『放浪武者 水野勝成』森本繁
この記事を執筆している今から数えて、十日ほど前のことなのですが。
愛知県は東浦町に、乾坤院というお寺がありまして。
この乾坤院で、残念な話なのですが、出火があって本堂を始め多くの建物が全焼してしまったんです。
もともとこのお寺は徳川家康の母である於大の方の実家、水野氏の菩提寺だったんですね。
このニュースを聞いてから私、水野氏について気になっていたのです。 で、この本を読みました。
森本繁氏が書かれました、『放浪武者 水野勝成』です。
水野氏に生まれ、水野氏の当主となるまで各地を放浪した武士、水野勝成についての伝記です。
徳川家康の母である於大の方の弟、水野忠重の嫡男として勝成は生まれています。
つまり彼は家康の従兄弟にあたるわけです。
水野氏は清和源氏満政流を称し、尾張の国の知多郡で発祥しました。
後に三河の国の刈谷に移り、この場所を本拠として勢力を築きます。
駿河の国の今川氏と尾張の国の織田氏に挟まれた場所にあって、代々厳しい処世術を求められてきた一族なのです。
同じく三河の土豪として家康の代までは今川氏寄りの姿勢を取り続けてきた松平氏(後の徳川氏)。
彼らとは対照的に、水野氏は織田氏と今川氏との間を巧妙に泳いできたのだそうです。
桶狭間で今川義元が討ち死にした後、家康と織田氏との講和を取り持ったのも水野氏なのだとか。
そういう経緯も含めて、水野氏は家康にごく近い家柄だったわけです。
そして、この本の主人公の勝成ですが、ひとことで言えばいわゆる「三河武士」らしい人物なのだと思います。
曲がったことが嫌いで偏屈、でも血の気が多くて無茶をやってしまう。
家康との関係は悪くなかったようですが、その極端な人柄で、実の父である忠重と衝突。
実家を飛び出し、父の妨害で他家への仕官もままならないまま放浪します。
本当に血の気が多かったらしく、しょっちゅう刃傷沙汰を起こしています。
後に、石川数正と共に豊臣氏へと主家を変えた父と共に、豊臣秀吉の配下となります。
しかし何事かで秀吉の怒りを買い出奔。
その後も仕官先を変えては個人的な事情により退去、を繰り返しています。
自分の気に食わないことではたとえ主家が相手でも譲れない、そういう強い意志のある人だったんでしょう。
京から中国地方、果ては九州の大名家にまで渡り歩きました。
そうした経験の後に父忠重の死によって故郷に帰り、水野氏を継ぎ、刈谷藩主になっています。
放浪時代の経験が実ってか、後に中国地方で福山藩主となった折には治水工事などを積極的に行い善政を敷いて、民衆から慕われたそうですよ。
徳川氏が勢力を増していく中でその脇を固める立場にあった水野氏の嫡男、もっと言えば徳川家康の従兄弟にあたる人物が放浪生活をしていたという事実。
なんとも不思議で面白いです。
この本でも、そうした無頼の男勝成の旅路と人柄を表現するうえで、作家である著者の解釈による小説的な記述が頻出します。
その中にはベッドシーンの描写もかなりあって、その辺りは評価が分かれるところでしょうが、おおむね読みやすく面白い本でした。
水野氏という一族への関心から読み始めたのですが、勝成という個人を知り「戦国時代にこういう生き方もあったんだな…」という予想外の学びができてしまいました。
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