『手間のかかる長旅(011) 果てなく続く中洲の上で』
川の流れに揉まれ磨かれて、小さくなった玉のような石が集まって、川原はできているのだ。
時子(ときこ)はその上を歩いている。
靴裏にあたるそれらの石の感触は、硬いのか柔らかいのかはっきりしない。
歩こうとすると歩ける、ということだけは確かだ。
滑りもしなければ引っかかりもせず、無難な歩き心地である。
邪魔をされないうちに、と思う。
夢の中が不安定なのは時子もわかっている。
今は周囲に何の不穏な気配もないが、そんな一時の平和はあてにはならない。
急げ急げ。
時子は歩みを早めた。
中洲は果てなく続いているように見える。
雲に覆われた遠くの空の下まで続いている。
腕を振って歩いていく時子の傍ら、右手の川の水面にぶくぶくと泡沫が上がり始めた。
時子は歩きながら、ちらりと脇に目をやる。
濁りきってその深さも定かでない川の水面が、音をたてて弾けている。
その下で、何か大きな影がうごめいているのが見えた。
時子は息をのんだ。
全身に鳥肌が立つ。
歩いていた場所からさらに飛び退くようにして、走った。
泡立っている水面は次第次第に後方に離れていく。
安心した。 が、少し気が早かった。
今度は、今いるすぐ左の川の水面が泡立ち始めている。
やはり泡の下に大きな何者かの影がうごめいていた。
「やーっ」
思わずあげた悲鳴は喉の奥で押し殺されてくぐもり、若い女性らしくない低さだった。
「やーっ」
もう一度叫んでみて、これが本当に私の声か、とうんざりするほど雑味のある響き。
時子は悲しくなった。
けれども立ち止まっているわけにはゆかず、走る。
走って逃げながら視線を左右に走らせて、時子は心臓を強い力で鷲掴みにされたような気持ちがした。
よくないものを見た。
彼女が今走っている中洲から、川をいくつか隔てた先の別の中洲に、何かが立っている。
はっきりと直視はできないので、その姿ははっきりしない。
ただ時子の第六感に基づくと、その得体の知れない何かは一体だけではなかった。
左右の川向こうの中洲、その向こうの中洲、さらにその向こうの中洲、といくつもの中洲に同じ姿の者たちがたたずんで、走る時子の方を見ているのだ。
恐怖で体が痺れる思いがした。
だが走る勢いで首を振って、曖昧に左右を確認することはできる。
第六感の通りだった。
いくつもの中洲に、おびただしい数の正視に堪えない者たちがたたずんでいる。
しかも、彼らは見ているに留まらず、そのうちの何体かがじわじわとこちらににじり寄ってさえいた。
「やーっ」
張り詰めて、明らかに別人の声が喉から出た。
時子を求めてにじり寄ってきていた化け物たちの一体が、中洲から手前の川にせり出している。
ざぶり、と川に入り、そのままこちらに進んできた。
川面に立った激しい泡立ちの下からも化け物たちが現れ、その正視に堪えない本体を時子に披露し始めた。
時子は走りに走った。
が、中洲は果てなく続き、彼女を取り巻く化け物たちの包囲網は次第次第に狭まっていく。
ついに彼らの一団は時子のいる中洲に殺到した。
「やーっ」
もう、それが自分の声なのか彼らの声なのか時子にはわからない。
異質な声が、何度も何度も、空間に響き渡る。
脇から手が伸びてきて、よろめきながら走っている時子の、足首にかかった。
時子は転んだ。
石の中に肩から飛び込んで、うつ伏せに倒れた。
立ち上がろうともがく間もなく、時子の体は引きずられていく。
足首をつかまれたまま、川の中に引きずられるのだ。
「やめて、やめて」
必死に上半身をねじると、川の中から長い腕が自分の足元まで伸びているのが見えた。
川面には、泡を吹き出しながら頭部だけをのぞかせ、こちらを見ている二つの眼があった。
それは瞳の無い眼だった。
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