『手間のかかる長旅(014) 警官に感情的になる時子』
警官立会いの場で、時子(ときこ)は眠り続ける町子(まちこ)を揺さぶった。
「町子さん」
ゆさゆさ。
「町子さんたら」
ゆさゆさ。
起きない。
町子は、揺さぶられながら、今度はかすかに眉間にしわを寄せただけだった。
途方にくれて、時子は警官の方をすがるように見た。
「起きないんです」
警官は、冷徹な目で見返しているばかりだ。
何を疑ってこの警官はこんな目で私を見るのだろう、と時子は思う。
泣きたくなった。
「さっきから起こそうとはしてるんですけど…」
言い訳する舌がもつれる。
警官はそんな彼女の様子をさえじっと見ているのであった。
まるで、実験動物を観察するような態度だ。
恐怖と羞恥心にさいなまれて時子は警官の目線を避け、頭を垂れた。
町子の顔に視線を落とした。
自分が追い詰められているのに、眠り続ける友人がうらめしい。
「あなた、本当にその彼女の友人なのかな?」
警官が唐突に口を開いた。
時子は反射的に相手の顔を見る。
彼の表情は変わっていない。
それでいて時子の返答を待っている。
不可解な問いを投げておきながら。
「どういうことですか」
「その眠っている女性とあなたは面識はあるの?」
質問の意味がわかりかねた。
「あの、面識は、私たち友人同士です」
「それ、信じてもいいのかな」
警官の口ぶりに悪びれるところはない。
時子は呼吸が苦しくなる。
「嘘はついてません」
「ふうん」
警官は短く言った。
腑に落ちない、という空気を匂わせている。
「あなたが嘘をついてるかどうかはわからないんだけど、いろいろ気になるところもあるんでね」
この警官は何が言いたいのだろう。
土手下の斜面で。
町子は眠り続け、起きない。
自分はそんな彼女の横に座っているだけの友人である。
それだけの状況で、なぜこの警官はこちらにつきまとうのだろう。
どういう権利があってこういうことをするのだろう。
「嘘はついてません」
「それはもう聞いた」
警官は厳しく言い捨てた。
「じゃあ、もう向こうに行ってもらえませんか」
声が震える。
怖かった。
だが、もうそこまで言うしかなかったのだ。
「それはできない」
時子の感情的な言葉にも、警官は態度を変えなかった。
「土手下で女性が意識を失っている。その横に友人を自称する女がいる。そういう状況を、そのままにはしておけないのでね」
時子は、一瞬、顔が熱くなるのを感じた。
「彼女は寝てるだけです」
我慢ができなくなって、叫んでいた。
「町子は、川のせいで、眠りが深くて、起きられないだけ。もうあっちに行って」
時子は絶叫した。
もう何年も声を荒げることのなかった時子である。
絶叫してしまった。
興奮さめやらないまま、ここまで追い詰められた自分が、何か汚されたような気持ちになる。
涙が出た。
「あっちに行ってってば」
時子の叫び声を立て続けに浴びて、警官は片眉を上げた。
しかし依然としてその冷徹な眼差しは変わらない。
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