『水だけを飲む生活』
もう何年も水しか飲んでいないので、かえって水以外のものを体が受け付けなくなっている。
仕事上の付き合いで出席した夜の会食から帰宅するなり、トイレに駆け込んで口にしたものを全て吐き出した。
食べたものを胃に収めている間、ずっと苦しかった。
やはり、駄目なのだ。
普通の食事は、栄養分が過剰だ。
それに、水を主食にするようになってから、自分の胃は大きな固形物を消化するのが不得手になっている。
思ったとおり、今吐き出したものは、ほとんど消化がされていなかった。
私は口を拭う。
口直しだ。
母屋の中を横切って、裏庭に面した縁側に出た。
裏庭の隅に、井戸がある。
庭に降り、私は井戸に近寄った。
丸い、石でできた井戸である。
その口は木製の分厚い蓋で閉じられて、その蓋の上に手押し式のポンプが設置されている。
手動で柄を押して、水を汲むのだ。
そのポンプも古いもので、私の父が物心ついた頃にはもうそこにあったと聞く。
未だに使えるのである。
私は、ポンプの細長い柄に両手をかけた。
下方に押し込む。
反動で柄が上がる。
さらにもう一度、押し込む。
ポンプの注ぎ口から、水があふれた。
注ぎ口の下に置かれたバケツに水が注がれる。
もうひと押し。
バケツは井戸水で満たされた。
井戸の蓋の上には私のグラスが置いてある。
私はグラスを手に取り、バケツから井戸水をすくった。
グラスを月明かりに透かして、中の水を眺める。
見た目は透明だ。
でも、これはただの井戸水ではない。
波打つ水面を見ていると、食欲をあおられる。
グラスに口をつけて、私は水を含んだ。
冷たい。
口の中で水の塊を転がしてみる。
舌にごくわずかな粘りを感じる食感だ。
さわやかな風味がある。
この井戸水を常飲するようになってからというもの、他の水との違いを認識できるようになった。
私は立て続けに井戸水を三杯、グラスに満たして飲み干した。
夕食として十分な量だ。
朝食も、この井戸水。
昼食用にも、水筒につめて職場に持っていく。
同僚の目があるので、水の他にレトルトのカップスープなどを食べるふりはしている。
でも、それらのスープ類はスプーンにひとさじふたさじすくって舐めるだけで、後は捨ててしまう。
この井戸水を飲んでいれば、栄養は足りるのだから。
もう何年も水だけで生活しているのだ。
健康状態も以前よりよくなった。
この水の価値を教えてくれたのは、今は亡き父だった。
周辺で湧出する水は全てうちの井戸水と同じ性質を持っていて、昔は地域の人は皆同じような井戸水を飲んでいたのだ。
でもこの水だけ飲んでいれば生きていけることを知っているのは、父だけだったらしい。
他に何も食べずに井戸水だけを飲み続けることなんて普通はしないから、誰も気付かないのだ。
父に聞いたところでは、土地には昔から不老不死の泉の伝説があって、それをきっかけに彼は井戸水の効能に気付いたという。
最近では井戸水は衛生管理の難しさから敬遠されるようになって、ご近所の人たちは遠くのダムから引かれてくる水道水を飲んでいる。
今も井戸水の生活をしているのは、私ぐらいなのだ。
この水の価値を他の人に信じてもらうのは難しい。
自分一人の身の上である以上、先祖伝来とはいえ庭付きの古い邸宅は重荷なのだ。
でも、井戸と一緒に生きるために、私はいつまでもここに住もうと思っている。
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