『手間のかかる長旅(008) 鼻歌の生まれる才能』
河川敷は苦手だ、と思いながら時子(ときこ)は町子(まちこ)を伴って土手の上を歩いていく。
うつむきがちである。
代わって町子は食事を終えてからこれまで、野良犬の一件を経ても代わらず上機嫌でいる。
よく空を見上げるし、土手下の河川敷にも目配りぬかりない。
時々鼻歌を歌ってさえいた。
時子の知らない曲である。
なんだかいやに朗らかな曲である。
天気のいい、過ごしやすい昼下がりの土手の上にはそんな鼻歌がふさわしいのかもしれない。
こういう楽しげな曲をいくつも知っていて、その時々に奏でられるのは才能だ、と時子は思った。
と言うのも時子はあまり歌を知らないし、たとえ町子のような親しい友人が相手でも、人前で鼻歌を歌うなどということは恥ずかしくてできない。
自分ができないことを軽々とやってしまう人の行動は、何もかもその人が特別な才能を持っているから可能なのだと思えてくる。
「そうそう鼻歌が歌えていいね」
時子は羨むような皮肉るような、自分でも釈然としない気持ちで言った。
町子は不思議そうな顔で時子を見た。
「鼻歌は誰にでも歌えるよ」
「歌えない人もいるの」
「どうして?」
町子は疑ってもいない。
「歌を知らなかったり、歌うのが恥ずかしかったりだよ」
「でも、歌いたいときには歌の方から自然に出てくるでしょう?」
才能のある人はいつもこういう言い方で才能の無い者をいたぶるのだ、と時子は思った。
真に受けてはいけない。
彼女の言葉を借りるなら、歌の方から自然に出てこないのは自分に才能が無いことの証明である。
「出てこないよ」
いつも何かに心を奪われて、歌が生まれる余裕などない。
「歌いたくても何にも出てこない」
「歌いたいのね?」
町子が目ざとく問いかけてくる。
そう改めて問われると、時子も意外な気持ちだった。
「少しだけ」
「それじゃあ、一緒に歌ってみる?」
町子は笑顔で誘いかける。
こういうところに屈託がない。
「嫌だよ恥ずかしいよ」
素直に誘いに乗れるほど、時子は素直ではなかった。
適度に自尊心を曲げられるだけのしなやかさに欠けることは自覚している。
それを軽率だと言うなら、軽率になってもみたかった。
「時ちゃんの恥ずかしがり屋」
少し呆れたように言って、それから町子は、また鼻歌の続きを歌い始めた。
朗らかで優しい曲調なのだ。
耳を傾けながら、自分が歌えないなら黙って彼女の歌を聞いているのが合理的だ、と町子は思った。
ただ、後で独りきりになったとき、この歌を思い出して真似して歌ってみようかとも思うのだ。
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