『夕暮れ時に迷う路地』

知らない街をやみくもに歩いていたら、いつの間にか迷子になっていた。 

当然、土地勘はない。 

この土地には、見たことのない風景を見ようと思って日帰りの旅に来た。 

道に迷って今、見ている風景は、確かにこれまで見たことのないものだ。 

だが、それを楽しむ余裕はなかった。 

入り組んだ細い路地沿いに古い民家が立ち並び、さらに界隈のそこかしこに寺がある。 

寺の敷地にはだいたい墓地が隣接している。 

道を歩いていても柵越しに墓石なり卒塔婆なりが見えるのだった。 

夕暮れ時、狭い路地で道に迷って、夕焼けに照らされる墓地ばかり見せ付けられる。 

心細い気持ちである。 

もう帰ろう、と気は焦るのだが界隈から抜け出せない。 

さっきからずっと、道を抜けて大きな通りに出ることを期待している。 

それなのに、抜けた先にはまた民家と民家の隙間を通る細い路地があるばかりだ。 

方向感覚はすでになくなっていた。 

空腹だし喉も渇いているのだが、界隈には飲料の自販機も見当たらない。 

いったいどういう土地なのだろう。 

いくら何でも、あまりに入り組んでいるので住んでいる人たちだって道に迷うはずだ。 

地元の人にすれ違ったら道を聞こうと私は思うのだが、不思議と誰も通らない。 

静かである。 

さらに、自動車も入ってこれない路地なのだ。 

私が歩く靴音だけが響いている。 

他人の気配もない。 

民家の中には人もいるのだろうが、外にいる限りは意識されなかった。 

方角を訪ねる相手も見つからなくて、精神的に追い詰められる。 

叫びだしたい気持ちになった。 

 

忍耐強く何度目かの角を曲がった先に、商店が見えた。 

雑貨屋である。 

ガラス戸の内側に、人の姿がある。 

私は深々と安堵の息を漏らした。 

戸に手をかけて、内側に入った。 

「こんにちは」 

カウンターの内側に座っている高齢の女性に声をかける。 

小さくて、顔中皺だらけの人だ。 

90歳は超えているに違いない、と私は思った。 

入ってきた私の顔を細い目で見ながら、口をしきりに動かしている。 

無言である。 

道だけ聞くのも悪いかと思い、何か買っていこうと私は手近の商品棚を見た。 

なんだか何もかも色がくすんでいて、古そうに見える。 

菓子パン、スナック菓子などがある。 

他の棚には、缶入りのジュースが積まれていた。 

私はオレンジジュース1本とあんパンをカウンタに持っていく。 

女性は私の顔を見て、それから商品に目を落とした。

「300円」 

独り言のように、口の中でくぐもった声をあげる。 

私は代金を支払った。 

「あの、道を聞きたいんですがいいですか」 

無言で小銭をレジの中にしまっている女性に、間髪入れず聞いた。 

私の問いかけに、女性は無言のまま私の目を見返す。 

教えてくれるつもりがあるのかどうか、その無表情からは読み取れない。 

だがこの機会を無駄にするつもりはなかった。 

「駅の方に行きたいんですが、どちらに行けばいいでしょう」 

相手に聞こえやすいようにゆっくり、大きめの声で尋ねた。 

女性は口を小刻みに動かしている。 

「…駅やったら、店出て左の方」 

くぐもった小声だが、確かにそう聞こえた。 

「そうですか、ありがとうございます」 

頭を下げて、店を出た。 

左手に路地を進む。 

その方向を見失ってはいけない。 

あんパンとジュースをナップサックにしまい、私は歩いた。 

そろそろ日が落ち始めている。 

界隈には街路灯もないので、暗くなれば視界の頼りは住宅から漏れる明かりだけになるだろう。 

そんな時間になるまでには脱出したい。 

 

雑貨店を出てから、私は同じ方向を目指して歩き続けた。 

30分ばかり同じような路地を進んだ後、住宅の向こうから自動車が行き来する音が聞こえるようになった。 

嬉しくなって、角を曲がる。 

二車線の道路が目の前を走っていた。 

交通量もある。 

空は暗くなっていたが、道路沿いには照明がついていて明るい。 

ほっとした。 

道路沿いにはバス停もあった。 

時刻表を見て、駅の方に向かう便がまだ残っているのを確認する。 

ベンチに座ってバスを待つ間、私はあんパンとオレンジジュースのおやつを食べた。 

賞味期限の近いパンと、生ぬるいジュースだ。 

それでも迷いに迷った後だけに、それらは美味しく感じられた。

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