『若者は運動公園でゾンビと化した』
宅配ピザの配達員として生計を立てている、隼人(はやと)という青年がここにいる。
彼の裏の顔は、ゾンビである。
ゾンビというのは、生ける屍のことである。
ゾンビの起源には諸説あるが、一般的には外国映画のいちジャンルとして、その存在が広まった感がある。
魂を持たない人々の肉体だけが、生命を求めて街をさまよい歩くのである。
最近になってゾンビの実物を目の当たりにした隼人も、彼らのたたずまいに魅せられ、とうとう自分がゾンビになってしまった。
そういう縁で、彼の裏の顔はゾンビなのである。
隼人としては、本当は表の顔もゾンビでありたいのだ。
しかし仕事中にゾンビになってしまうと、社会生活がたちゆかない。
それなので、オフのときに思う存分、ゾンビ化する。
今日は平日だが、ちょうど隼人の仕事のシフトはオフ日にあたっていた。
天気のいい日である。
思惑があって、隼人は市内の運動公園に出向いた。
乗ってきたバイクを駐輪場に止めて、隼人は公園の敷地内に向かった。
隼人はかなり緊張している。
これまでゾンビとしての経験はそれなりに積んできたつもりだ。
しかし、彼がゾンビ化するのは常に自室の中であって、人前にその姿を見せたことはない。
他人の目をはばかってゾンビ化ばかりしていて、そんなものが本当にゾンビと言えるのかどうか。
隼人は自分に疑問を持ち始めていた。
それとは別に、せっかくの板についたゾンビぶりを、他人に見せたい気持ちも強い。
他人の目の前でゾンビ化を遂げる。
またできることならば、一体のゾンビとして世の人々を震撼させたい。
保身を図るなら、友人か、勤務先の同僚たちの前でゾンビ化するのが一番安全だった。
でもそうした親しい人たちは、隼人の自尊心を傷つけまいとして、ゾンビぶりの出来に関わらず賞賛するに決まっている。
彼らの優しさに甘えそうになる自分を隼人は振り捨てて、この運動公園に来た。
本物のゾンビは、思考能力を持たない。
感傷も、自尊心も、ゾンビになった時点で無くなっている。
本格的なアスレチック遊具と、小さな子供向けの安全な遊具が園内に豊富にある。
そんな運動公園である。
芝生に覆われた広い敷地もあり、平日の午前中ではあるが家族連れの姿が目立つ。
ボール投げ遊び、フリスビー投げ遊びで盛り上がっている。
また滑り台、ジャングルジムで遊ぶ子供を、少し離れたところから見守る母親あるいは父親の姿もあった。
平和な眺めである。
これから一体のゾンビが、その平和をぶち壊しに行くのだ。
そう思うと隼人の背筋を戦慄が走った。
そのゾンビとはほかならぬ、自分だ。
迷いはあったが、もう後戻りはできなかった。
人目につく場所を選んでやろう、と思う。
広場の真ん中に隼人は躍り出た。
「あうううう」
苦しげなうなり声をあげて、隼人はゾンビ化を遂げた。
休日に公園に運動しに来た若い男が、不運にもたまたま広場の真ん中でゾンビ化してしまった、というのが隼人の設定だ。
他の人たちにもそう見て欲しい。
「あううう」
両手をだらしなく胸の前に垂れて、足を引きずって、目をつぶったまま力なく周囲を徘徊する。
きゃーっ、という複数の悲鳴が近くから上がった。
周囲で遊んでいた子供たちだ。
それが恐怖から出たものなのか、好奇心から出たものなのか、すでにゾンビである隼人は判断しない。
無心に徘徊するゾンビなのだ。
「あううううう」
「きゃああ」
小石を拾ってぶつけてくる子供がいる。
痛い。
「あうううう」
「ひろくん、あのおにいちゃんに近づいちゃだめだよ」
強張った声で子供に注意する、若い父親の声が耳に入る。
あのゾンビに近づくな、と言って欲しいところだ。
「あううううう」
「あれ通報した方がよくない?」
「ええ、でも何て言うの?暴れてる不審者?」
「わかんない」
どうしてゾンビ扱いしてくれないのだ、と絶望に陥りそうになる。
隼人は焦った。
つい周囲の声に耳を傾けてしまう。
いけない。
ものを見ず、声も聞かず、考えないのがゾンビの心だ。
心を無にするのだ。
中身を空ろにする過程で、隼人は広場をぐるぐると廻り続ける。
「ああうううう」
隼人は、真のゾンビとなった。
何も考えていない。
表情は死んで、生気のかけらもない。
「ほら見て見て、お母さんもゾンビ」
「きゃーっ。こわいよ」
隼人の真似をして遊ぶ親子連れが発生した。
平和な母子の心に、新たなゾンビの芽が宿った瞬間だった。
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