『箱を押し付けてくる男性』
無防備な自分にも原因はある。
「おい、ちょっと。おい、ちょっと」
義雄(よしお)がコンビニの窓ガラスの前で、立ったままおにぎりを食べていると、声をかけてきた者がある。
小柄な高齢の男性であった。
血色の良い、にこやかな丸顔である。
落ち着いた色の和服を着て、身なりがいい。
両手で何か、風呂敷で包んだ小さな箱のようなものを持っている。
男性は、駐車場の方を向いておにぎりを食べている義雄の、その脇に迫っていた。
近い。
「な、何ですか」
義雄の声はうわずった。
食べているときに他人に声をかけられるのは気まずい。
さらに自分には立ったままおにぎりを食べている負い目がある。
焼き明太子の入ったおにぎりである。
「おい、ちょっとちょっと」
「だから何ですか」
「あのねえ」
にこにこしている。
「この箱をもらってくれよ」
男性は、箱を義雄の脇腹に突きつけた。
「いや、ちょっと待ってくださいよ」
義雄はおにぎりを食べている最中なのだ。
右手は海苔とご飯粒のせいで粘り気があるし、口の中でもまだ咀嚼しているのだ。
今、そんな風呂敷包み入りの箱をもらうもらわないの話はできない。
「すみませんけど、俺、いま食事中なんすよ」
「この箱もらってくれよ」
「いや、ちょっと、すみません」
義雄は困惑した。
男性はなおも、箱を押し付けてくる。
義雄の方にはそんな箱をもらういわれはない。
「これ何の箱なんですか」
「細かいことは気にするなよ」
初めて言葉が通じた。
しかし、それはやんわりとした拒絶だ。
男性は何が入っているか伝えもせずに、それを義雄に押し付けるつもりでいる。
「困りますよ」
「この箱もらってくれよ」
「弱ったなあ…」
義雄は弱りきった。
右手にはまだおにぎりの残りを持っている。
どうやって男性を退散させようか、そんな考えもまとまらない。
そのとき、目の前数メートル先を、横切っていく者が一人あった。
学校帰りらしい、地元の高校生女子である。
青色のナップサックを背負い、神経質そうな顔をして、足早に行く。
彼女は、ふと店舗すれすれに立っている義雄と高齢男性の方を見やって、片方の眉をわずかに上げた。
客観的に見ればさぞ奇妙な光景だろう、と義雄は思う。
「おい、ちょっと。おい、ちょっと」
何を思ったか、男性は高校生の方に向かっていった。
いけない、と義雄は思った。
「なんですか」
高校生は立ち止まって男性の方に向き直った。
その顔は、無表情である。
「あのねえ」
男性はいまや義雄にその小さな背を向けている。
だが、おそらくにこにこしているらしいことは義雄にも想像できる。
「この箱もらってくれよ」
高校生の方に箱を差し出した。
彼女は直立したまま、その箱を見ている。
「何です、これ」
「この箱もらってくれよ」
「これ何が入ってるの?」
「細かいことは気にするなよ」
義雄はそれ以上おにぎりを食べることもままならず、固唾を飲んで見守った。
「これ、私が受け取ったらおじいさんはどうなるの?」
「元いたところに帰るよ」
高校生はわかったようなわからないような顔をしている。
「この箱もらってくれよ」
「私がもらっていいの?」
「いいんだよ」
高校生は、両手で箱を受け取った。
「じゃあ、もらうね」
「ありがとうよ」
男性は高校生に向かって、何度もお辞儀をする。
小箱を受け取った高校生は、両手でそれを持ったまま、また足早に歩き始めた。
コンビニの前を通り過ぎていく。
男性はお辞儀をしながら高校生を見送った後、義雄の方には目もくれず、コンビニに入った。
おにぎりか何か買うのだろう。
肩透かしを食らったような気はしたが、ともかくことは見届けたのだ。
義雄は、自分の焼き明太子おにぎりを食べ終え、その場を後にした。
一週間後の通勤電車内である。
「見知らぬ男性から古代中国の銅鏡拾得、市内の高校生女子」という見出し。
スマートフォンでインターネット上の地元ニュースを見ていて、義雄は目を見張った。
コンビニの前で高齢の男性から箱を受け取った高校生は、帰宅後に中身を確認。
銅鏡の姿を認めて、自分が通う高校の社会科教師に相談し、ことが発覚したらしい。
男性の素性は依然不明だが、銅鏡自体は極めて貴重なものだと報じられている。
義雄はため息をついた。
そんな扱いの難しいものを受け取らなくて俺は幸運だった、と思う。
同時に、面倒ごとに巻き込まれた件の高校生女子の幸せを彼は祈った。
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