『旧国道沿いでいただく稀な昼食』

おなかが減って倒れそうになりながら、長太(ちょうた)は歩いている。 

旧国道沿いの歩道を歩いている。 

午前中からの用事が長引き、自由になったのは午後2時半をまわった頃だった。 

それから30分ばかりも歩き続けている。 

食事ができる店がない。 

旧国道沿いには、農家らしい住宅がそれぞれ一定の間隔を置いて立ち、その合間に畑が広がっている。 

いくら歩いても、食堂も商店も、コンビニエンスストアすらも見えてこなかった。 

このあたりの人たちは自炊しかしないのだろうか、それにしたって買い物はどこでするのだろうか。 

自分たちで食べる食べ物は畑でまかなうのだろうか。 

そんなわけはないので、きっと自動車で遠くまで買出しにいくのだろう。 

長太は徒歩である。 

目的地までは最寄り駅から路線バスに乗ってきたのだが、帰りの便が来るまでまだ2時間以上もあるとわかり、歩くことにしたのだ。 

最寄り駅のある方向に歩いている。 

だが、その駅に着くまではまだかかる。 

駅の周辺に飲食店があるなら、そこで食事をとればいい。 

しかし、その駅の周辺も畑と水田で、長太は飲食店らしい飲食店を見た記憶がなかった。 

それなので帰り道で何か食べておきたいと思いながら、まだ果たせないのだ。 

 

歩いていて、歩道脇で盛り上がった畑の垣の向こうに、変わったものが見えるのに気付いた。 

歩道から少し奥まった空き地の中に立っている、小さなプレハブ住宅だった。 

その空き地の入口で、のぼりが1本、はためいている。 

歩いて、空き地のある場所にまで来た。 

のぼりの赤い生地に、マジックペンの下手な字で「中華定食600円」と書いてあった。 

長太は目を見開いた。 

中華定食600円。 

砂利が敷かれた上を歩き、プレハブ住宅に向かう。 

その外側、壁面に取り付けられた換気扇が回っている。

 食用油の香りをかぐことができた。 

大きなガスのボンベが2本、壁に寄り添うようにして立っている。 

間違いない。 

このプレハブ住宅は、食堂なのだ。 

長太のおなかが鳴った。 

こんな小さな場所でやっているのだから本格的な店であるはずはないが、何か食べられるかもしれない。 

住宅正面の引き戸に手をかけて、おそるおそる開けてみた。 

中をのぞく。 

狭い空間だ。 

中から、人の姿が迫り出してきた。 

「あー、いらっしゃい」 

年の頃は30代から40代だろうか、女性だった。 

丸顔で、目の大きな人である。 

髪は短い。

 

落ち着いた色のシャツとジーンズの上から、柄物のエプロンをかけていた。 

大げさな表情をした、パンダのキャラクターがプリントされたエプロンだ。 

女性はシャツの両袖をまくっていて、細い筋肉質の腕が露わになっていた。 

こちらの顔をのぞきこむ彼女の表情は明るく、長太はひとまず安心する。 

「あの、まだ食事できますか」 

それでも時間が時間なので、長太は慎重に尋ねた。 

「できるよ。でもお客さんで最後だよ。中に入ってきて」 

女性は訛りのきつい、力強い声で言った。 

外国人らしい。 

長太は少し気後れする。 

そんな長太の顔色を見取ってか、彼女はせっかちな仕草で手招きして、住宅の中を指差した。 

中には丸い、小さなテーブルがある。 

ひとつだけだ。 

そのテーブルを囲んで、変わった形の背もたれがついた木製の椅子が4脚、置いてある。 

女性は、そのうちの手前の椅子に座るようにうながしていた。 

おなかが空いている長太は、抗うこともできず彼女に従って中に入った。 

椅子に座った。 

硬い座り心地である。 

背筋を伸ばして座った。 

何か臀部が鍛えられそうな椅子だ。 

姿勢を整えながら、長太は住宅の内部を観察した。 

部屋の奥の壁際にキッチンが備え付けられていて、ガスコンロの上の中華鍋、深いスープ鍋が長太のいる場所から見えた。 

隅に業務用の冷蔵庫がある。 

キッチンと長太がいる空間との間には幅の狭いカウンターが設けられていて、上には食器類が重ねて置いてある。

 その端にレジ機が載っている。 

席があるのは、長太がいるテーブルだけだ。 

これでは、客は一度に四人までしか入れない。 

本当に小さな店だ。 

 

女性はカウンターの上に並んでいたプラスチックのコップをひとつ取った。 

長太の横に立ち、テーブルの上の水差しから水をくんで、長太の目の前に置く。 

同時におしぼりも供した。 

「ごはん、今つくるからね、待ってて」

 声をかけて、カウンターの間の通路を抜けキッチンに入った。 

こちらに背中を向けて、早々に調理を始める。 

注文を聞かない。 

テーブルの上にメニュー表などは置いていないし、殺風景な住宅内部の壁にも、何ら料理に関しての情報は書かれていない。 

ここでつくられる料理は、外ののぼりに書かれていた、中華定食だけなのかもしれない。 

女性がキッチンで立ち働いている姿に、長太は目をやった。 

 

彼女は、長太を座らせるなり、慣れた動きで調理を始めている。 

冷蔵庫から食材を取り出し、包丁で刻み、中華鍋で炒める。

 彼女の中で手順が決まっているからこそだろうが、それにしても手際が良かった。 

無駄がなく、優雅なのだ。 

その動きに、長太は惚れ惚れとする。 

いわゆる好色な視線とは違う、それとは別種の好感を持って、女性の働きぶりを見ていた。 

人がつつがなく作業しているのを眺めているのは、面白い。

不思議な気持ちだった。 

先ほどまではひと気も店もない、ひなびた道を延々と歩いていた自分が、いつの間にかこんなプレハブ住宅の内部にいる。 

そして、調理にいそしむ人の姿をぼんやりと眺めている。 

歩き疲れた後にこういう時間を過ごすのは心が休まっていいな、と長太は思った。 

女性はカウンターの上にトレーを置き、そのうえにできあがった料理を並べていく。 

ふいに顔を上げて、長太の方を見やった。 

目が合う。 

女性を眺めていた長太は我に返って、自分の姿勢に気付き赤面する。 

見ていたことがばれた。 

女性の目が笑った。 

「もうね、できたから」 

空腹の長太にとって喜ばしいような心残りのような気持ちだった。 

 

女性はトレーを手にして、長太のテーブルの脇に出てくる。

長太の目前に、出来上がったものを並べた。 

湯気のあがる白いご飯に、柴漬けの小皿。

丸皿の上の、鶏の唐揚げと餃子。 

小鉢に盛られたのは、豚肉とピーマン、竹の子を使ったチンジャオロースーのようだ。 

玉子スープの器も添えられている。 

どれも美味しそうだ。 

その見た目に、長太はひとまず満足した。 

「私ももう帰るから、ごめんだけど一緒にごはん食べるよ」 

女性が何か話している。 

長太が彼女の言葉の意味をはかりかねている間に、女性はトレーを長太の料理の向こうに置いていた。 

その上に、丼茶碗がある。 

ご飯に、チンジャオロースーが乗せてある。 

それは彼女の、まかないなのだ。 

女性はそのまま、長太の向かいの席に腰を下ろした。 

長太は驚いた。 

女性は長太の驚きを意に介さず、テーブル上の箸入れから割り箸を取り、自分のまかないを食べ始める。 

あまりのことに驚きはしたが、考えてみれば納得はできた。 

このプレハブ住宅の中に、他に食事を取れる場所も空間もない。 

客と共にテーブルでまかないを食べてしまうのが合理的なのだ。 

長太は自分の戸惑いに向かって言い聞かせる。 

なおも、テーブルを挟んで彼女と差し向かいになっている。 

二人の額と額の距離は違い。 

気恥ずかしかった。 

先ほどまで優雅に調理をこなしていた女性が、今度は目の前で旺盛な食欲を見せているのだ。

だが長太も空腹である。 

目の前の人に負けていられないとばかりに、目の前の料理を食べ始めた。 

こんな経験は稀だ、と思いながら昼食を味わった。 

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