあげも食べてみようかな、と思います。
開店後の店内に入りました。
食券制になっています。
入口の自販機でとりとんこつラーメン750円と、からあげご飯セットのからあげ2個250円を買いました。
席に座って待つこと5分ばかり。
とりとんこつラーメンです。
京都のラーメンで一般的な、とろみの強いごく濃厚な豚骨スープなのですね。
私はどちらかと言えばあっさりした豚骨スープに背脂が若干浮かんでいるぐらいのが好きで、あまりにとろみの強い泥状のものは得意ではないのです。
でもこのお店のスープはしっかり味付けで美味しくて、とろみもちょうどいいぐらい。
レンゲですくってついつい飲んでしまいます。
麺のコシも強く、メリハリがあって食感が頼もしい。
薄く切られたチャーシューは生ハムのような舌触りです。
そして、サイドメニューのからあげですが…。
2個頼んだのですが、これはどう見ても2個ではないですね…。
真面目に数えて5個あります。
巨大な鶏の唐揚げを2個揚げて、それからいくつかに切り分けてくれたようです。
これにご飯付きで250円ですから、量だけ考えてみても非常に良心的。
味はどうか?とかぶりつくと、衣の食感はさくさく、中のお肉は柔らか。
味付けもしっかりで美味であります。
ただ揚げたてでかなり熱くて、咀嚼して飲み下すと全身から発汗し始めました。
ラーメン食べてるだけではこうはならない、ってぐらいの体温上昇です。
とりとんこつラーメンと大量のからあげとご飯とを交互にいただくのですが、なかなか食べ終わりません。
ようやく食べ終わったら、汗だくになっていました。
しかし、とてもおいしゅうございました。
今後も伏見稲荷大社参詣の度にここでランチにしたい、と思います。
いつまでも続いて欲しいお店ですね。
満腹状態で任天堂本社を目指して歩きます。
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『祝祭の後日』
ミコは思案した。
他人様の目のある場所では恥ずかしい。
草木も眠る丑三つ時はいかがであろう。
使い古しのシーツに目穴を開けて頭から被り、一体の異様な者になった。
そんなミコが家を出た。
丑三つ時だ。
道沿いに街灯もほとんどない、貧しい町である。
暗黒の夜である。
この遅くにも窓から明かりの漏れる家はあったが、稀である。
月光ばかりが、暗闇の中に白いシーツを被ったミコの姿を浮き上がらせている。
丑三つ時であってみれば、草木も眠る。
当然人も動物も眠っている。
でなければミコも今のような暴挙には出ていない。
「ははは…」
白いシーツの裾を足元まで垂らし、サンダル履きのつま先を蹴り上げて闊歩する。
歩く度にはためいては折り重なるシーツの隙間の目穴から、外を覗いている。
確保できる視界は曖昧だ。
加えて世はかすかな月明かりだけの暗闇だ。
命知らずのミコでなければ、精霊の姿で夜道を歩くことなどできない。
楽しくて、頭に血が昇る。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」
彼女は歌いあげた。
建物のまばらな野に、甲高い声が響き渡る。
答える者はいない。
田畑に沿うような民家と民家の間の道筋を、かろうじて歩いた。
そうして彼女は今、遠い都会の町並みに思いを馳せている。
都会では若者たちが車両を横転させて祝祭の余興とした。
記憶に新しい珍事であった。
他人様の目のあるところでそのような暴挙に出て、いかにも世俗の祭りである。
と、ミコは思った。
人の目に触れることで、ただならぬ気配は失われる。
神懸った若者たちの暴挙は、しかし生々しい人の行いと受け取られたことだろう。
その得体の知れない本質は生きた感情で覆い隠され、他人の目に映った。
翻って、白い姿で移動する今の自分を、誰も目にはしていない。
得体の知れないミコの動機を知るのは、本人だけだ。
お前など異様な存在ではない、と断じる他人が存在しない。
そうである間、自身が沈黙している間、ミコは異様な精霊なのだ。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」
甲高い声で歌い上げた。
一軒の家の門前に躍り出た。
見知った家だ。
暗闇の中でも、彼女が道筋を迷わず来れたのは、意味合いある家である。
同級生の男の子が住んでいた。
視界の利かない闇に、表札の「橘」という刻印をミコははっきりと見ている。
「もしもし」
門に向かい、おしとやかな小声をかけた。
けれども彼女は精霊なので、小声が高い響きを伴っている。
生身の人が耳にすれば、戦慄する類の声色だった。
玄関前の鉄扉が閉まっている。
ミコの声は届くまい。
聞く者の無いのは幸いだった。
住人は眠っている。
「もしもし」
ミコの喉から、まったく同じ呼びかけが出た。
異様な声色。
「もしもし」
住人は眠っている。
精霊はその姿を誰にも見られず、声も聞かれない。
ただ、その跡を残す。
「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ」
声色が変じた。
精霊にお菓子を供えることは、彼らを野山に追う護符の意味合いであった。
精霊の夜から、一週間ばかりも過ぎた。
放課後に、ミコは呼び出された。
校舎の屋上は見晴らしがいいばかりか、いつも便利な場所だ。
給水塔の陰から、同級生の橘が出てきた。
戦慄した風情でいる。
ミコを見る目に、怯えがあった。
「来てくれてありがとう」
迎える声の、語尾がかすれた。
ミコは曖昧に首をかしげて応じる。
もはやミコは精霊ではない。
精霊の夜の記憶は、精霊が持ち去った。
その彼女の顔つきを、橘はうかがっている。
「君だったの?」
橘は問うた。
「さあ?」
ミコにはわからなかった。
「得体の知れない抜け殻があった」
精霊の脱ぎ捨てた、白いシーツを橘は言い表している。
「怖くて震えた」
目穴が細長く、ひしゃげて開いていた。
使い古された、ただの白いシーツだ。
それを橘は、畏れ多く語っている。
精霊の抜け殻として扱っている。
ミコはそ知らぬ顔でいる。
「家の前の地面に、奇妙な文様と…心をえぐる文言が刻まれてあって」
続けて橘は独白する。
もう声が震えている。
ミコはそ知らぬ顔で聞いた。
「お菓子をあげない僕が悪かったよ」
絞り出すように言った。
橘には、思い当たるところがあるのだ。
ミコは曖昧に微笑んで、その謝罪を受け流した。
彼女は精霊の意図を感知しない。
お菓子をくれない者は、いたずらされる。
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『瞬殺猿姫(46) 猿姫との合流を画策する、三郎と阿波守』
港に入ってきた商船から、荷を降ろす。
降ろした荷を、荷車に積み込む。
荷で満載の荷車を、蔵まで運ぶ。
荷車から荷を蔵内部に運び入れる。
商船が入港した際、そうした分担で港の運び手たちは仕事をする。
「近頃は荷の動きが激しいですな」
織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)は、傍らの蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)に話しかけた。
二人の今回の持ち場は船着場で、船から降ろされた荷を荷車に積み込むのである。
船着場の石積みの平地に、広く莚が敷いてある。
その莚の上に荷降ろしされた荷が積んであるのだ。
それらの荷を、形状ごとに分けて荷車に積み込む。
そして蔵に運ぶ。
白子の港にある蔵の多くは、京、近江国、伊勢国など近隣の大商人たちが所有しているものだ。
「伊勢で動きがあるな」
荷を荷車に積み込みながら、阿波守は訳知り顔で応じた。
三郎はぼんやりした顔で阿波守を見た。
「動きですか」
「そうだ。最近は伊勢商人所有の船が頻繁に港に来る」
「確かにそう言われてみればそのような…」
「今になって気付いたのか」
「ええ」
三郎は口ごもり、大きな荷を身に引き寄せるようにして持ち上げ、荷車まで積み込んだ。
ひと息に運び込み、顔色ひとつ変えない。
まともに持ち上げることが不可能な重さの荷も、わずかな力で持ち上げ運ぶ技術が運び手には伝わっている。
三郎も運び手を始めてから半年ばかり経ち、そのやり方を体得していた。
「ずっと女のことばかり考えていたのではないのか」
顔を背けて仕事を続ける三郎を見ながら、阿波守は小声で言った。
「え、嫌なことを」
背を向けたまま、三郎は声をわずかに震わせて言った。
図星である。
「たまたま気付かなかっただけござる」
「どうだかな」
阿波守は苦笑する。
二人は仲間の女性、猿姫(さるひめ)を北伊勢の農家に待たせている。
旅の途中で路銀が尽き、金を溜めてから合流する手はずだった。
先頃その猿姫から届いた文で、充分な路銀が溜まった旨を伝えられてある。
あとは三郎と阿波守の働き如何なのだ。
次の大きな荷を三郎が持ち上げかねているのを見かねて、阿波守は手を貸した。
二人の力だと相当な重さの荷が運べる。
荷車がいっぱいになった。
待機していた荷車の運び手が、荷車を押していく。
蔵に向かうのだ。
運び手が戻って来る前に、次の荷車を荷でいっぱいにしておかないといけない。
三郎と阿波守には手を休める暇はなかった。
「そろそろ切り上げる頃合かもしれぬな」
働きながら、阿波守は三郎に声をかけた。
「もう昼餉でござるか。少しはようはございませぬか」
三郎はあまり頭が回っていない。
阿波守は顔をしかめた。
「そうではない。ここでの働きもそろそろ、と言っている」
荷の上にしゃがみこんでいた三郎は、阿波守の方を見た。
顔色が変わった。
「と言うと、猿姫殿と合流して…」
「そう嬉しそうな声を出すな。事情は込み入っている」
咎めるように小声で言う。
「何がです」
「伊勢に動きがある、と言ったであろう」
「ですな」
「思い当たることがある」
阿波守の顔が真剣味を帯びた。
「なんでござる」
「伊勢と言えば南伊勢の守護大名、北畠がいる」
「ええ」
南伊勢には名門、北畠家の北畠中納言具教(きたばたけちゅうなごんとものり)がいる。
「先の神戸城での一件を思い出せ」
半年前、三郎、阿波守、猿姫が近くの神戸城に滞在した夜。
神戸城は六角家が支援する土豪、関家の夜襲を受けた。
神戸家の当主である神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとしもり)は三郎たちと共に城を脱出し、それ以来神戸城は関家の治めるところとなっている。
「思い出しました」
「あれは、つまりは六角と北畠の争いであったことはわかるな?」
六角というのは、近江国の南半分を治める守護大名、六角左京大夫義賢(ろっかくさきょうだゆうよしかた)のことだ。
六角家は南の北畠家とは敵対関係にある。
「あの夜の戦は、六角家の傘下にある関家が、北畠家の傘下にある神戸家を追ったものだということですな」
「うむ」
二人は仕事の手を止めず、荷運びの合間合間に話している。
「北畠中納言とすれば、そのまま黙っていては沽券に関わる」
「でありましょう」
「であればおそらくは神戸下総守の居場所を探り、連絡も取り合っていよう。神戸城奪還について」
「おお」
「北畠と繋がる伊勢商人。それらの商人が扱う大きな荷の動き。おそらくはこれは北畠の戦準備の故と見てとれる」
近頃白子の港に入る伊勢商人の大量の荷の大半は、木材に竹など、戦で使われるものだった。
他には皮革、硝石、硫黄と言った、武具の材料となるものも混じっている。
「下総守殿が、とうとうやるのですな」
「伊勢商人たちが北畠のために荷を集めているのだとまだ決まったわけではないが、その目算が大きい」
三郎は、神戸下総守を思い出している。
共に神戸城を脱出し、その後この白子港での運び手の仕事を紹介してくれたのも、神戸下総守だ。
彼は茶の湯の道を愛し、三郎と心が通じるところがあった。
「しかし下総守殿も…戦をするなら、我らにも声をかけてくれればよいものを」
「おぬしや俺のような者に声をかけたところで何の役に立つということもあるまい」
「しかし」
三郎は無念を顔で示した。
「それは他人行儀な。戦についてひとこと教えてくれてもよさそうなものです」
「もしくは、我らをこれ以上戦に巻き込むまいとする気遣いかもしれんぞ」
「でしょうか」
「北畠程の大物が動いているとすれば、それを六角も察知していよう。我らは知りようもないが、六角も御用商人を使って大掛かりな戦準備に入っているのかもしれん」
「なるほど」
「北畠と六角が共に出馬するのなら、前回とは比べ物にならぬ大戦(おおいくさ)になろう」
神戸家と関家、それぞれの背後にいた親玉が出てきて神戸城を奪い合う戦なのだ。
「北伊勢は未曾有の混乱に飲み込まれる」
「そうなったら我らはどうすれば」
「だからそろそろ切り上げる頃合だ、と言っておろうが」
阿波守は結論をつけた。
「この界隈で大戦が始まるのに、ぼやぼやしておられん。路銀はそれなりに溜まったのだ、見切りをつけて猿姫と集まる」
「ですな」
阿波守の力強い調子に、三郎も元気良く相槌を打った。
状況は緊迫している、らしい。
それでも、待ち焦がれた猿姫に会える、という嬉しさは何物にも代え難かった。
だが、三郎には気にかかることがある。
「阿波守殿、待ってくだされ」
「何だ」
「我ら、当初は下総守殿を北畠家に送り届ける手はずでござった」
「そう言えばそんな成り行きだったかな」
神戸下総守を加えた四人で南伊勢の北畠中納言具教に会いに行き、下総守の身柄を預ける。
同時に、三郎たちは北畠中納言に堺までの旅路の援助を求めるはずだった。
その南伊勢への途上で路銀が尽きたので、充分な路銀を貯めるために下総守から仕事の紹介を受けたのである。
三郎、阿波守、猿姫はそれぞれの仕事に就き、下総守は当面、家臣たちの元に潜伏することになった。
路銀が溜まれば再び合流して、南伊勢を目指す手はずだった。
「もし北畠家と神戸家が大戦を始めるのだとしたら、我らはどうすればよいのでござろう?」
問われて、阿波守の視線が一瞬泳いだ。
「このまま、北畠家を頼りにしてもよいものでござろうか」
「うむ」
阿波守は目を細めて、口の中で舌を動かしている。
彼にしてもいい答えは思いつかなかったらしい。
「その可否を明らかにするためにも、我らは急ぎ猿姫と会おう」
いずれにしろ、白子港を辞去することになりそうだった。
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韓国旅行三日目(3)。明洞から再び弘大へ。目当てのお店発見。帰国しました
明洞でお土産を買いました。
今日も日本人が多いですね。
このJetoyって猫デザインの小物店が最近日本人観光客に人気なんですってよ。
セーラームーンは韓国でも人気みたいです。
私が小学生の頃にアニメを放送していた古い作品なのに、まだ人気って息が長いですね。
キャラクターは生身の人間と違って不死身なのですね。
"LINE FRIENDS"ってLINEのキャラクターのショップですね。
私はLINEを使ってないのでよくわかりませんが、周囲にもLINEを使っている人は多くて。
そういうLINE愛好者たちはこういう本場のショップで買えるグッズに希少価値を感じるのかもしれませんね。
惜しいことに私にはピンとこず、写真も上手く撮れませんでした。
店内の巨大な熊のぬいぐるみは凄いですね。
キャラクタ名も存じません。
手持ちのウォンは何とか今日一日持ちそうなので、両替できる例のコンビニには寄らず、明洞駅から地下鉄に乗りました。
ソウルでの心残り、それは昨晩探してうろついた弘大の飲食店です。
実は昨日、宿に帰った後に端末で場所を調べておいたのです。
韓国はゲストハウスやモーテル等の廉価な宿でもWifiが無料で使えるのが基本で、その点はとても便利です。
再び弘大に向かいます。
そろそろお昼時でもあるんですね。
夕方日本に帰る飛行機が出ますので、お昼を弘大で食べてその後に仁川空港へ向かえばちょうどいい頃合になると思います。
駅のホームにLOTTEの自販機があって、各種のお菓子が揃っています。
これはかなり嬉しいですね。
日本の駅でもブルボンのお菓子自販機はよく見かけます。
もっといろんな製菓会社が自販機販売に参入してくれると嬉しいのですがね。
そうこうしながら弘大入口駅に到着。
昨夜とは違った出口から出てきています。
この公園近くに探していたお店があるのですね。
それがこのお店、"W Hand Steak"です。
このお店で提供しているのが、ドリンクカップとステーキが乗ったプレートが一体になったハンドステーキという商品なのです。
以前にネット上でこのお店のことを知ってからというもの、「ソウルに行ったら必ずこのお店に行く」と決めていたのでした。
開店まで少し間があるようなので、店の前の公園のベンチに座って待ちます。
どうもこの公園も鉄道線路の跡地だったようです。
お店が開いたようなのでカウンタに来ました。
メニューがいろいろあって迷うのですが、一番安かった「너비아니 스테이크(ノビアニステイク)」というのを頼みました。
ドリンクはブルーレモネードです。
正確には忘れましたが、これで確か7800ウォン(約780円)だったと思います。
昨晩からステーキが食べたい気分でいっぱいだったので、期待が高まります。
で、出てきた너비아니 스테이크。
これ写真ではわかりづらいと思いますが、かなり大きいです。
ファーストフード店のLサイズよりまだ少し大きいぐらいのドリンクカップの上に、容器が乗っているんですね。
見るからに美味しそうですね。
食欲そそります。
お肉とフライドポテト、パイナップル、プチトマトが乗っています。
この下は結構容器に深みがあって、炒飯がドリンクぎりぎりの下の方まで入っているんです。
お肉にかぶりついてみましたが、予想したのと違う柔らか食感。
너비아니 스테이크って「Korean traditional steak」ってメニューに併記されていたのでどんなものかと思ったら、ハンバーグのことだったんですね。
そういえば韓国にも日本のつくねのように挽き肉をこねたうえで火を通した伝統料理があったのを、以前に何かの媒体で見た記憶があります。
それが「너비아니(ノビアニ)」だったようです。
ステーキを期待しまくっていたので、ちょっと残念ですが…まあ너비아니も悪くないお味です。
要はハンバーグですね。
ソースは甘い味付けです。
よくできた容器だなあ、と思います。
おそらく食べ歩きを想定してか、上部の容器はドリンクカップに乗せてあるだけなのですけれど、ちょっとぐらい傾けても外れないようになっています。
ただ大きいうえにフードとドリンクの重みがかなりあるので、片手で持って歩きながら食べるのは若干しんどいと思います。
できないことはないと思いますけれど。
店の前の公園のベンチか、店内の椅子に座っていただくのがいいですね。
美味しくいただきました。
食べている最中にフードの熱でドリンクがぬるくなったり、ドリンクの冷たさでフードがぬるくなったりするのではという懸念もありましたが、食べ終わるまでそういうことは無かったです。
将来弘大に再訪する機会があればまたこのお店に来たいな、と思いました。
次は本当のステーキを狙っていきたいですね。
これでソウルに心残りもなくなったので、空港に向かいます。
空港に向かう列車の中で見た、妊婦専用席のぬいぐるみです。
むちゃくちゃ可愛いですね。
妊婦さん以外の人が座らないように、普段はこうしてぬいぐるみを座らせておくんですね。
素晴らしいアイデアです。
韓国はアイデアの豊かな国だと思います。
この後、無事日本に帰って来れました。
二泊三日、いろいろありましたが楽しい韓国旅行でした。
お付き合いありがとうございました。
B084 【ふるさと納税】 黒毛和牛A4-A5赤身モモステーキ 価格:10,000円 |
韓国旅行三日目(2)。旧ソウル駅舎を眺める。姜宇奎の立像。ソウル路7017で明洞方面へ
地下鉄の車両の中で、「あと帰る前に見ておきたい場所はどこか?」と考えていたのです。
そういえば初日、シャトルバスに乗って旧ソウル駅の駅舎前を通ったことを思い出しました。
後でまた来よう、などとそのときは思いました。
行きましょう。
地下鉄ソウル駅で降りて地上に出ます。
旧ソウル駅前に現れました。
駅舎周りは広々としております。
今日もいいお天気です。
暑さは昨日に比べるといくらか緩やかですね。
東京駅に雰囲気がよく似てますなあ。
大阪の中之島にある中央公会堂を彷彿させるところもありますね。
東京駅を設計した辰野金吾から建築を学んだ、塚本靖の設計による駅舎です。
現在でも内部は一般公開されていて、往年の姿を示す各種の展示が成されている他、催し物会場としても利用可能なのだそうです。
私は中には入りませんでした。
旧ソウル駅舎前に、伝統的な衣装をまとった男性の立像があります。
よく見ると、右手に手榴弾を握っているんですよねえ…。
不穏です。
像台座に刻まれていた銘によると、姜宇奎(カン・ウギュ)という人物だそうです。
日本に帰ってきてから彼について調べました。
姜宇奎は朝鮮半島北部の出身で、1919年に現在の彼の像が立つ場所付近から当時の朝鮮総督だった斎藤実(さいとうまこと)を暗殺しようとして手榴弾を投げ、斎藤の暗殺には失敗したものの爆発で多数の死傷者を出しました。
初代韓国統監の伊藤博文が満州で安重根(アン・ジュングン)に暗殺された10年後のことでした。
暗殺未遂の翌年、姜宇奎は死刑になっています。
日本の歴史教科書にも出てくる安重根と違い、姜宇奎のことは私も全然知らなかったです。
韓国の愛国者にとっては、彼も「抗日独立運動」に命を捧げた英雄なのでしょうね。
日本統治時代が韓国人にとってどれだけ過酷だったか実感の無い身には、正直なところ安重根同様に姜宇奎もテロリストだとしか受け取ることはできません。
この辺りは、日本人が韓国人との間での感覚の齟齬を埋めることは難しいでしょう。
呑気に旧ソウル駅を眺めている時に手榴弾を手にした姜宇奎の立像に出くわして、冷や水を浴びせかけられたような思いでした。
現代になって、かつての日本統治時代の遺物である旧ソウル駅舎前に抗日の英雄の像を立てたことは、何かくびきを打ち込むような韓国人の決意表明なのかもしれません。
時代背景を考慮しても、テロリストを肯定する韓国人に必ずしも共感はしません。
ただ、他人の心を踏みにじるような真似をすれば、手榴弾ならずとも何がしかの物を投げつけられるであろうことは体感的にわかります。
踏みにじられた人が物を投げつけることしか許されていないのであれば、やはり物を投げつけるのです。
立場の弱い者が取れる暴力以外の手段を封じておいて、いったい暴力を批判できるのかどうか。
ここは倫理的に他人を尊重することがそのまま実利的な判断になるのではないだろうか、と思います。
まあ今は頭で考えてこんなことを書いていますけれど、いきなり手榴弾をぶつけられるような目に遭えば私だって「いくらなんでもそこまでされるいわれはないだろ」と言うとは思います。
楽しいソウル散策に戻りましょう。
高架上の遊歩道、ソウル路7017が通っていますね。
あの上を歩きたいですね。
螺旋階段が手近にあるのであそこから上りましょう。
ガーデニングというんでしょうか、松なんかの植木があって、緑成分が多いです。
もとはここ、自動車道だったんですよね。
上からソウル駅に入る列車の運行が見下ろせます。
噴霧器で激しく霧が出ている箇所があります。
衣服が湿りますが暑い折なので全然かまいません。
涼しいですね。
「장미무대(チャンミムデ、バラ舞台)」だそうです。
ここで何らかの催し物が開かれるのでしょうか。
ステージ上の小さな椅子を見て、私は腹話術劇を連想しました。
チョンパ洞って何か気になる響き。
チョンパ洞。
西のチョンパ洞方面は地上部付近の造園も素敵なのですが、チョンパ洞方面に特に用事はないんですよね、私は。
むしろ東の明洞方面に行きたいのですよ。
ソウル路7017、一度来た道をソウル駅付近まで戻って逆方向に進みます。
ラベンダー越しにうかがう旧ソウル駅。
こうすると上野公園に向かう連絡橋の上から見た上野駅界隈みたいな風景ですね。
大通りの向こうに南大門が望めます。
地上部に降りてきました。
南大門市場の近くです。
近くにムーミンカフェがあります。
ソウルにもムーミンカフェがあったんですね。
面白そうですが、外から眺めるだけにしておきましょう。
左手には南大門市場。
かなり大きな商店街みたいですね。
お店も多彩です。
ただ今は買いたい物も思いつかないので、寄らずに素通りします。
ソウル路7017もとうとう途切れてしまいました。
ありがとうソウル路7017。
次回もよろしくソウル路7017。
次回の予定は未定です。
右手に南山公園とNソウルタワーとを見ながら、明洞に向かって歩きます。
この辺り大都会ソウルって雰囲気ですね。
明洞到着。
結構歩いてきました。
明洞でお土産を買う予定があったんですね。
手持ちのウォンのかなり少なくなっているので、また例のコンビニで少し両替しておこうかな、なんて迷いもあります。
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韓国旅行三日目(1)。空振りの観光地巡りから、成均館大学校とその界隈
韓国旅行最終日、宿を早めに出発することにしました。
午前7時頃にフロントの前を通ると、通路に小さなテーブルと椅子を置いて、中年男性が朝食中でした。
彼がオーナーなのかもしれません。
挨拶を交わしながらそれとなく見ましたが、男性はそれぞれ真鍮製のプレートと汁椀、箸という伝統的な韓国食器で食事をとっていました。
朝から優雅です。
この宿は朝食が無料で食べられるという説明をチェックイン時に受けています。
食堂の営業時間まで待てば、もしかしたら私も同じ食事が摂れるのかもしれませんが、旅の最終日は少しの時間でも観光に費やしたいのです。
男性に礼を言って足早に宿を後にしました。
宿の近くに観光名所の史跡「宗廟(チョンミョ)」があるので、せっかくなので見て行きましょう。
宗廟は名が示す通り、朝鮮王朝の歴代王の位牌を祀っている場所であります。
世界遺産にも指定されています。
と思ったら入口の門は閉まっていました。
来る時間が早過ぎたようです。
まあそこまで中に入りたいわけでもないのです。
門前から、中に並ぶと思しき王たちの位牌を想像して手を合わせました。
遠くの山の上に屹立する、これも観光名所のNソウルタワーが拝めます。
Nソウルタワーの展望台上から眺めるソウルの街なんて綺麗なのでしょうけれど、入場料がかかるので今回は行きません。
宗廟の北側に隣接して昌徳宮(チャンドックン)があるので行ってみましょう。
昌徳宮は朝鮮王朝の宮殿として使われていた建物であり、宗廟同様に世界遺産に指定されています。
道すがら、路上に「トースト」の露店が出ていました。
ひとつ2000ウォン(約200円)です。
ちょうど朝食を摂りたいと思っていた折です。
ベンチに座っていただきます。
できたてアツアツで、美味しそうです。
卵焼きを挟んであり、食パン内側にケチャップを塗ってあります。
卵焼きの中には、細かく切ったキャベツが入っていました…。
ケチャップとキャベツの甘さが際立つ味で期待したのとは違いましたが、概ね満足です。
韓国のトーストを食べてみたいと以前から思っていたのです。
いつの間にか昌徳宮の入口を通り越して、昌徳宮と同じ敷地内に立つ昌慶宮の門前に来ていました。
営業時間外とか以前に、定休日でした。
隣の昌徳宮もお休みみたいです。
ともかく近くにある恵化駅まで行こうと思ったのですが、この道沿いの街がどうも発展しているというか、お店なんかが多いんですね。
好奇心を煽る街並になってきました。
学生さんらしい若い女性の姿がちらほら。
通学中でしょうか。
どうもこの先に私立大学の成均館(ソンギュンガン)大学校があるみたいです。
道理で若い人ばかり歩いているし、道筋が学生街っぽいんですね。
成均館大学校と言えば朝鮮時代以前の高麗時代から続く教育機関、成均館を前身とする由緒ある大学です。
以前私も『トキメキ☆成均館スキャンダル(原題:성균관 스캔들)』って邦題はちょっと口にするのが恥ずかしいですがそういうタイトルの、朝鮮時代の成均館を舞台にした韓流ドラマを見ていたのです。
それで成均館のことは知っているんです。
「あのドラマの舞台になった成均館の跡地か~」と思うとロケ地巡りが好きな私の足は学生さんたちの後について勝手に進んでいくのでした。
「성균간대핵교(成均館大学校)」って書いてますね。
1398というのはおそらく朝鮮時代の1398年に現在に続く成均館の基礎が出来た、という創立年の意味なんでしょうね。
敷地内に入っていく学生さんたちがどことなく落ち着いていて賢そうに見えました。
劣等感を覚えました。
敷地内に入ることはためらわれましたので、門外から覗いております。
かつて日本で「ヨン様」の愛称で慕われた俳優のペ・ヨンジュン氏も成均館大学校に在籍していたそうです。
キャンパス近くの商店の軒先にブーケの自販機があります。
韓国の大学周りでは、このブーケの自販機が一般的なんですって。
卒業する先輩に後輩が贈ったり、進級する先輩に贈ったり、何かそういう習慣があるんですって。
学生街と食欲とは切っても切り離せません。
有名チキン料理チェーンの「KyoCyon Chicken」の店舗があります。
私も気になっていたお店ですけれど、営業時間前ですね。
外装が洒落てますね。
あとちょっとお高いらしいので、私の予算ではきついです。
ラーメン工房もあります。
ラーメンとドンブリの二大看板ですな。
しかし学生街のラーメン店にしては、ここもお高め。
ソウルは物価が高いんですね~やっぱり。
それとも成均館大学校の学生さんがリッチなのか?
「나가사키짬뽕(ナガサキチャンポン)」12000ウォン(約1200円)は気になります。
もっとも나가사키짬뽕はあくまで「長崎風」で韓国料理の짬뽕(チャンポン)の一種であり、本場長崎のちゃんぽんとは別物だと聞きます。
食べてみたい気はしますね。
成均館大学校界隈を歩いて街の雰囲気を味わいました。
このまま時間の許す限りソウル観光を続けます。
観光地巡りというより、こういう何気ない街歩きの方が最終日には気楽でいいですね。
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