『林道を集落まで歩く』

ぼやぼや歩いている間に、山奥に来てしまった。

林の間を縫って、半ば獣道のような、草木にあふれた林道が通っている。

道の幅は、あってないような程度の幅だ。

車も通れない。

長太(ちょうた)はそんな道を、狐に化かされたような気持ちで歩いている。

歩いてきた経緯ははっきりしているのだが、山間を歩いている自分が現実離れしているように感じられる。

 

歩いてくるつもりはなかった。

社用で人に会わなければならなくなった。

ところが、その相手が住む集落というのが山奥にあり、しかも最寄りバス停がその集落からずいぶん手前にある。

駅からタクシーに乗ってきたらよかったのだが、路線バスを使う方が経済的だ、などと思って長太はバスを選んでしまった。

最寄りバス停から目的の集落までの距離もさほどではないとたかをくくっていた。

樹木に囲まれた道路脇のバス停に長太は降ろされ、そこから車道をずいぶんと歩いた。

歩き出してから、自分が目測を誤ったことを知った。

地図上の距離はたいしたことがなくても、山中の道はとにかく迂回するのだ。

ようやく目的の集落へ抜ける林道を脇に見つけ、今は狭いその道を歩いている。

山中はひんやりとして、寒い。

季節柄、厚手のスーツを着ていてよかった。

ただ砂利と泥まじりの土でできた道を足元に気をとられながら歩いていると、体温が上がりじんわりと汗が出てくる。

これは後になって体が冷えるぞ、と長太は顔をしかめた。

なんでこんなところを歩いているのだろう。

人に会うためなのだ。

林道の両側は樹木とその合間に生い茂る潅木と草とであふれている。

潅木は道にもせり出してきて、長太の腕、腰などを横から擦っていく。

スーツに草の汁でもついたら嫌だ、と思うのだがどうしようもなかった。

普段人が使っているにしては、草深い道だ。

本当に道の先には集落があるのだろうか、と怪しく思い始めた頃に道が尽きた。

草木が開けて、林の中に広がりができている。

樹木の合間に、トタン葺き屋根の民家が三つ見えた。

長太は息を飲んだ。

木々の合間に消え入りそうな集落である。

広がってくる木々に侵食されながら、かろうじて生活空間を保っているようだ。

人の気配はあった。

手前の家の玄関が開け放たれていて、ラジオの音声が聞こえている。

プロ野球中継を聞いているらしい。

長太は民家に近づいた。

家屋の玄関脇に掲げられた表札を見る。

会う約束をした人物の名前と一致した。

「ごめんください」

ラジオの音量に負けない程度に声を張った。

家の中で、がさごそと動く気配。

長太はもう一度呼びかけた。

家の中から、男性の声が応じる。

ゆっくり、気配が動いてくる。

玄関に降りてきた。

ずいぶん高齢の男性である。

腰が曲がっていて顔にも皺が多いが、受け答えはしっかりしている。

人が訪ねてくることもまれな集落にいて、その身なりは立派だった。

彼は長太の勤め先の、取締役の一人だ。

挨拶の後、男性にひと通り業務についての報告を行う。

長太は携えたビジネス鞄の中から書類を取り出した。

男性に署名捺印してもらう。

書類をしまい、礼を言って、その場を辞退した。

相手の男性は特に名残り惜しそうな素振りも見せず、長太を見送った後、玄関の奥に戻っていく。

長太は、帰路についた。

また、草木に埋もれそうな林道と車道を歩くのが辛い。

バス停についても、運行本数の少ない路線なので、復路のバスを長時間待つことになる。

ベンチもないので、それまで立ったままでいなければならない。

 

 

こんな役回りは、できればこれっきりで御免こうむりたいものだ。

長太はげんなりした。

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