『心を読む、おうどんの達人』

おうどんおうどん。 

おうどん大好き。 

おうどんを食べよう。 

などと鼻歌まじりに歌いながら、うどん店のおやじがうどんを茹でている。 

よっぽどうどんを茹でるのが好きな人なのだな、と義雄(よしお)は思った。 

改札を出てきたばかりの義雄の鼻先に、鰹節の香りが優しく漂ってくる。 

駅構内である。 

立ち食いうどんの店だ。 

改札を出てすぐのところにある。 

カウンターの前に柿渋色ののれんがかかっている。 

のれんの向こうに立ってうどんをすする客たちの背中と、カウンター内でうどんを茹でるおやじの白い法被が見えている。 

義雄は魔法にかけられた気持ちになって、ふらふらと店に歩み寄った。 

のれんをくぐってしまった。 

香りと熱気が義雄の顔にかかった。 

「いらっしゃい」 

中年のおやじ一人でやっている店のようだ。 

おやじは一人でうどんを茹でたり、客にできあがったうどんの丼を出したり、手際がいい。 

カウンターの前に立って、何食べようかなあ、と義雄は思った。 

おなかが空いている。 

なんとなく店に吸い込まれてしまったが、義雄は用事があって、これから友人の家を訪ねていく途中だった。 

ゆっくりはしていられないし、それに友人宅で何かごちそうになるかもしれない。 

軽めにさっとうどんを一杯食べていこう、と義雄は思った。 

「えへへ、お客さん、そうはいかないよ」 

カウンター内で立ち働いていたおやじが、義雄の方を見て訳知り顔で言う。 

義雄の背中に戦慄が走った。 

心の中を読まれた。 

「うちの店はあ、おうどんを嫌になるほど食わせる店だぜ」 

おやじは自分の背後を、ぴんと立てた右手の親指で示した。 

なるほど、店舗奥の壁際に設けられたステンレス製の棚に、大量のうどんが積んであるのが見える。 

「うどんがいっぱいありますね」 

義雄は思わず言った。 

「そうだよ。うちはね、お一人様三玉は基本でお出ししています」 

とおやじは言う。 

「三玉?」 

「おうどんのひとまとまりがひと玉なんでね。それがみっつ」 

通常のうどん一杯分に使われるのがひと玉、だとすれば単純に言って三杯分。 

それはちょっと多いな、と義雄は思った。 

なにしろこれから友人と会うし、会ったら会ったで酒を飲んだり何かこってりしたものを肴にするのは決まっているのだ。 

義雄もその友人も、酒好きだし健啖家なのである。 

「だったらなおのこと、俺のおうどんを食べてもらわんといけないな」 

おやじは得意そうに言った。 

なんでそうやって他人の心が読めるのだ、と義雄は疑問に思う。 

もしかしたら、ひとつの職業を極めたおやじというのはえてして、そうした勘に優れているのかもしれない。 

目の前にいるおやじには、どこかしらうどんの扱いを極めた風格がある。 

客の顔色を見て適したうどんを提供するぐらいのことは、こなしても不思議ではない顔だ。 

他の客たちは、自分のうどんをすすりながら、おやじと義雄のやり取りをそれとなく見ている。 

「だけど、何を食べたらいいのかなあ」 

義雄は、おやじを試すつもりで、上目遣いにおやじを見ながら言った。 

カウンタの中を忙しく動きながら、おやじは目を細めて義雄の顔を見返す。 

「そうだね、お客さんは…しらす天のおうどんとかどう?」 

しらす天のおうどん。 

義雄の心が動いた。 

しらす天と言えば、以前義雄は静岡でしらすの天ぷらを食べて、感激したことがあるのだった。 

過去の記憶を読まれたか? 

「えへへへ」 

おやじは笑う。 

「それって、おいくらですか」 

「一杯500円いただきますよ」 

500円、おやつにしてはちょっとかさむな…と義雄は眉をひそめた。 

かけうどんなら300円以内で済むだろう、と思って店に入っている。 

「まあ、そう言わずに一度食べてみてよ」 

下手に出るような調子で言われては、義雄も断りづらかった。 

「じゃあ、それください」 

「しらす天のおうどんね?

「はい」

「よろこんで」 

威勢よく言って、おやじは義雄の分のうどんを茹でにかかった。 

くるりと身を翻して背後の棚から素早くうどんを三玉。 

「おいしいおうどん、ぷりぷりおうどん」 

小声で歌いながら手先でぽんぽんとジャグリングをするように宙を舞わせる。 

左手に持ったてぼに、うどんを三玉、ぽいぽいと飲み込ませた。 

てぼは、さすがに三玉をゆでるだけあって大きいものだ。 

三玉分のうどんが入ったてぼを、流れるような動きで、大釜の中に差し入れる。 

煮立ったお湯の中をくぐらせること数秒。 

あらかじめだし汁を仕込んだ丼の中に素早くうどんを滑らせ、横から取り出したしらすの天ぷらをふたつと刻みねぎをひとつかみ、その上に乗せる。 

「お待たせしました、しらす天のおうどんだよ」 

おやじはカウンター越しに、丼を義雄の目の前に置いた。 

だしの香りと、しらす天の香ばしい油の香りが混ざり合って義雄の鼻腔をくすぐる。 

しらす天うどんは、見た目にもごつかった。 

分量の多いうどんが盛り上がっている上に、天ぷらの塊ふたつと刻みねぎの山である。

 義雄のおなかが鳴った。 

箸立てから、割り箸を取り出す。 

手先で二つに割った。 

「いただきます」 

義雄は、うどんに襲いかかった。 

ぷりぷりである。 

ゆで具合は絶妙で、柔らかめである。 

さして噛まずとも適度に崩れるので、するすると喉に流れた。 

これは三玉は余裕だ、と思った。 

うどんをすする合間に、しらす天を取ってかじってみる。 

おそらく作り置きであろう…とは思うのだが、さくさくの衣も中に詰まったしらすの柔らかい食感も、申し分ない。 

旨い。 

鰹と昆布のだしが利いた温かい汁を、義雄はゆっくり味わうようにしていただいた。 

友人宅にたどり着いた義雄だが、しらす天うどんの余韻が抜け切らない。 

思った通り友人の好きな焼酎と各種の肴で乾杯となったが、義雄はどこかうわの空なのだった。 

「おい義雄、お前腹減ってないのか?」 

友人は義雄の杯に焼酎を注ぎながら、心配そうに顔をのぞきこむ。 

義雄の箸があまり進んでいない。 

「駅の中で、うまいおうどんを食べてきたんでな」 

しらす天のおうどんを思い出して、義雄はよだれを垂らしそうになった。 

もし帰りに店がまだ開いていたら、もう一杯おうどんを食べてから帰ろう、と思った。

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