『手間のかかる長旅(002) お昼のこだわり』

時子(ときこ)も町子(まちこ)も共に決断は早い方なのだ。

昼食をとろうとやって来た飲食店街が勤め人と学生でにぎわっているのを見ると、二人して「こだわりはやめよう」とささやき合った。

今日は各飲食店が客で混む時間帯にぶつかってしまったので、食べたいものへのこだわりを早々に捨てなければお昼にはありつけない、と踏んだのである。

「空いてるお店があればもう、すぐ入っちゃうね?」

町子の念押しに時子はうなずいて返した。

異論はない。

人の流れに従って、二人は歩いた。

どこも混んでいる。

ファーストフード店、喫茶店、ファミリーレストランなどが目立つ目抜き通りから細い脇道を通り抜けて、各種の飲食店が立ち並ぶ裏通りに出てきた。

異なる何種類もの食べ物の強い香りが、様々な方向から流れてきて時子と町子の鼻先をくすぐった。

通りからの挨拶のようにさえ思えるあからさまな香りに、二人とも顔を見合わて笑う。 人の流れがこの通りに集まっている。

道を行く人たちは扉の開いた店々の入口から、あるいはガラス窓越しに中をうかがい、客の入り具合を確かめては思い思いの店に吸い込まれていくのであった。

時子と町子も同じ作法に従って、飲食店を目にする度に中を確認しながら通って歩いた。

客たちが狭い店内で長いすに腰掛けて、あるいは入口付近に立って居心地悪そうに順番待ちをしている店を見ると、二人は足早に通り過ぎた。

この裏通りでも、客で混んでいる店ばかりだった。

10軒、15軒、と飲食店前を通過する。

次第に町並みから飲食店の数がまばらになっていき、二人は町外れに至りつつあることを実感した。

同じように店を物色しながら歩いてきた他の通行人たちが、空いている店を探すことをあきらめたのか、きびすを返して来た道を戻っていく。

彼らは待ち時間を我慢してでも、食べたいものを食べるつもりなのだ。

時子は、特にこの通りで食べたいもののこだわりはなかった。

心にある「うぐいすぱん」が食べたい気持ちはあったのだが、飲食店街に町子と入ってきた時点で、そうしたこだわりは保留している。

美味しそうと言えば店先から美味しそうな香りを漂わせてくる全ての店の食べ物が美味しそうだ。

カレー、エビフライ、とんこつラーメンの力強くわかりやすい香り。

また、わざわざ通りに向けて送風でもしているのかと勘繰りたくなるほど、鰹節のいい香りをさせている讃岐うどんの店もある。

食べたいもので決めようと思っても迷って決められないのだから、基準を店の空き具合に決めた方がいいのだ。

「この店から向こう、住宅地っぽくなってお店もなさそうね…」

一軒の喫茶店の前に立ち止まって、町子は言った。

彼女の言う通り、飲食店の入った商業ビルが多く並ぶ通りから、一般の住宅が目立って並ぶ界隈にさしかかっていた。

「この喫茶店でいい?」

通りの最先端に位置する、最後の喫茶店前に、二人は立っている。

ところどころ外壁に変色した箇所のある、あまり新しくもなさそうなビルの1階にある店だ。

「いいよ。しかし空いてるのかしら」

怪しんだ時子が、通りに面したガラス窓越しに中をうかがう限り、テーブル席についている客の姿はなかった。

キッチンを囲むように設置されたカウンターの端の席に、男性が座っているのが見える。

外からは一人しか客の姿は確認できない。

「すっごく空いてるけど、ここでいい?」

もう一度確認する町子は小声だ。

「いいよ。最初からそう決めてたんだし」

返す時子の声も少しばかり小声になる。

でもそれはほんのちょっぴり不安になったからで、臆したわけでは決してない、と時子は自分に言い聞かせた。

二人とも、決断は早いのだ。

こだわりを捨てた二人は、喫茶店の店内に踏み込んだ。

 

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「こだわり」の心理 自分の救いになる人、自分の障害となる人 PHP文庫

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