『瞬殺猿姫(12) 猿姫に目をつける、神戸城の若殿』
猿姫(さるひめ)、織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)そして蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)。
彼ら一行は、神戸城の主の間で座って待機している。
中庭に面した障子戸が開いた。
城主である、神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとしもり)が現れた。
猿姫一行は、座ったまま、神戸下総守の姿を目で追った。
若い当主である。
三郎と、年も背格好も近い。
正装とはいかないが、羽織に袴を合わせた、まともな服装である。
神戸下総守は上座まで歩いて行きながら、その場に控える一行に目を向けた。
まず猿姫の姿を見て目を細め、次に阿波守の髭面を見て眉間に皺を寄せた。
最後に、三郎が着ている羽織の絵柄に気付き、ぎょっとした顔になる。
ともかくも、彼は一段高くなった上座の上に敷かれた、茵(しとね)に腰を下ろした。
「神戸下総守利盛である。今日はよく来られた」
若いながらに当主としての威厳を保とうとする苦労からか、緊張感のにじむ声である。
それでも、彼が笑顔をつくっているところを見ると、猿姫たちは歓迎されているらしかった。
「尾張から参りました。織田三郎信長でござる」
三郎は嬉々とした声で返した。
そのまま右手を持ち上げて、神戸下総守の方に突き出した。
膝を使い畳の上をいざって、上座まで進んでいこうとしている。
相手に、南蛮式の握手を強要しようというのだ。
神戸下総守は、三郎の繰り出した見慣れぬ作法に驚き、後ずさった。
「な、もし、その奇妙な動きは何か」
「握手でござる。南蛮式の挨拶にござる」
腰を落としたまま進んで、引きつった顔の神戸下総守の手前まで進んだ三郎。
右手を差し出した。
後ろから見ている猿姫は、気が気でない。
阿波守は、面白そうに事の次第を眺めている。
「申し訳ないが、当方は南蛮の風俗については不得手である」
額の汗を手の甲で拭いながら、神戸下総守は三郎からの握手を辞退した。
「どうぞそのまま、席に戻っていただきたい」
「これは失礼つかまった」
口答えせず、三郎はおとなしく後方に後ずさる。
拍子抜けするほどの聞き分けのよさだ。
猿姫はひと安心した。
三郎が元の場所に戻ったのを確認して、神戸下総守は、一行に視線を行き渡らせる。
「尾張から来られた、織田三郎信長殿のご一行。貴殿らのことは、すでに聞いている」
そう述べる神戸下総守の口調は穏やかで、何ら敵意は含まれていない。
「白子港の奉行から、報告を受けている。なんでも貴殿らは、川渡し船で海を来られたとか…」
好奇心を抑えきれない様子で、神戸下総守は言った。
猿姫の心臓が高鳴る。
神戸下総守が、視線を彼女の顔に向けたのだ。
「一行に加わる女子が、船を操っていたと報告にある。つまり、貴殿か」
猿姫の顔を、興味津々の表情でうかがっている。
「左様にございます」
猿姫は慎重に答えた。
何気なくこなしたことだが、やはり彼女が船頭を勤めたのは、人目を引いていたのだ。
「貴殿の名前、何と申したかな」
「猿姫と申します」
「猿姫。ただの猿姫?」
「ただの猿姫でございます」
「姓も名乗りもなく、ただ猿姫?」
「農民の生まれでございます故、姓も何も持っておりませぬ」
彼女が答えている間にも、上座から遠慮の無い視線が注がれる。
猿姫は、できることなら、ため息をつきたい気持ちだった。
たかが北伊勢の小領主、とは言っても、神戸下総守は土地の有力者だ。
今は、たまたま相手は機嫌よくしている。
しかしこれからもし彼の機嫌を損ねたとしたら、どんな目に遭わされるかわからない。
同じく貴人とは言え流浪の身である三郎に接しているのとは、緊張感の度合いが違う。
上座と下座とに分かれて相対する人間関係というのは、猿姫には酷い苦痛だった。
今まで三郎相手に交わしてきた何気ない会話の、何と気楽で幸せだったことか。
「おお。百姓の者であったか。それにしては貴殿、まるで大名の姫君ような風格」
歯の浮くようなことを言いながら、神戸下総守の視線は猿姫をとらえて放さない。
「しかも船を漕いで大海を渡ってくるとは。貴殿、只者ではないな」
今やその視線の中に、好色な色合いが混じり始めているのを、猿姫は敏感に感じ取っていた。
「身に余るお言葉でございます」
立場上、そつなく返すことに努めよう、と猿姫は思う。
神戸下総守が、意味ありげな視線を猿姫に向けている。
三郎にしても、そのことに気付いていた。
今朝の猿姫は顔に化粧を施して、身だしなみを整えてきたので、男の目を引いてしまうのだ。
この流れはまずい、と三郎は焦った。
「下総守殿っ」
と彼は声を荒げた。
「う、うむ」
三郎の大声に驚いて、目を丸くしながら彼に向き直った神戸下総守。
少し、後ろめたそうな風情である。
猿姫を守らなければ、と三郎は心に決めた。
「実はっ、こちらに参ったは他でもござらぬ、大事な用がござる」
相手の注意を引かんとばかりに、わざわざ大声で、節をつけて言うのだ。
「そうであろうな」
神戸下総守は咳払いをして、三郎に注意を向けた。
まだ猿姫に心残りがあるらしく、一瞬彼女に視線を送った。
「下総守殿っ」
「うむ、聞いている」
うんざりした顔で、神戸下総守は三郎を見返した。
「下総守殿。貴殿もご承知の通り、我らは尾張を追われた身にござる」
「なるほど、いろいろ身の上のご事情もあろう」
「それ故、今後は我ら和泉国は堺の港を目指し、旅をする手はずでござる」
「なるほどなるほど」
三郎が大声で語るのを、下総守は我慢強く聞いている。
隙を見ては猿姫に話しかけようとするつもりのようだ。
そうはさせぬ、と三郎は思った。
「で、そのうえで当方が何か助力できることでもある、というわけかな」
三郎の力の入った視線で見つめられて、神戸下総守はあきらめの混じった声で応じた。
「もしそうならば、遠慮なく言ってもらいたい」
ここが山場だ、と猿姫は息を飲む。
神戸下総守が変な興味を自分に向けたせいで、一時は訪問の目的があやふやになりかけた。
だが、三郎のがんばりのおかげで、話を強引に目的に戻すことができた。
これから、自分たちは堺に向かう。
そのための諸々の援助を、神戸家から引き出すのだ。
神戸下総守相手に力強く交渉にあたり始めた三郎を、猿姫は頼もしく思う。
一方、しばらく前からひとことも口を利いていない男のことが、彼女は気になった。
隣に座っている、阿波守である。
猿姫が恐る恐る阿波守の横面を盗み見ると、彼はうつむいたまま、動きを止めていた。
居眠りしていたのだ。
鈴鹿抹茶ラングドシャ 12枚入(抹茶 三重 お土産 クッキー スイーツ お茶 ギフト ご当地 名物 まっちゃ 和 菓子 鈴鹿市 三重県) 価格:756円 |