『パラドックスの面白さがわかる本』香川知晶
皆様ご存知の通り、私、自分のブログのタイトルに「異次元」という言葉を冠しているのですね。
日常の中にある異次元を自分で探求し、読者の皆様をご案内したいと考えているからなのです。
私にとっての「異次元」という言葉の定義は、私たちが物理的には移動せず、もしくは些細な移動だけで入り込める別の世界というものです。
古墳、日本史、隣国、外国語、全てが日常から少しだけずれたところにあるものだと思うのですよ。
そうして日常と言えば、普段私が話す言葉の中にも異次元はあるのではないかと。 思い当たりまして。
『パラドックスの面白さがわかる本』、香川知晶氏の著作です。
パラドックスというギリシア語由来の言葉を日本語にすれば、逆説。
つまり、ある言葉がその言葉自体を否定してしまう状況、とでもいいましょうか。
この本に挙げられている例では、俊足の勇者アキレスが鈍足の亀に追いつけない。
クレタ人の預言者が「クレタ人はウソつきだ」と言う。
ソクラテスは「プラトンがいうことはウソだ」といいプラトンは「ソクラテスがいうことは本当だ」という…などなど。
面白いですね。
アキレスの例では、いくら彼が俊足でも亀に追いつきそうになった瞬間に亀が一歩前に進むので、永遠に追いつけないというのです。
詭弁にしか聞こえませんが、論理の上ではそうした状況が出現してしまうのですね。
クレタ人の例では、かの預言者の言葉がウソなのか本当なのか、私たちはその言葉からは確証を得ることができません。
ソクラテスとプラトンの例も…考えば考えるほど、頭がこんがらがってきます。
それらの言葉には、論理に矛盾があるわけです。
こうした言葉の意味をとらえようとすると、私は心が体から離れ、違う世界に迷い込むような心地になります。
論理矛盾により生み出される異次元。
私が求めていたものでした。
この本では他にも様々な種類のパラドックスが出てきます。
ただいずれにしても、なぜパラドックスが生まれるかは共通していそうです。
つまり「人の認識は主観的である」ことが原因です。
先に挙げた例の「クレタ人はウソつき」とクレタ人の預言者が発した言葉。
件の預言者は、自分のことをクレタ人と思っていないのかもしれない。
だから自分の発言に疑問を持たないのです。
もしくは、彼が言う「ウソ」という言葉の意味は我々の考える「ウソ」とは意味が違うのかも。
理屈を言っているようですけれど、そう考えればパラドックスにも説明がつきますよね。
別の例を挙げれば、例えば私は大阪人ですから、他府県の方が私に「大阪人は皆面白い」もしくは「大阪人は皆下品だ」と言ったとしたら反論したくなるわけです。
大阪人にも面白くない人はいます。
大阪人にも上品な人はいます。
私は面白くない大阪人にも上品な大阪人にも会っていますから、そう言えるわけですね。
パラドックスだ!とその他府県の方を見ながら私は考えるでしょう。
しかしその方がこれまでの人生で、面白い大阪人か下品な大阪人にしか会ったことがなければ。
その人の言うことはその人にとっては真実なのです。
現実は、個人が置かれた状況によって、その形を変えます。
パラドックスの発生する原因が個々人の認識の違いにあるのだとすれば。
私が異次元に旅するためのきっかけもその辺りにあるかな…と思うわけです。
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