『お白湯で妄想する寒い夜』

熱いお白湯をふうふう吹いて飲みながら、私は考えている。

たまには美味しい玉露のお茶を淹れて、舌の上をころころ転がしてから飲みたいな、などと。

しかしだ。

今は最低お白湯は飲むことができるのだから、まだいい。

しかしそれがかなわなくなったらどうする?

例えば水が今以上に貴重なものになったらとしたら。

喉が渇けばお湯を沸かす、そして飲む。

というわけにはいかなくなるのだ。

水を飲めるのは一日に二度、朝晩の食事のときだけだ。

水が貴重だから料理を煮炊きするのも難しく、食事は二度だけなのだ。

当然、使用後の食器を洗う余分な水などない。

食器は外に行って、専用の砂を使って汚れを落とすのである。

食事を済ませたら、喉が渇かないうちに寝てしまうに限る。

風呂でゆっくり入浴?

そんな習慣はもう五百年も前に途絶えた。

体の汚れが気に食わなければ、外へ行って砂でこそぎ落とすばかりだ。

毎晩風呂に入って体を洗うような贅沢をできる人間は、もう地球上にはいない。

四百年前までは、日本人は水と燃料に恵まれた、幸福な民であった。

その幸福な民の暮らしはもはや伝説となり、今や土地の古老の昔語りを通して知ることができるばかりである。

「茶、というものがあったそうな」

今にも消え入りそうな熾火を焚いたばかりの、貧しい囲炉裏である。

薄暗いその周囲を、古老と村の子供たちが取り囲んでいる。

古老は、貧しい熾火のうえに五徳を設け、その上に鉄瓶を乗せて湯を沸かしていた。

「じじ様、茶とはなあに?」

子供の一人が尋ねる。

顔を洗うことなどまれなこの子供は、汗と泥と鼻水がこびりついた顔をしている。

真っ黒な顔の中で、丸い目が好奇心にらんらんと輝いている。

「茶というのはな。お白湯に入れて飲む粉じゃ」

「粉なの?」

「そうじゃ。お白湯を茶碗に入れたあと、茶の粉を溶かして飲むと、舌もとろける美味であったという」

「いいなあ」

お白湯も満足に飲めない薄汚れた子供は、涙ぐんだ。

「旨いだけではないぞ。茶を飲めば、どんな病もたちどころに治ったという言い伝えじゃ」

「へええ、いいなあ」

家族に重い病人のいる子供が、ため息をついてから言った。

水が貴重になると、公衆衛生は悪化し、不潔で皆すぐに病気になった。

「いずれにしろ、遠い昔の幻じゃ」

長いこと熾火であぶり続けた鉄瓶がようやく蒸気を吹き上げる。

古老は緩慢な動作で鉄瓶を取り上げ、子供たちのために小さな湯のみ茶碗にお白湯を注いでまわった。

子供たちは、それぞれの湯のみを嬉しそうに取り上げる。

「火傷せんようにゆっくり飲みなさい」

自分の分まで、今日の割り当て分全てのお白湯を子供たちに振るまったので、古老は今夜は冷たく心細い夜を過ごさねばならない。

だが、それでいいのだ。

一杯のお白湯で、子供たちが明日まで元気でいられるのなら。

どうせ自分はもう長くない。

だが旅立つ前に一度、わしも幻の茶とやらを味わってみたいのう、と古老は密かな渇望を覚えていた。

 

こうやって妄想を文章にしながら、私は二杯目のお白湯を飲もうかどうか迷っている。 底冷えする夜だ。

お白湯はいくらでも飲める。

せっかくだから、水と燃料が豊富なうちに、お白湯を楽しんでおこう。

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