『行列で聞くラーメンの歌』

「ラーメンラーメン」 

目の前に並んでいる中年男性が歌を歌っている。 

人気ラーメン店に入るため、行列に並んでいる義雄(よしお)は、その中年男性の歌に耳を傾けた。 

行列は長い。 

50メートルの長きにわたって続いている。 

「長い細麺つるつるつる~」 

大きな声である。 

上機嫌な歌声である。 

このおやじはよほどラーメンが好きなのだろう、と義雄は思った。 

義雄はと言えば、特別ラーメンが好きなわけでもない。 

ただ週末の余暇に、人気店の味とやらがどんなものか試してやろう、ぐらいの好奇心で来ただけなのだ。 

「背脂こってりスープがぶがぶ~」 

中年男性の歌は続く。 

確かに、今回のラーメン店のスープには豚の背脂がふんだんに使われることで有名である。 

ちっ、と舌打ちする音が行列のあちらこちらから聞こえる。 

長い行列で待たされる群衆は、殺気立っている。 

その中で、歌を歌う中年男性の存在は浮いている。 

まったく場の空気を読まない態度、と言ってもいい。 

「厚切りチャーシューぷりっぷり」 

歌を聴く義雄の脳内で、これから食べるラーメンの面影が鮮明になり始めた。 

中年男性が歌うラーメンの姿は、義雄があらかじめ調べてきた目的のラーメンの情報に一致する。 

もしかしたら、と義雄は思う。 

このおやじは、歌を歌うことによって、行列に並びながら脳内ではすでに目的のラーメンを味わっているのではないか。 

なんとうらやましいことだろう。 

「煮卵、もっちり。ぷりぷりもっちり~」 

「…っるせえな」 

中年男性の歌に反応して、義雄の背後で毒づくのが聞こえた。 

義雄は緊張した。 

行列は円滑に流れず、待たされる客たちのいらだちは極度に高まっている。 

上機嫌で能天気で調子外れた中年男性の歌いぶりは、そんな客たちから反感を買っている。 

おやじの歌に共鳴さえできれば皆でいち早くラーメンを楽しめるのに、と義雄は思う。 

だがそんな感受性を人々に強要するのも難しい。 

人気ラーメン店の行列に並んでいるのが、ラーメン好きとは限らないのだ。 

「長い細麺つるつるつる~」 

あっ、また細麺をすすっている、と義雄は思った。 

それと、背後からペットボトル瓶が飛んできて義雄の背中に当たるのが同時だった。 

「あいたっ…」 

「くそおやじ、馬鹿声で歌ってんじゃねえよ」 

甲高い罵声が響いた。 

中年男性を狙って投げられた瓶が誤って義雄を直撃したらしい。 

非難を込めて後ろを振り向いた義雄の目が、敵意を秘めてこちらを見る無数の視線をとらえた。 

義雄は息をのんだ。 

義雄の前で歌っていた中年男性も罵声に反応して、何気なく後ろを振り返っている。 

敵意のこもった多くの視線にさらされても特に感情を表すことなく、彼は前に向き直った。

 「おネギしゃきしゃきオネーギン~」 

歌は続いている。 

その平常心を失わない様子に、義雄は感銘を受けた。 

「うるせえって言ってんだろ」 

先ほどとは違う位置からの罵声である。 

誰かが口火を切れば、群集の動きは一方向に流れる。 

まずい、と義雄は思った。 

体が強張る。 

「ラーメンラーメン」 

「おやじ、黙らないとぶっ殺すぞ」 

激しい罵倒であった。 

そんな物騒な言葉にすら行列の皆が同調する空気である。 

中年男性の歌を容認する人間は、義雄をのぞいてはその場にいないらしい。 

うかつにラーメンなど食べに来てとんだことになった。 

「厚切りチャーシューぷりっぷり~」 

「おじさん、ちょっと」 

義雄は小声で呼びかけながら、中年男性の肩を指先でつついた。 

中年男性は無表情に振り返った。 

「あの、おせっかいかもだけど、歌うのやめた方がいいっすよ」 

中年男性は、わずかに首をかしげる。 

それ以上の反応を義雄に返すことなく、彼は前に向き直った。 

「背脂こってりスープがぶがぶ~」 

駄目だ、と義雄はため息をつく。 

中年男性は、もはや矮小な人間の存在など気にも留めていない。 

彼は、ラーメンとのみ心の交信ができる現代のシャーマンなのだ。 

「馬鹿おやじ黙れ」 

数メートル先に並ぶ男が、振り返りざま中年男性に空き缶を投げつけた。 

空き缶は目標を外し、義雄の鼻先を打った。 

「いたっ」 

「おネギしゃきしゃきオネーギン~」 

逃げよう、と義雄は覚悟を決める。 

もう、ラーメンを楽しく食べる雰囲気は永遠に失われてしまった。 

「おじさん、俺、別の店に行きますよ」 

中年男性にひとこと断ったが、彼は気にせず歌い続けている。 

 

義雄は行列から抜けた。 

行列のできる店のラーメンは惜しいが、血を見てまで食べる気にはなれない。 

店の近辺を離れ、そこから車道を隔てた反対側の歩道にまで逃げてきた。 

行列では、中年男性に物を投げつけたり小突こうと手や足を繰り出してうまくいかず、殺気立った者同士で誤って攻撃し合っている。 

中年男性が依然として歌い続けるのを横目に、一部群集は乱闘を始めた。 

義雄が危惧した通り、暴動が始まった。 

義雄は行列ができる店と暴動に背中を向けて、最寄り駅方面に向かった。 

来る途中に小さな中華そば店があるのを見ていて、確かその店内は空いていたのだ。 

美味しくなくてもいいからまったりした店で麺類を食べよう。 

歩きながら、あのおやじは無事に美味しいラーメンにありつけるだろうか、と義雄は中年男性の行く末を思った。

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