『水田の女性と案山子』

義雄(よしお)は水田の合間を通る細道を、とぼとぼ歩いている。

ところが近くで大きなわめき声を耳にした。

反射的に身を屈めて、盛り上がった垣の陰に隠れた。

「あなたを殺して私も死にます」

水田の泥の中に踏み込んでいる女性がいる。

足先を泥に浸して大声でわめき散らしながら、物言わぬ案山子の首を絞めている。

垣の陰からのぞきながら、義雄は息を飲んだ。

女性に首を絞められ、がたがたと揺さぶられる案山子の顔がこちらから見えている。

その布でつくられた人工の顔に、生々しい苦悶の表情が浮かんでいた。

案山子の顔とは思えない表情である。

義雄に背を向けた形で、女性はその案山子の顔を覗き込みながら、わめきつつ首を絞めているのだ。

「全部あなたのせいです」

女性のわめき声が一帯に響く。

義雄は隠れて様子をうかがいながら、震えた。

件の女性と案山子の関係は不明だが、ただならぬものを感じる。

案山子の顔に浮かぶ生々しい表情も、義雄は気味が悪かった。

白昼の稲作地帯で、これはどういうことなのだろう。

女性は案山子の首を絞め続けている。

揺さぶられて、案山子の体が音をたてる。

義雄は屈んだまま、周囲に視線を移した。

現場には彼女と案山子と、義雄以外には誰もいない。

他の水田に立つ農家の人の姿もない。

空は晴れ渡っている。

耳を澄ましても、鳥の声はおろか近くを流れるはずの水の音も聞こえない。

時間が止まっているようだ。

まずいところに来てしまった、と義雄は思った。

「あなたを殺して私も死にます」

女性は依然として案山子の首を絞めながら揺さぶる。

揺さぶられて、案山子は苦悶の表情を浮かべている。

その案山子の視線は、義雄の方に向けられているようでもある。

義雄は心臓をつかまれたような気がした。

他に誰もいない空間である。

「全部あなたのせいです」

女性のわめき声。

義雄は震える。

案山子には気付かれている。

女性に気付かれる前に逃げなければ、と思った。

腰をわずかに浮かせて、足先でじりじりと移動した。

水田の垣に沿って、その場から逃げるのだ。

水田は大きく、それを囲う垣も長く続いているので、隠れたまま遠くまで行けるはずだ。

義雄は自分を励ましながら遅々とした歩みで進んだ。

垣越しに女性と案山子とを通り越して、彼らに背を向ける。

やった、と思った。

 

「おい、待て」

背中に声をかけられた。

低い、絞り出すような男の声だった。

義雄は体が固まるのを感じた。

「お前はどこへ逃げる」

女性のわめき声は止んでいる。

案山子を揺さぶる音もしない。

静けさの中で、義雄の背中に押し殺した声がかけられている。

先ほどわめいていた女性の声ではない。

だとすれば、誰の声なのだ。

振り返ることはできない。

義雄は、逃げなければ、と思った。

一歩を踏み出した。

「待て」

義雄の頭のすぐ後ろで押し殺した声がした。

同時に、後ろから強い力で首をつかまれた。

細い指が喉元に食い込む。

「ううっ」 もがいて首にかかった手を引き剥がそうと指をかけるも、ままならない。

殺される、と思った瞬間に息ができなくなり、義雄は気を失った。

 

意識を取り戻したとき、義雄は水田を囲む垣に倒れかかっていた。

上半身と腕が土にかかり、泥だらけになっている。

周囲を見回した。

誰もいない。

水田の脇を流れる用水路の水音と、鳥の声が聞こえている。

水田の方をのぞくと、案山子が立っていた。

その顔は、へのへのもへじという奴で、先ほどの苦悶の表情からは程遠い。

義雄は立ち上がり、垣を駆け上がった。

水田に近寄った。

案山子の立っている根元に、何か小さな塊が落ちているのが見える。

目をこらすと、それはうずくまっている雀だった。

雀と義雄の目が合った。

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