小説:手間のかかる長旅

『手間のかかる長旅(110) 膳の作法。時子の確信』

作務衣の僧侶たちは部屋を去った。 時子(ときこ)たち一同はそれぞれ、車座になっていたままの位置にいる。 彼女たちの前にはそれぞれ、精進料理の膳が据えられている。 「よかったの?」 美々子(みみこ)が静かな声で言った。 一同は、美々子ではなくアリ…

『手間のかかる長旅(109) 精進料理を運ぶ僧侶』

時子(ときこ)たちは僧坊の一室で、車座になっている。 精進料理を待っている。 お坊さんが運んできたら陣形をどうするか決めよう、というのは東優児(ひがしゆうじ)の提案だ。 なら、お坊さんが来たときには優児が聞いてくれるだろう、と時子は期待した。…

『手間のかかる長旅(108) お寺には、精進料理を食べに来た』

如意輪寺境内にある僧坊のひとつで、精進料理がいただける。 入口で靴を脱いで、時子(ときこ)たちは、僧坊の内部に入った。 受付で案内を受け、枯山水の庭園に面した和室一間に通された。 部屋の最中にはテーブルも何も置かれてない、広々とした畳敷きの部…

『手間のかかる長旅(107) 暗い本堂。座り込むアリス』

靴を脱いで、暗い本堂に足を踏み入れた。 「あれっ」 中の風景に目が慣れてきた。 「アリス…?」 時子(ときこ)は恐る恐る声を上げた。 すぐ手前に、正面の御本尊に向かって、アリスが座り込んでいる。 その横に美々子(みみこ)が立っていた。 御本尊に向…

『手間のかかる長旅(106) ぽくぽくと鳴る木魚。アリスは先んじる』

山門内側で待っていた美々子(みみこ)たち先の三人と合流した。 「遅いぞ」 美々子は腕組みしている。 「理由も無しに急いで先に行くからでしょ」 町子(まちこ)は負けていない。 ヨンミは本堂を見ている。 東優児(ひがしゆうじ)は境内を囲む土塀の際に…

『手間のかかる長旅(105) 山門を目指す、時子と町子とアリス』

時子(ときこ)たちと同じバスから降りた年輩の女性たちが、ぽつぽつと間隔を置いて如意輪寺があると思しき方へ車道の勾配を登っていく。 六人はその後に続いた。 「何これ、結構歩く流れじゃないだろうね」 歩きながら、美々子(みみこ)は小さな声で懸念を…

『手間のかかる長旅(104) 六人は如意輪寺口で降りた』

路線バスは山道に入った。 時子(ときこ)は先日アリスと来て知っている。 間もなく、山中のバス停に着くのだ。 「間もなく如意輪寺口。間もなく如意輪寺口です。お降りのお客様は降車ボタンを押してください」 アナウンス声にうながされて、時子は降車ボタ…

『手間のかかる長旅(103) 皆で郊外へ』

運転手の女性が運転席に戻った。 「お待たせいたしました」 車内に低音のアナウンス声が響いた。 時子(ときこ)たち一同、よく待っている。 時子の背後で、美々子(みみこ)が小さくうなずいている気配がある。 「如意輪寺方面行き、間もなく定刻発車いたし…

『手間のかかる長旅(102) 路線バスの中で待つ』

停留所に来た目的の路線バスに、時子(ときこ)たちは乗り込んだ。 この駅前の停留所が始発で、如意輪寺方面に向かうのだ。 時子たち一行の他にもバスを待っている乗客は何人かあった。 中高年の女性ばかりだ。 スーパーの袋に榊、仏花などを入れて携えてい…

『手間のかかる長旅(101) おおらかになだめる時子』

時子(ときこ)たちは、駅前のバスターミナルにあるバス停で、バスを待っている。 土曜日の午前中である。 先日アリスと二人でアルバイトの面接に出向いた帰り、如意輪寺(にょいりんじ)という寺に寄った。 その帰り、友人たち皆で再び如意輪寺に来ることを…

『手間のかかる長旅(100) 次のお参りを考える』

時子(ときこ)はアリスと二人、如意輪寺の本堂を後にした。 帰る時間だ。 冷たい風の吹いている、境内に出る。 時子は、身じろぎした。 山門の方に向かう。 「お坊さん、会えなかったね」 時子はアリスの方を振り返った。 当寺にはアリスの知り合いの僧侶が…

『手間のかかる長旅(099) お寺泊の余地』

時子(ときこ)は座ったまま不安な面持ちで、横に座るアリスを眺めている。 アリスは上の空で、目の前の本尊に視線を向けていた。 彼女は少し前に、この本堂に泊まりたいと漏らした。 時子には寝耳に水の話だ。 面接の帰りに、時子はちょっとした寄り道のつ…

『手間のかかる長旅(098) 本堂で過ごす』

絨毯の敷かれた床の上に、時子(ときこ)とアリスは座り込んだ。 目の前には本尊の威容がある。 二人で、この本尊を眺めている。 如意輪寺の本堂の中は、天井にランプ照明が灯っているばかりで薄暗く、静かだった。 外では境内を吹く風の音がしている。 しば…

『手間のかかる長旅(097) 本尊を鑑賞する』

如意輪寺の境内にいる、時子(ときこ)とアリス。 夕暮れどきの寒さの中で、二人はお寺の建物に入ることにした。 たとえ寒くても、もうさっさと帰ろう、という気は二人にはなかった。 先ほど、食品工場での面接で即日採用を告げられたばかりで、気持ちが高ぶ…

『手間のかかる長旅(096) 境内で、寂しさの募る二人』

面接を終えた後の、リクルートスーツ姿のまま。 時子(ときこ)とアリスの二人は、その寺の山門の前に立った。 森の中の広い敷地を、土塀が囲んでいる。 その土塀の最中に、古くて大きな山門があった。 年季が入った木造の建築である。 その山門には「如意輪…

『手間のかかる長旅(095) 山間の寺に向かう二人』

念のため、工場最寄りのバス停で時刻表を確認したが、帰りのバスは遅くまである。 もう夕暮れ時だが、例の寺に行ってしまおう。 時子(ときこ)とアリスは、そう語り合った。 例の寺。 それは以前、アリスがテレビ番組の仕事でロケをした寺である。 今二人が…

『手間のかかる長旅(094) 面接で消耗した時子』

時子(ときこ)とアリスは、二人でバス停に立っている。 面接を終えて、時子は放心状態だった。 「大丈夫?」 アリスが気遣ってくれる。 だが、当の時子はうなずくのがやっとだ。 余裕で面接を潜り抜けたアリスには、わからない気持ちだろう。 本当に、辛か…

『手間のかかる長旅(093) 二人で流れに乗る面接』

食品工場内のオフィスにある、応接室である。 突然入口の扉が開いて、辛抱強く待つ時子(ときこ)とアリスを驚かせた。 ソファから腰を上げるアリス。 彼女に習い、時子も半ば反射的に立ち上がった。 応接室の中に、三人の人物が入ってきた。 いずれも、男性…

『手間のかかる長旅(092) 事務所に入り込んだ二人』

時子(ときこ)は不安な気持ちでいる。 工場の建物に入り、玄関口で履物を脱いだ。 スリッパに履き替えて、アリスと二人、階段を登る。 面接会場である事務所は、建物二階にあるようなのだ。 二階に来た。 事務所入口前に、「入室前にアルコール消毒してくだ…

『手間のかかる長旅(091) 二人で郊外の工場に向かう』

職業安定所で見つけた食品工場の求人に即日応募して、その翌日。 時子(ときこ)とアリスは、バスの車内で座っている。 二人とも、普段着慣れないスーツ姿で身を固めていた。 バスは郊外に向かっていた。 郊外には工場地帯があって、そこに件の食品工場もあ…

『手間のかかる長旅(090) アリスの見つけた求人』

昼時、職業安定所から出て、時子(ときこ)はアリスと連れ立って歩いた。 結局、応募したいと思える求人には出会えなかった。 「明日も来ようね」 落ち込んでいる時子に、アリスは横から静かに言った。 彼女も、これと言った求人は見つからなかったらしい。 …

『手間のかかる長旅(089) こまめな助言のアリス』

アリスの笑みを、時子(ときこ)は絶望的な気持ちで見返した。 「たぶんそんな仕事は最初からないよ」 自分にできそうな仕事なんて、思い浮かばない。 時子の表情を見て、アリスは頬をふくらませた。 「何を言う。何かしらある」 「ないと思う」 「あるよ。…

『手間のかかる長旅(088) 職業安定所に突入したアリスと時子』

お寺で、アリスは僧侶に「宗論」を仕掛けたらしい。 時子(ときこ)には宗論が何かはよくわからない。 だが、その響きは何か物騒なものを感じさせる。 テレビ番組の企画で、アリスは、お寺に宗論を仕掛けるように仕向けられた。 アリスにとっては、その経験…

『手間のかかる長旅(087) 話題を探す、無趣味な時子』

アリスと二人で歩きながら、時子(ときこ)は話題を探している。 アリスは「タレントの仕事は頓挫した」と語った。 ついこの間まで、彼女はそのタレントの仕事で生計を立てていたはずだと時子は思う。 えらく急な話だった。 そうした個人的な話を掘り下げる…

『手間のかかる長旅(086) アリスと二人で待ち合わせる時子』

時子(ときこ)は、もやもやと不明瞭な夢を見た。 いつもは鮮明な夢を見ることの多い時子だ。 昨夜の夢は不明瞭で、ただ悪夢でなかったことだけが幸いだった。 ここ最近、悪夢に悩まされる夜が多いからだ。 目覚まし時計のアラームに起こされて、時子は掛け…

『手間のかかる長旅(085) 支えられ、帰路につく時子』

時子(ときこ)はテーブルの上に潰れて、酔いが醒めるのを待っている。 苦しい。 彼女がそうしている間にも、向かいの席でアリスはさらなるおかわりを頼んでいる。 アリスへのおかわりを届ける際、女性従業員は同時に湯飲み茶碗に入れた緑茶を持ってきてくれ…

『手間のかかる長旅(084) アリスに脅され、優しい町子』

アリスのグラスを強奪してバーボンをあおった時子(ときこ)である。 今やテーブルの上に突っ伏して、酔い潰れている。 「時ちゃん、大丈夫?」 テーブルの向こうで、町子(まちこ)がしきりに気にしていた。 時子は、酒を飲み慣れていないのだ。 少量のバー…

『手間のかかる長旅(083) 深酒はいけない』

アリスは隣の町子(まちこ)の肩に、右腕を回している。 上機嫌で、時に町子の頬に接吻する。 町子はその都度もがく、だがアリスは逃がさなかった。 「うふふふ」 笑いながら町子にすぼめた唇を近づけて、音をたてて接吻する。 「ちゅっ」 「もう、本当にア…

『手間のかかる長旅(082) お酒の好きなアリス』

件の喫茶店の奥、いつものテーブル席。 時子(ときこ)と町子(まちこ)は、一人酒を飲むアリスに、素面で付き合っている。 時子に飲酒の習慣はない。 昼間から、バーボンをストレートにして、グラスから美味しそうに舐め取っているアリス。 彼女のことを、…

『手間のかかる長旅(081) 荒ぶるアリスに、眉をひそめる』

この一週間で時子(ときこ)と町子(まちこ)が通い慣れた、例の喫茶店に来ている。 「お酒くださいにゃ」 全員がテーブル席に落ち着き、例の女性店員が瞬間移動してくるなりアリスは大声をあげた。 「お酒が欲しい」 「ちょっとアリス、喫茶店にお酒はない…