『手間のかかる長旅(065) ガムは苦手な時子』
おなかがいっぱいで動くのが辛かったが、そろそろ出かけないといけない。
ヨンミが身の回りのものをまとめて、持参したボストンバッグの中に片付けている。
その仕草を眺めながら、時子(ときこ)は歯磨きした。
先ほど二人で食べたキムチは美味しかったが、にんにくが入っているので匂いが気になる。
食後、ヨンミがガムをくれた。
普段からガムを持ち歩いているらしい。
「ヨンミちゃん、ガムをキムチの匂い対策に持ち歩いてるの?」
「ね」
ヨンミは接客業種で働いているので、匂い対策に抜け目ないのだろう。
しかし、時子はガムは苦手なのだ。
それでガムを辞退した時子は、歯磨きしている。
ヨンミの方は、荷造りをしながらガムを噛んでいる。
ガムの消臭効果はいかがなものか、と思いながら訝しい目で時子はヨンミの背中を見ていた。
「やっぱり、ヨンミちゃんも歯磨きした方がよくない?」
時子は親切心から声をかけた。
これから会う町子(まちこ)はともかく、美々子(みみこ)は他人に厳しいところがある。
美々子の実態として、猛獣が女性の姿を装っているような節があった。
仲間内では特に時子とヨンミは美々子と仲が良いのだが、それだからと言って粗相をするのは避けたいところだ。
「美々子さんが怖いでしょう」
「けんちゃなよ。のっちゃわごみちゅんぶへよ」
ヨンミは時子を振り返って、事も無げに言った。
緑茶とガムで十分だ、と言ったように時子には思える。
長らく友人でありながら、ヨンミとは意思疎通をする必要がなかった。
それで時子は彼女の外国語がわからないままで今日まで来ている。
ところがしばらく二人だけで過ごしてみると、なんとなく相手の言葉がわかるようになっているのが不思議だ。
このままヨンミと暮らせばそのうち彼女の外国語を自分も喋れるようになるかもしれない、と時子は思った。
「大丈夫かな?」
「ね。けんちゃなよ」
ヨンミは請け合う。
ガムを口の中でもぐもぐしている。
普段おとなしいヨンミがそこははっきりと言ったので、時子は不思議だった。
「じゃあ、ちょっと確かめさせてよ」
時子はヨンミの傍らににじみ寄った。
ヨンミは体で時子の方に向き直る。
「くろな、おっとっけ?」
無邪気に尋ねてくる。
時子はしゃがんでいるヨンミの至近距離に自分もひざまずいた。
「息をふーってやってみてよ。嗅いでみるから」
「ね」
ヨンミは従った。
口先をすぼめ、時子の鼻先に、つつましく息を吹きかけた。
「…うん」
時子はうなずいた。
ガムのものらしいミントのつんとした香りと、先ほど飲んだ緑茶の香りが入り混じって、時子の鼻腔に届いた。
にんにくの痕跡は感じられない。
「けんちゃなよ」
「ね、けんちゃなよ」
二人してようやく納得した。
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