『説教を受ける素浪人』

年老いた禅僧が、私の顔をのぞき込んでいる。

彼は徳のある僧に見えるが、共も連れずに一人で旅しているのだ。

「世が世なら、貴殿はすでに野垂れ死んでおるぞ」

その禅僧は、私を嘲笑する様子で諭すのだった。

旅の途中に立ち寄った峠の茶店の座敷の上で。

我々は膝をつき合わせている。

うかつにも、身の上話などしない方がよかった。

雑談の流れだった。

私は、身の上を彼に語った。

長年の浪人生活の末にようやく得た仕官先。

私はそんな仕官先を、「家風に馴染まぬ」の理由で早々に辞したのである。

禅僧は、そんな私の話を聞き終えて、説教にかかる雰囲気なのだ。

私とて、自分が覇気に欠けることは自覚している。

自覚していても、人からの忠告は甘んじて受けるほかない。

「至らぬ点は、自覚しております」という顔をしているつもりでも、他人はそれを読みとってはくれぬのだから。

「左様でございますか」

私は抗弁せず、僧に向かって頭を下げた。

「左様」

僧はうなずく。

「銘々が他人の生き胆を喰らってようやく生き延びていた、戦国の世を想像されよ」

「は」

「世が世なら、貴殿は、他人の生き胆を喰らえるかな。それとも、喰らわれる方かな」

「は」

「どちらであろう」

強い声で返答を強要する僧である。

「喰らわれる方でしょうな」

「そうやってものわかりのいい顔をしていたいのなら、いつまでも喰らう側には回れまい」

「は」

耳の痛いことを言う坊主だ。

私はむかむかとし始めていた。

「喰らいたくはないのか」

坊主は私の顔をのぞきこむ。

「なんとも言えませぬな」

「この期に及んで、腹のすわらぬ御仁じゃ」

あきれ果てた、と言わんばかりの禅僧の態度。

私は内心、気分を悪くした。

「武士は食わねど高楊枝、という言葉もござる。食わぬでも気概は保てましょうよ」

半ば感情的になって、私は坊主に言い返した。

「いやそれどころか、むしろ己の気概のためには時と場合で食わぬことも肝要でござる」

己の生き様を許す理屈を、見つけたような気がする。

唇の端をゆがめて嫌な笑みを浮かべる坊主相手に、私はがんばった。

「だいたい、お坊様が食うだの食われるだのおっしゃるのは滑稽だ」

私は、決め付けた。

「食わぬ生き方を極めるのが、あなたの務めではありませぬか」

勢いづいて、私は相手に挑戦的な言葉をぶつける。

坊主の顔色は変わらない。

嫌らしい表情を保って私を見ている。

言い返す様子はない。

「食わぬ生活のお坊様から、侍の私が食わぬことをそしられるとは、思いもよらぬことです」

頃合と見て私は、捨て台詞を吐いた。

そのとき、坊主は悲しげな笑みを顔に浮かべる。

「いやはや、拙僧と比べるまでもなく、貴殿は食う覚悟も食わぬ覚悟も持たれぬ御仁よ」

私は虚を突かれた。

「貴殿の行く末を思うと、拙僧は気の毒でならぬ」

不意を襲う、同情に満ちた坊主の声である。

思わず、私の目からは涙がこぼれた。

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