『ファミレスでもがく、辞書は重くて巨大でわからない』

真理(まり)は放課後、馴染みのファミリーレストランのテーブル席にいて、爪を噛んでいる。 

テーブルの上には来店時に注文したドリンクバー用のグラスと、勉強道具一式が乗っている。 

勉強道具の中に、紙製の巨大な英語辞書の姿もある。 

真理は高校生である。 

先日、学校で行われた試験で、彼女は英語科目で惨敗した。 

しかし公的な英語の検定試験を受けて合格すれば、その成果が英語科目の成績に加味されると英語科の先生が教えてくれたのだ。 

それなので、成績の挽回のために、真理はある検定試験を受験するつもりなのである。 

テーブル上の英語辞書は、いわゆる英英辞書というものだ。 

巨大で重くてあまり持ち運びたくない辞書だが、真理の自宅には勉強できる環境がないので、やむを得ず持ってきた。 

辞書は英語圏の国で出版されたもので、語彙の説明が英語学習者向けの簡単な英文で説明されている。 

しかし、英語が苦手である真理にとっては、その「簡単な英文」ですら難しい。 

件の検定試験の参考書に出てきた知らない単語を調べても、その英文の説明ではわからなかった。 

辞書のページを繰りながら、腹立たしい思いでいる。 

英語科の先生は英和辞書より英英辞書がいい、さらに電子辞書よりも紙の辞書の方がおすすめ、と言ったのだ。 

その言葉を真に受けたせいで、真理はどこで勉強するにも重くて巨大な辞書を携帯するはめになっている。 

しかも、中身がわからない。 

今、真理が調べたい単語は、「Overdose」だ。 

Overdoseって何? 

辞書の説明には、「If you take an overdose of a drug, you are taking more amount of that than is safe. 」とある。 

だからそのoverdoseってなんなのだ。 

真理は爪を噛んだ。 

その説明文を読んだ感じでは、「drug」を「overdose」したらそれは「more amount of that than is safe」になるのだという。 

文章の意味がピンとこなかった。 

「drug」が日本語の「ドラッグ」と同じだとすれば、薬品とか薬物のことなのだろうが、真理は確証が持てない。 

英語のdrugには日本語のそれとはまた違う意味があるかもしれないのだ。 

Drugの名詞の項目を引いてみる。 

「A drug is a chemical that...」とか「Drugs are substances that...」とか説明が英文で長々と載っていて、真理は泣きたくなる。 

Overdoseもdrugも頭の中で結びつかない。 

「英語なんか嫌い」 

思わずうめき声をあげて、両手で顔を覆った。 

気分を落ち着けたい。 

真理はテーブルの上から空のグラスを取って、通路に立った。 

ドリンクバーに向かって歩いた。 

 

ドリンクバーに行くと、先客がいる。 

背の高く体格のいい、大人の女性だ。 

長いチョコレート色の髪に、ウェーブがかかっている。 

彼女はドリンクのサーバーから、グラスの中ほどまでコーラを注ぎ、その上から今度は緑茶を注いでいる。 

変なことをする人だな、と思いながら真理は先客の背中を見ている。 

後ろで見ている気配に気付いたのか、先客が真理の方を振り返った。 

「あっ」 

真理は声をあげた。 

知った顔なのだ。 

「Oh, you. Hi」 

真理を認めて、若干気恥ずかしそうな笑顔を見せたのは、学校の先生だった。 

英会話の授業を担当している、海外から来たマリー先生だ。 

まだ若い人だが、日本に来てから日本人と結婚していて、もう国籍は日本人なのだと自己紹介していた。 

「You are Mari, aren't you?」 

マリー先生は片手にグラスを持ったまま、真理の方に向き直った。 

「イエス、イエス」 

週に一度だけ英会話の授業を担当している先生に、顔を覚えられていたとは。

 意外だった。 

「でもどうして私のこと覚えててくれたんですか?」 

英語が出ないのでじれったく、日本語で問い返した。 

「だって、あなたと私と同じ名前じゃないの」 

マリー先生もそう日本語で答えて、ほがらかに笑った。 

ああなるほど、と真理は思う。 

ファミレスで英語の辞書と格闘しているさなかに、自分と同じ名前の英会話の先生に出くわすとは、幸運だ。 

世間話を装って、さっきまでわからなかった単語について聞いてやろう、と真理は思った。 

バイザウェイ…」 

と真理は後ろに他の客が並んでいないことを確認しながら、小声で切り出した。 

「マリー先生、アイウォントトゥーアスクユーサムシング」 

「Oh alright. I am glad if I can help you. What is it?」 

「あのですね…」 

先ほどの単語が、頭の中でもやもやしている。 

オーバードース」 

Overdose? What about overdose?」 

マリー先生は目を丸くする。 

「マイディクショナリートルドミー、オーバードースイズ、アバウトドラッグ」 

「Ah, yes, you are right. Overdose is about drug. If you overdose on a drug, you will be in danger」 

「バット、ええと、薬だけ?たとえば、ここのドリンクを」 

真理はドリンクサーバーを指差した。 

「私がたくさん飲んだら、それはオーバードース?」 

「No, it isn't. The word overdose is only for drug. But...」

 

マリー先生は言い淀み、一瞬、ためらった。 

「イエス?」 

「But if you drink these pops too much…that makes you to pee」 

続きを小声で言った。 

それから、口元を押さえてなぜかクスクス笑う。 

「オーイエス?」 

よくわからないまま真理は曖昧に笑って、礼を言ってマリー先生と別れた。 

 

席に戻って、マリー先生の言った「pee」という単語を辞書で調べてみた。 

意味を知って、真理はじわじわと赤面する。 

ひどいマリー先生のせいで、試験に出そうにもない単語を覚えてしまった。 

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