『最安値のガラケーを罵る』

本当に使いにくいガラケーだな、と思いながら自分の手の中の携帯電話をにらんだ。 

アパートの自室で、義雄(よしお)は畳の上にあぐらをかいている。 

携帯電話には必要最低限の機能さえあればいい、というのが義雄の考えなのだ。 

そう思い、携帯電話店で最安値の料金プランを伴って最安値の携帯電話を購入した。 

それからの数年、義雄はこの携帯電話を使い続けてきた。 

だが、とても使いにくい。 

それはいわゆるガラケー、つまりガラパゴス携帯と呼ばれる、古いタイプのものだ。 

液晶画面のついた上部パーツと入力キーのついた下部パーツを、真ん中で折り畳む構造になっている。 

画面に文句はないが、義雄はこの入力キーの方に不満がある。 

使いにくい。 

各キーを指先で押したときの、レスポンスが悪い。 

また各キーに割り当てられた機能の配置も悪いのだ。 

電源の起動に使われるキーに、通話を拒否する機能も割り振られている。 

その隣に、着信に応答するキーが配置されている。 

人から通話の着信があったとき、この応答キーの方を押さなければならない。 

しかし、義雄はとっさに隣の電源起動キーと応答キーとを混同する。 

その結果として電源起動キー、すなわち通話拒否キーの方をつい押してしまうのだ。 

そういうわけで失敗が起こる。 

かかわってきた電話を、意図せず拒否してしまう。 

 

しかしこれは自分がドジなのではなく、このガラケーのキーがユーザー無視の不自然な配置なのだ。 

そう義雄は思っている。 

今しがたも、職場の上司からかかってきた通話着信を拒否してしまった。 

それで、その後に改めてこちらからかけ直す羽目になったのである。 

上司としては用件があって電話をかけているのに、義雄に問答無用で着信を拒否されたかたちだ。 

かけ直した義雄は謝ったが、通話中の相手方からは常よりも微妙に距離感を感じたのだった。 

それも、この安物のガラケーがもたらした災いなのだ。 

自分がドジなわけではない。  

 

ガラケーの上下のパーツを開いて、その液晶画面を義雄はにらんでいる。 

「本当に使いにくいガラケーだな」 

義雄は口に出して罵った。 

どうしようもない憤りに駆られてのことだ。 

他人を呪うような自分の声が、狭い自室内に響く。 

罵声を浴びて、彼の手の中で、ガラケーが身をすくめたような気配があった。 

思わず義雄は口元に歪んだ笑みを浮かべた。 

何か、この使いにくいガラケーに一矢報いることができたような気がする。 

「この馬鹿」 

義雄はなおも罵った。 

ガラケーの表情が曇る。 

「なんだ、その顔は。お前が悪いんだろ」 

罵った。 

ガラケーは、抗弁しない。 

しかし、素直に義雄の罵りを受ける態度ではない。 

「使いにくい、馬鹿携帯の癖に」 

罵った。 

相手はどこか、罵る義男を非難がましく見返している、そんな感じである。 

「ちっ、なんだよお前は。反抗的な顔をしやがって」 

かっとなって、ガラケーのアンテナを、義雄は指先で弾いた。 

びくり、とガラケーは衝撃に身を震わせる。 

突然の仕打ちに、驚いて義雄を見る気配があった。 

あっ、と義雄は息を飲んだ。 

予想以上の反応がガラケーから返ってきたのだ。 

戸惑った。 

暴力を振るうつもりはなかったのに、反抗的な反応にいらだち、とっさに指が動いてしまった。 

義雄は、無言で相手を見た。 

ガラケーも、無言で見返している。 

いったん義雄の頭に昇った血が、体に降りてきた。 

冷静に考えれば、ガラケーのキー配置が悪いのは、キー配置を設計したエンジニアの責任である。 

最安値のガラケーは、最安値を求めるユーザー向きにつくられているのだ。 

そうやって生まれてきたガラケーに、罪はない。 

ガラケーを罵り、いたぶったところで、それはやつあたりだ。 

つい、やつあたりに手を染めてしまった。 

ガラケーは、無言で義雄を見ている。 

いたたまれなくなって、義雄は手の中のガラケーから目をそらした。 

「ごめんよ」

 小さな声を、やっとのことで絞り出した。 

依然、ガラケーが自分の横顔に冷ややかな視線を注いでいるのを、義雄は甘んじて受けている。 

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