『手間のかかる長旅(049) 肝心な瞬間は見えない』
カウンターの内側に戻る女性従業員を、時子(ときこ)は上半身をひねり、振り返って見ている。
件の従業員は、まるで瞬間移動するように、近づく気配を気取らせずに注文を取りに来る。
そう薄々思っていたところだった。
「瞬間移動の瞬間を見たの?」
上体をテーブルの向かいに座るアリスの方に戻して、時子は食い下がった。
「見た見た」
アリスは、渋い表情でうなずいている。
「私、あの女も怪しいと思って気をつけてたにゃ。凝視していたの」
「凝視してたら、何が見えた?」
アリスの隣に座って町子(まちこ)が合いの手を入れる。
彼女は口元に笑みを浮かべている。
「それは、瞬間移動の瞬間を見た」
アリスは得意そうに、歌うような調子で答えた。
「だからその瞬間はどんな具合だったのよ」
町子はじれて、アリスの顔をのぞきこんだ。
時子と町子で、アリスに迫らんばかりに身を寄せている。
アリスは二人の顔を見比べた。
「何の気配も感じさせず、このテーブルの横に来た瞬間に見た」
「空間を切り開いて出てきたの?」
「いやそこまでは知らないにゃ」
「じゃあ何を見たの」
町子はアリスの腕をつかんだ。
「何って、今までいなかったのにそこに来た瞬間を見た」
時子も焦れる。
「それはどういう」
「一瞬前にはいなかったところに立ってた、絶対」
「じゃあ結局、具体的に瞬間移動の瞬間の何かを見たってわけではないのね?」
町子はもはや呆れた声をあげている。
「お前たちは私を疑うのか」
アリスは町子の腕を振り払い、二人をにらみつけた。
「そうじゃないけど、凝視してたって言うから何か決定的な瞬間を見たのかと」
時子は慌てて弁解した。
「見たもん。まさに決定的な瞬間。瞬間移動」
アリスは言い張る。
時子と町子は、女性従業員が何もないところから出てきた瞬間をアリスが押さえたのかと期待したのだ。
「そうじゃなくて、何もない空中からぱっ、とあの人が出てくる瞬間を見たのかと」
「そのあたりは、第六感で感じた部分にゃ。目で見たのは、立ってるところだけ」
アリスは淡々と答えた。
彼女は彼女自身の主張によれば、第六感の持ち主なのだ。
期待が過ぎたせいで、時子も町子も思わずため息をついてしまっていた。
「私、嘘はついてないよ」
二人を見てアリスは憤慨する。
「わかってるよ。私たちも、あの店員さんは瞬間移動してるみたい、と思ってたところだから」
時子はフォローする。
「その通り。瞬間移動する女であるにゃ」
「お待たせしました」
アリスが時子に答えているところに、会話に上っている当の従業員が、飲み物とケーキをトレーに乗せて現れた。
時子が頼んだホットコーヒーとモンブラン、町子は同じくコーヒーと苺のショートケーキだ。
アリスのハンバーグランチは、まだ少し時間がかかるらしい。
礼を言って時子と町子が品々を受け取っている間、アリスは虚をつかれた顔で従業員の挙動を見守っている。
女性従業員は去った。
時子は目の前のケーキの皿を、満足して眺める。
夢のモンブランだ。
「アリスごめんね、先食べちゃうね」
町子は遠慮なく、早くも自分のケーキにフォークをつけた。
「そんなことよりもお前たち、今の見た?」
アリスは興奮気味の声だ。
「何をよ」
「間違いなくあの女、瞬間移動してるにゃ」
「今度は飛んでくる瞬間見た?」
「いや…。今度も見逃した」
頼りない声で言って、アリスは悔しそうに眉間に皺を寄せる。
やっぱり肝心な瞬間は見えないようになっているのだ、と時子は確信する。
ケーキに載った栗を小さく崩し、一片をフォークで口に運んだ。
美味しい。
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