『バス停の雨宿り』
旅先の午後である。
自然の豊かな地域の道路沿いを、義雄(よしお)は歩いていた。
急に空模様が怪しくなった。
と思うが早いか、激しい雨が降り始めた。
頭と肩に、冷たい雨が落ちてくる。
義雄は慌てて走った。
雷まで鳴っている。
義雄は、雷は苦手である。
空で雷の鳴る間隔が、次第に短くなっていく。
急速に雨水に覆われて濡れた路上は、走るのも容易ではない。
気を抜くと足を滑らせてしまう。
神経をすり減らしながら、義雄は走った。
そうこうするうちにも、近くに雷が続けざまに落ちる。
雷から逃げ、なおかつ滑るまいと無理な姿勢で足を使うものだから、股関節の周囲に痛みが走る。
辛かった。
ずぶぬれになって10分ばかりも走り続けた。
ようやく、雨宿りできそうな場所を見つけた。
道沿いに、屋根のあるバス停があったのだ。
義雄はバス停の屋根の下に駆け込む。
先客がいた。
高齢の女性が、バス停のベンチに腰掛けている。
皺だらけの顔の、とても小さな人だ。
野良着を来ているので、近辺の農家の人かもしれない。
穏やかな表情で義雄を見ている。
その衣服は、全く濡れていない。
義雄は女性に会釈をして、その前を通り、ベンチの脇に立った。
上着を脱いで、路上に向けて降り、雨水を払う。
屋根の下にいて、濡れないで済むことが嬉しい。
「くうう」
必死で濡れた路上を走っていた疲れから開放されて、思わず安堵の声が出た。
屋根越しに、頭の上で雷が鳴っている。
「大変じゃったねえ」
立ったまま脱力している義雄に、高齢の女性が声をかけた。
義雄は振り返った。
小さく座って、女性は義雄に微笑みかけている。
「え、ええ。いきなり、こんな雨に遭うとは思ってませんでした」
愛想笑いをして言葉を返した。
濡れた上着を腕にかけ、何となく義雄は女性の隣に腰掛けた。
「この辺はもう、一年中降ったり止んだりよ。そういう地域なんやね。雷も落ちよって、死人も出るからね」
女性は愛想よく義雄に微笑みかけながら、物騒なことを語った。
「へええ…」
雷に人一倍の恐怖心を抱いている義雄は、身のすくむ思いがした。
今も雷が近くに落ちている。
「それじゃ、この辺の農家の方は大変でしょうね」
女性の野良着を見ながら、義雄は同情的な言葉を口にした。
「そうじゃねえ。そうやから、私ら雨降りそうになったら避難するんよ」
「避難ですか」
「そうよ。畑で作業してて、雲行きが怪しくなったら皆、畑のそばに建てた小屋に隠れよるんよ」
「へええ」
「そうやけど、うちんとこはこないだ小屋に雷が落ちて、みんな焼けてしもうてね」
義雄は相槌を打つ言葉につまった。
「うちのお爺さんも、新しい小屋をようつくらんし、他所の人にはもう頼むこともできんもんじゃから」
「ははあ」
「私は今はこうして、バス停で雷を避けとるんよ」
なるほど、と義雄は思った。
しかし頭上にトタン屋根を張っただけのバス停は、雷を避ける場所にしては頼りなかった。
義雄は不安になった。
雷は苦手なのだ。
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