『瞬殺猿姫(15) 神戸城の縁側で、猿姫と一子』

猿姫(さるひめ)は、縁側の上に立っている。

織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)は、縁側の縁に腰掛けたまま。

振り返って見ている。

一子(かずこ)は、猿姫と向かい合ったまま、顔を三郎の方に向けていた。

彼女は三郎の目を見つめて、笑いかけている。

三郎の方も、そんな彼女を見つめ返していた。

二人の視線は、絡み合っている。

猿姫は、傍らでそんな二人を黙って見ている。

三郎は、下品な人目をはばかるような絵柄の羽織を着ているのだ。

それに気付いているのかいないのか、一子は笑いかけている。

 

ふいに、三郎は手をついて体を持ち上げ、縁側に立ち上がった。

猿姫の隣に立ち、彼女と同じように一子に相対している。

そのまま、見知らぬ女の方に右手を差し出した。

「申し遅れました、織田三郎信長と申します」

南蛮式の挨拶、握手である。

先ほどこの神戸城の城主、神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとしもり)には、握手を拒絶されている。

男に手を握らせるのも非常識だが、女に手を握らせるのはさらに度が過ぎる。

しかし、三郎は猿姫に初めて会ったときにも、同じように握手を求めた。

握手について、彼には悪気がないのだ。

 一子は、まだ笑顔でいる。

彼女の笑顔に釣られるように、右手を差し出したまま、三郎も口角を上げた。

「私のことは一子とお呼びください、織田三郎様」

一子は、三郎の名前を呼んで返した。

三郎の顔に、驚きの色が浮かぶ。

知らない女に、名前を呼ばれたのだ。

一子は、さらに三郎を驚かせた。

彼女はその場から前に一歩進んで、三郎の体ににじり寄ったのである。

猿姫も驚き、一子の行動を見守った。

一子は三郎の差し出した右手を胸の辺りで受け止めるような仕草で。

自分の両手の中に包み込む。

そうしながらさらに近づき、三郎の右腕を、自分の両腕で絡め取るようにして。

自分の胸元に押さえ込んだ。

さらに、三郎の顔に自分の顔を近づけている。

背の高い彼の顔をすぐ下から、見上げている。

そのまま、相手に笑いかけているようだった。

三郎にしても、驚いたらしい。

右腕は一子にされるがまま、ただ目を見開いて、間近な彼女の顔を見つめ返している。

二人の距離はとても近い。

そのまま、接吻でもしかねない距離だ。

 

「おい、いい加減にしろ」

険しい声をあげて、猿姫は棒の横腹で一子の尻を叩いた。

「いたいっ」

逆効果だった。

猿姫の棒から逃げながら、その動きを利用して一子は三郎に抱きついた。

「あっ」

うかつに叩くんじゃなかった、と猿姫は思った。

抱きつかれた三郎は、空いた左手で一子の腰を抱いている。

「三郎殿」

思わず、猿姫は声を漏らした。

三郎は、流れの中で一子の体を受け止めたらしい。

一子に体を沿わせたまま、呆然としている。

だが猿姫の視線に気付いて、我に返ったようだった。

慌てて、抱きついてくる一子の体を、自分から押し戻して離した。

右手を取り戻した。

拒絶された一子は、驚いて三郎を見返した。

「か、一子殿とおっしゃられたな」

三郎は一子に視線を合わせず、うわずった声で言う。

それから、わざとらしく険しい表情をつくった。

「握手の作法は、そうではござらぬ、お互い片手である」

三郎は目を泳がせ、今度は猿姫の方を見た。

彼女に、右手を差し出してくる。

「猿姫殿」

「なんだ」

猿姫は、険しい顔で三郎の右手を見下ろした。

「拙者と一緒に、握手の見本を」

「なんでそうなる」

猿姫は憤慨した。

「一子殿が、誤解をしているようなので」

弱々しい目で懇願してきた。

「お願い申す」

握手についての誤解など、わざわざ解かなければならないものなのかどうか。

疑問だ。

そして、男と手を握り合うことには猿姫は強い抵抗を感じる。

だが、直前に目の前で見せつけられた、三郎に対しての一子の振る舞い。

それを目にして、猿姫も何か許せない気持ちになっている。

一子の行いを、否定してみたかった。

「では」

厳しい視線を三郎に送って、うなずいてみせる。

受け入れられて安心したらしい三郎も、うなずき返した。

猿姫は棒を左手に持ち替えて、右手を空けた。

その右手で、三郎の右手をつかんだ。

お互いの手と手が触れ合った瞬間、三郎が小さく息を飲む様子が猿姫には見えた。

だが、それも一瞬だ。

「あいたたっ」

三郎のうめき声。

猿姫との握手で、彼女に右手を握り締められている。

痛いはずだった。

猿姫は、棒術の達人なのだ。

長らく棒を扱っていれば、握る力は鍛えられる。

彼女の手は小さいが、握る力は、大の男よりもよほど強い。

「三郎殿。満足か」

三郎のもだえ苦しむ様子を、猿姫はじっと見ている。

「いたたたた」

「満足?」

「ああああ、満足いたした」

身をよじって右手を引き戻そうともがきながら、三郎は半ば悲鳴のような声で言った。

猿姫に解放された後も、左手で右手を押さえ、口元に近づけて息を吹きかけている。

涙をにじませた目で、猿姫の方をみやった。

「猿姫殿、形は正しいが、そこまで強く握るのは無作法でござる」

息も絶え絶えである。

やりすぎたかな、と猿姫は思った。

自分でやったことながら、痛がっている三郎がだんだんと気の毒になってくる。

これもあの女のせいだ、と思いながら猿姫は一子に目をやった。

傍らで、一子は気の毒そうな顔で三郎を見守っていた。

「まあ、三郎殿、お可愛そうに。本当の握手って、恐ろしいですね」

同情の声をあげている。

「そんなのが本当の握手なら、私との偽の握手の方がずいぶんようはございませんか」

右手をさする三郎を哀れむように語りかけた。

三郎、一子の方を見ながら、弱々しい笑みを返している。

「いや、力加減は間違っていても、正しいのは猿姫殿の作法でござる」

「まあ」

一子は傷ついた女の声をあげて、胸に手をやる。

眉をひそめて、三郎と猿姫とを交互に見た。

 

一子の仕草を見ながら、猿姫はいぶかしんでいる。

白子宿の宿で彼女を捕まえたときは、こんな芝居がかった女ではなかった。

どうして三郎に色仕掛けのような真似をするのだろう。

自分へのあてつけか?

猿姫はそう思い当たり、難しい顔で一子を見つめた。

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