『感傷的な彼女と冬の藤』
こんなところにこんな公園があったのか、というような公園を発見した。
家の近所である。
確かに近所をくまなく歩いたことはない。
人生では、学校へ行ったり職場へ行ったり、定まった道を行き来するだけ。
盲点は多い。
それにしてもこんな近くに大きな公園があって、気付かないとは。
今日子(きょうこ)は、信じられない気持ちだった。
休日は家にいることが多い今日子である。
だが家にばかりいても色々と気が滅入るので、近所を散歩していた。
その結果、公園を見つけた。
ちょっと中を探検してみよう、と今日子は思った。
小高い山の麓にある運動公園で、池があって、児童向けの各種遊具がところどころに設置されている。
山への登山道もあって、山の上には周遊路が設けてあるらしい。
周遊路を散策すれば、四季折々の草花と風景を楽しめる…とある。
公園の入口で、今日子は案内図に見入っているのだ。
楽しみになってきた。
たまに自然の中を歩くと、気分転換になっていいかもしれない。
山上の周遊路に向かおう、と思った。
公園の中を歩いている。
午前中で日は高い。
公園内には子供たちと、彼らを遊ばせている家族の姿があった。
小さな子供の姿を見ると、今日子の気持ちがなごんだ。
思い思いに散らばって遊んでいる子供たちの間を、彼らにぶつからないように気をつけながら縫って歩く。
公園の中を突っ切って、山すそに来た。
急な斜面に樹木が絶え間なく生えている。
登山道の入口を見つけた。
丸太を横に渡した階段を、今日子はゆっくりと登り始めた。
普段、あまり運動をする方ではないので、たまに段差を上がると息が上がる。
じっとりと汗も出た。
今日子は顔の汗をハンカチで拭いながら登山道を進む。
木々に囲まれて、日差しはさえぎられている。
日陰の下で、静かだった。
自分が落ち葉と枝を踏みしめる音と、風の音がしている。
時折、下から子供たちが遊ぶ声がまばらに届いた。
その声も遠い。
誰ともすれ違うことなく、人の多い公園の近くなのに、自分だけが別世界にいるようだ。
しばらく登ると、分かれ道があった。
案内板には左に展望台、右に藤園と書いてある。
春には、藤の花が楽しめるのだろう。
でもこの季節に藤の木を見ても寂しいだろうな、と今日子は思った。
寂しい冬の藤棚。
そう独り言を言ってみると、なんだか今日子はそれを見たくなってしまった。
藤の木だって春だけを生きているわけではない。
誰も見に来ない藤園を、自分が見てやらなくては。
自分は、藤の木の本当の理解者だ。
手前勝手な使命感が湧き上がってくる。
展望台を後回しにして、今日子は分かれ道を右手に進んだ。
藤園は、寒々としていた。
登山道の脇に台地がつくってあって、藤棚が設けてある。
藤棚には、とっくに花を失った藤の木が枝をからみつかせて、生きている。
藤棚の下には、漆喰で固められた白いベンチがある。
今日子はそのベンチの下に腰を下ろした。
持っていたトートバッグを、傍らに置く。
上を見上げた。
藤棚にからみつく、ささくれだった枝。
痛々しい、と今日子は思った。
ここは、春には大勢の見物客でにぎわうに違いないのだ。
艶やかで、棚からたわわにあふれる藤の花。
その花を失えば、誰も見向きもしない。
冬の藤の枝を見上げながら、感傷的になった今日子は涙を流した。
自分もいつかはそうなるのか、と思ったのだった。
近くで物音がした。
顔を下ろすと、いつの間にか、今日子のすぐ前に子供が立っている。
5歳ぐらいだろうか。
女の子だ。
おかっぱ頭の、目のくりくりとした可愛い子だ。
今日子を見ている。
今日子は、涙を袖でぬぐった。
「お姉ちゃん、悲しいの?」
女の子は言った。
「うん、そうだよ」
声を出すのがやっとだ。
恥ずかしい、と思った。
「どうして?」
「いろいろあって、悲しいの」
何もかも藤のせいにするのは藤に悪い、と思う。
「じゃあ、悲しくないように遊ぼうよ」
女の子は、にこにこと笑って言った。
どうしよう、と今日子は一瞬躊躇した。
女の子はベンチの上に置いてあった今日子のトートバッグを手に取った。
「追いかけっこしよう、お姉ちゃん」
風のような速さだった。
バッグを持ったまま、女の子はその場から駆け出したのだ。
「あ、やめて」
今日子は叫んだ。
慌てて立ち上がり、女の子を追う。
藤棚の下から出て、段差のある登山道を必死になって走る。
しかし女の子は速い。
息もつかせず、その背中は見えなくなった。
どうしてあんなに速いのだろう。
息が切れる。
走った。
足がもつれ始める。
危ない、と思った。
だが体は夢中で走り続ける。
とうとう今日子は、山の反対側の、展望台に着いた。
登山道の脇に東屋が設けられている。
木のベンチがある。
木々が開け、眼下の街を望むことができた。
だが、今日子のトートバッグを持った女の子は、どこにもいない。
疲れきって、今日子は東屋のベンチに座り込んだ。
死にたくなった。
気分転換をしにきて、冬の寒々しい藤を見て泣いて、子供にバッグを取られた。
涙が出る。
だるくなって、ベンチの上に今日子は身を横たえた。
疲れていた。
今日子は、そのままうとうとして眠りに落ちた。
目が覚めた。
日が落ち始めている。
腕時計を見ると、午後3時をまわっていた。
帰ろう、と思い体を起こす。
ふと横を見ると、さっき女の子が持ち去った今日子のトートバッグがあった。
ベンチの上に、寝かせて置いてある。
上には、たくさんのどんぐりと椎の実が乗せてあった。
今日子は、あの女の子の細やかな心遣いをそこに見た。
新品価格 |