『小さなことで腹を立てる奴』
真理(まり)はファーストフード店のテーブル席に、一人でいる。
テーブル上に教科書とノートを広げ、自習している。
試験期間中なのである。
午前中に今日の試験を終え、来店して食事した。
それから今まで真理はねばっている。
明日も試験があるのにも関わらず、学習がはかどらない。
いらいらしていた。
彼女の背後で、男子高校生二人が無神経な大声でずっと談笑しているのだ。
制服から見て、真理と同じ学校の生徒らしい。
体格からすれば同級生だろう。
彼らも真理と同じく試験期間中であるはずだ。
しかし見たところ、彼らは教科書も何もテーブルの上に出していない。
試験中にも関わらず彼らは談笑しに来店して、長時間真理の背後で騒々しく居座っている。
真理はいらいらした。
しかし雑談に夢中の男子生徒たちには、背後にいる彼女の密かないらだちなど伝わらない。
「どこにでもいるんだ。何でも小さなことで腹を立てる奴が」
「いるいる。面倒くさいよな」
生徒たちは気楽な調子で話している。
真理は拳を握り締めた。
「なんとも思ってないこっちの言葉を勝手に誤解して、逆恨みとかしやがってさ」
「あるある。面倒くさいよな」
あいづちを打つ生徒は、嬉しげに手拍子を叩いている。
真理は唇を噛んだ。
「そういう奴に言いたいんだよ。お前みたいな奴は一生自分の家にでも閉じこもってろってよ」
「まったくまったく。そう言いたいよな」
真理は椅子を蹴る勢いで立ち上がった。
「貴様らあ」
真理は、すぐ後ろの席で喋っていた男子生徒の襟首を上から捕まえた。
「わっ」
後ろにいた生徒は驚いて椅子から転げ落ちそうになる、だが真理が襟首をつかむ力は強い。
彼を手元に引き寄せて、椅子から転げ落ちさせなかった。
「な、何すんだよあんたは」
向かいの席で、さっきまであいづちを打っていた方の生徒が怖気づいた声をあげる。
騒ぎを見て、周囲の席の女性客が何人か、時間差を置いていくつかの悲鳴をあげた。
うっとうしい。
真理の怒りはますます煽りたてられる。
「貴様ら、あたしの悪口言ってただろう」
手元に引き寄せた男子生徒の顔に向かって、真理はほえた。
「な、なにがですか」
「何でも小さなことで腹を立てる奴ってあたしのことだろう」
「ち、違います」
喉元を締め上げられて、男子生徒は涙目になっている。
「貴様、嘘つくな貴様」
自分よりひとまわりは大きな男子生徒の体を、真理は怒りに任せて振り回した。
男子生徒の腕やら足やらがテーブルと椅子を打って大げさな音をたてる。
「誰か来てえ」
誰かが悲鳴をあげ、店の従業員を呼び寄せようとする。
店のマネージャーらしい男性が走ってきた。
彼は自分の体を無理やり真理と男子生徒の間に割り込ませた。
男子生徒を、かばうように真理から引き離すことに成功した。
「ちょっと待ってちょっと待って」
マネージャーは早口に言いながら、真理を落ち着かせようと彼女の体を押さえつける。
「貴様、邪魔するか」
逆上した真理は負けていない。
マネージャーの胴体を押し返した。
吹っ飛ばされて、彼は後ろの床に背中から叩きつけられる。
「あたたたた」
男子生徒よりさらに体格に優れる成人男性を、たやすくはねのけてしまったのだ。
周囲で見守る他の客たちの顔に、恐怖の色が浮かぶ。
真理の体は自由になった。
再び真理は男子生徒の姿を目で探す。
いない。
よく見ると、彼はテーブルの下にいた。
心神喪失して、ぐったりしている。
真理に締め上げられ、振り回されたあげくにもっさりとした体を横たえている。
泣きながら、荒い息をしている。
彼の友人も、離れた場所に立ちすくんで泣いている。
彼らの姿を見て、真理は頭に昇った血が急速に体に降りてくるのを感じた。
怒りに飲まれて、同級生に暴行を働いた。
私は何てことをしてしまったのだ。
しょげている真理の肩を、後ろからマネージャーの男性が優しく叩いた。
「まあまあ。やってしまったことは仕方がないよ」
慰める調子であった。
「すみません」
先ほどまで怒号をあげていたのとは別人のような弱々しい小声で真理は言った。
「これからは、心を広く持って生きるんだ」
「すみません」
「時代錯誤かもしれないけど、僕は女の子は女の子らしくした方がいいと思うんだよ」
「すみません」
店内で乱暴狼藉に及んだ手前、真理は言い返せない。
真理のしおらしい態度を見て、マネージャーは得意顔である。
「そんな怒りっぽいままだと、将来お嫁に行けないからね」
真理の頭に血が昇った。
「僕も手の早い女の子はちょっと」
「貴様の知ったことかあ」
マネージャーの体を投げ飛ばしながら、明日の試験は駄目だ、と真理の最後の理性はもうあきらめた。
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