『武田信玄の古戦場をゆく なぜ武田軍団は北へ向かったのか?』安部龍太郎

戦国大名として武田信玄は有名ですよね。

実は戦国時代、信玄を輩出した甲斐武田氏の同族として、武田氏を称する武家が日本各地にいたんです。

そうした各地の武田氏と、武田信玄とは交流があったのかなかったのか?

その辺り、妄想していたんですよ、私は。

そんな折の、この一冊です。

武田信玄の古戦場をゆく―なぜ武田軍団は北へ向かったのか? (集英社新書)

武田信玄の古戦場をゆく なぜ武田軍団は北へ向かったのか?』。

作家の安部龍太郎氏の本です。

甲斐国を本拠とする武田信玄は、父である信虎から家督を継いで以降、北へ北へと攻め続けました。

信濃国に侵攻し、川中島上杉謙信との5回にもわたる合戦に及びます。

最終的には川中島より北への侵攻はかなわず、それ以降北進をあきらめ、翻って南の駿河国に攻め込むことになりました。

 

安部氏は信玄の執拗な北進の理由について、今は亡き網野善彦氏の「日本列島を横断する海の道を押さえるためだった」という言葉に共感します。

私が先に述べた通り、戦国時代、各地には武田信玄と同族の武家がいました。

その中でも特に、若狭国(現在の福井県南部)の武田氏。

陸奥国(現在の青森県岩手県にまたがる一帯)の南部氏。

この二者は、それぞれ日本海の海運を握る重要な地点を押さえていたわけです。

安部氏は先の網野氏の言葉通り、武田信玄が本拠の甲斐国から北進にこだわったのは、日本海に出てこれらの同族と連携するためであったのだと仮定します。

交易ができますし、また若狭に上陸さえできれば。

そこから陸路で、軍を京の都に上洛させることも容易になりますからね。

本書で安部氏は信玄の北進経路に従い、武田氏関連の史跡、城跡、古戦場等を巡って旅した経過をつづられています。

 

タイトルで「なぜ武田軍団は北へ~」とありますが、本書はその根拠を提示するには至っていません。

ですので、そこを期待すると肩透かしを喰らうかもです。

安部氏の旅路に同行しながら、土地土地で彼の作家としての自由な着想を横で聞いているような。

そんな心地よさが感じられる本なのです。

歴史紀行文として楽しまれることをお勧めしますよ。

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武田信玄の古戦場をゆく―なぜ武田軍団は北へ向かったのか? (集英社新書)

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