『手間のかかる長旅(012) 言を違える友と野良犬』
背中で引きずられる感覚と、自分の悲鳴。
時子(ときこ)は全身でもがいた。
もがきながら目を覚ました。
体が下にずるずると引きずられていく。
「やっ」
視界のいまだはっきりしない目を足元に向けた。
足元に何かいる。
犬だ。
野良犬が時子の下手に体を潜ませている。
傾斜に四肢を踏ん張り、そのうえで時子の右の靴先に噛み付いて、彼女を引きずりおろそうとしていた。
そうしながら、しっぽを振っている。
時子は脚をばたつかせて抵抗した。
ばたつかせている間は野良犬はその口を靴から離すのだが、落ち着くとまたかぶりついて引きずりを再開する。
きりがない。
「やめなさい」
時子はあえてつくった厳しい声で怒鳴りつけた。
野良犬は、驚いたらしい。
その口を時子の靴先から離してのけぞり、怯えた顔を見せた。
しばし時子の顔色をうかがう気配を見せる。
時子が依然にらみつけているのを確認して、こちらに尾を見せて土手の斜面を降りていった。
心傷ついた様子もなく、軽快な足取りである。
それを見送る時子の方は、全身汗びっしょりになっていた。
先ほど見た悪夢と、ただいまの野良犬との死闘のせいであった。
あのような不気味な悪夢を見たのも、寝ながら引きずられたせいなのかもしれない。
心地よい午睡を楽しんでいたはずが、とんでもない惨事になってしまった。
こんなはずではなかった。
昼寝を勧めた連れの町子(まちこ)に、時子は守られていたはずだ。
はっとして時子は周囲を見回した。
土手の斜面、時子が今お尻をつけている芝生の左側上手数メートルのところに、町子がいる。
体をこちら側に向けて、横向きになって寝ている。
両手をその顔の下に敷いて、たしなみよく眠っていた。
目を閉じて、幸せそうな顔である。
時子はため息をついた。
自分が彼女よりも数メートル下手にいるのは、それだけあの野良犬に引きずられたのだ、と思う。
野良犬が近辺にいるのがわかっている場所で、町子にそそのかされるままに昼寝などしたのはうかつだった。
体を確認したところ、噛まれた形跡も痛みもない。
引きずられるぐらいで済んでよかった。
時子は、のろのろと力なく這い登って、町子が寝ている傍らに来た。
「町子さん」
彼女の体を揺さぶった。
町子の唇の端から透明なよだれが流れ落ちた。
しかし起きない。
「町子さん」
自分は寝ないと言った癖に、と苛立ちをぶつけるように少し乱暴に揺さぶった。
町子は口元で小さくうめいたばかりで、目を閉じたままである。
時子は彼女の寝顔を見下ろしながら、またため息をついた。
仕方なく、口元のよだれをハンカチでぬぐってやった。
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