『チョコチップクッキーの投げ手』

空を切る音を確かに聞いた。

何か固い物体が、今日子(きょうこ)の右の頬に当たった。

「ひっ」

痛い。

今日子はのけぞった。

彼女の頬に当たったものはそのまま地面に落ちて、乾いた音をたてる。

路上で砕けていた。

クッキーか何か、菓子の破片が散らばっている。

茶色の生地の中ほどに、こげ茶色の小さな塊がいくつものぞいている。

チョコチップクッキーだ。

今日子は怯えた目で周囲を見回した。

誰かが、お菓子を投げつけてきたのである。

今日子は約束があって隣町の住宅街に知人を訪ねて来たばかりだ。

まさか痛い目に遭うとは思わなかった。

夕方の住宅地で、路上に歩いている人は今日子以外にはない。

立ち並ぶ住宅のベランダを見ても、洗濯物を取り込んでいる主婦が一人、いるだけだ。

その人物も自分の作業に忙しく、今日子にチョコチップクッキーを投げそうな様子には見えない。

どこから誰が投げてきたのだろう、と今日子は疑心暗鬼になる。

しばらく様子をうかがったがクッキーの投げ手がみつからないので、今日子は再び歩き始めた。

十歩も歩かないうちに、空を切る音がする。

とっさに音がする方を見た瞬間、今日子の左頬に痛みが走った。

「いたっ」

彼女の頬に当たったチョコチップクッキーは、落ちて細かく砕けた。

頬を押さえながら、今日子は二枚目のクッキーが飛んできた方向に視線を走らせた。

彼女の左側にある、住宅と住宅の隙間にある空間の奥に、小走りに駆けていく誰かの後ろ姿が見えた。

後頭部のポニーテールと、白いセーターの背中の形。

見覚えがある。

今日子の全身に緊張が走った。

まさか、と思う。

さきほど家を訪ねて談笑してきたばかりの、友人の背中に似ていた。

同じく彼女は白いセーターを着て、ポニーテールに髪を結っていたのだ。

だが、その彼女がよその家と家の隙間から、今日子にチョコチップクッキーを投げつけてくる理由が思い浮かばない。

背中の空似かもしれない。

頬に付いた菓子の破片を手で拭って、今日子は歩いた。

空を切る音。

右側頭部に軽い衝撃があり、今日子は小さな悲鳴をあげる。

チョコチップクッキーが道に落ちて割れ、散らばった。

三枚目だ。

今日子は首を回した。

彼女の右側にある住宅二階のベランダには、取り込まれない布団が干したままになっている。

その布団の向こうに、しゃがんで隠れる人の頭部が一瞬だが見えた。

やはり、会ってきたばかりの友人のような気がする。

今日子は、件の友人が信じられなくなった。

帰るときには笑顔で送り出してもらったし、自分に恨みがあるようには見えなかったのに、と思う。

これ以上チョコチップクッキーを投げつけられるのが怖くて、今日子は小走りになってその場を離れた。

何度か背後で空を切る音と地面で割れる音が聞こえ、自分の後頭部をかすめる菓子の気配も感じたが、住宅地を出るとそれもやんだ。

ようやく今日子は人心地がついた。

孤独な気持ちになりながら、今日子は自宅に向かって歩いている。

よくよく思い返せば、友人宅を訪ねた折に紅茶を出された。

お茶請けのお菓子がチョコチップクッキーだった気がする。

食欲が無かったのでお茶だけいただいてお菓子は辞退した。

それがいけなかったのかもしれない。

自分にすれば些細なことで、簡単に人からの信頼を失うのだ。

今日子は心細くなって、涙が出た。

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