『瞬殺猿姫(16) 一子の知らせを疑う猿姫』

「お二人の逢引を邪魔して、申し訳ございませんでした」

忍び装束の女、一子(かずこ)は、二人に深々と頭を下げた。

この女は何をしに来たのだろう。

そう思い、猿姫(さるひめ)は相手の頭頂部をにらみつける。

言葉通り、本当に「逢引」を邪魔しに来たのだろうか。

「そうおっしゃられるな」

と、織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)は猿姫の厳しい目付きには気付かずに。

頭を下げる相手に声をかけた。

「一子殿と知り合えて、拙者嬉しゅうござった」

そう言いながら、右手を左手で揉んでいる。

先ほど猿姫と握手をしたことで、いまだに痛むらしい。

その姿を見るとうしろめたいので、猿姫は彼を見ないようにする。

それで、一子に視線を注いだ。

「そんなことより、一子」

猿姫は、低い声で語りかけた。

「何か」

顔を上げる一子。

その表情には、何ら悪びれたところはない。

真っ直ぐ猿姫を見返している。

先ほどの、三郎への色仕掛けは何を意味するのだろう。

「一子、お前はいったい何の用で出てきた。本当に私たちの邪魔をしに来たのか」

猿姫は、相手の顔色を探った。

一子は表情を変えなかった。

「違うよ」

即座に答えた。

「ひとこと、あなたに知らせておこうと思ってね」

猿姫の目を見ながら続ける。

「この城、今晩中にでも攻め落とされるかもしれないよ」

「攻め落とされる?」

驚いた猿姫と三郎は同時に声をあげて、一子を見つめた。

「しっ、声が大きい」

と指先を口にあてて、二人をたしなめる一子。

「何も起きないかもしれない。けど、きな臭い」

「何の根拠で言っているんだ」

猿姫は一子ににじり寄った。

一子は、一歩下がった。

「あなたたちは事情を知らないかもしれないけれどね」

下がって猿姫から距離を置きながら、噛んで含める口調だ。

「西の関家との仲が、悪くなっているの。今の神戸家は」

「その関家が攻めてくるのか」

確か、城主の間で、三郎がその関家の名を口にしたことを猿姫は覚えている。

関家は、神戸家の本家筋にあたる家柄だということだった。

だが神戸家はその関家からは距離を取っている。

「そう。正確に言えば、関家だけでなしに、その後ろにいる六角家も一緒になって」

「六角家って?」

「うん」

次々に新しい名前が出てくるので、猿姫はついていくのが精一杯だ。

眉をひそめ、小首をかしげた。

猿姫がそうすると、その仕草は子猿のように見える。

彼女の顔を見て、目の前の一子は柔らかい笑みを見せた。

「笑わないで教えろ」

「だって猿姫さん、そんなお猿の子みたいな顔をするから」

「その通りお猿の子だから、武家のことはわからない」

猿姫は、なおさらふくれた。

「猿姫殿、六角家は、近江の大名でござる」

三郎が横から口を挟んだ。

さすが三郎は、大名の嫡男だ。

武家には詳しい。

「南近江の観音寺城に本拠を構える、由緒ある家柄の大名でござる」

由緒のある大名について語る三郎の口調には、熱が入る。

武家の来歴にあまり興味のない猿姫にとっては、感覚のわからないことだった。

「そうか」

ともかくも、うなずくほかない。

「この六角家、南近江を支配しています。さらにその南の伊賀、伊勢まで。広くに影響力をもってござる」

「ははあ」

猿姫は話を合わせた。

「伊勢ということは、この辺りもそうなのかな」

「おそらく。先ほど一子殿が言われたように、六角家は関家の後ろ盾になっているのでござろうな」

うなずきながら、猿姫なりに考えた。

三郎が先に、神戸家と結びつきの強い、南伊勢の北畠家について語っていた。

今いる神戸家は、南にいる武家北畠家を味方につけている。

そして、神戸家の西にいる関家は、そのさらに北の六角家を味方につけている。

神戸家と関家が争うとなると、それぞれの後ろ盾になる大名が出てくるのかもしれない。

「神戸家と関家の戦というより、背後にいる大名同士に代わっての戦であるかもしれませんな」

つまり、代理戦争だ。

「さすが、三郎様は明晰でいらっしゃいますね」

一子は明るい声で褒めた。

猿姫は、三郎の横顔に視線をやる。

彼は一子に褒められて、満更でもなさそうな顔だ。

少し緩んだ表情なのだ。

「で、それでその関家と六角家が攻めてくる根拠でもあるのか」

一子と三郎の間に流れる生暖かい空気を破るように、猿姫は張り詰めた声をあげた。

一子は彼女に視線を戻す。

「うん、この城の者が何人か、荷造りをしてたから」

一子はこともなげに言った。

「荷造り」

「うん。きっと、もう敵方が攻めてくることはわかってるんでしょうよ」

一子の軽い調子は、まるで歌うようだ。

「関家と六角家の大軍に攻められてはこんな城、もたないものね」

「そんな、そんな急場に我々は何も知らずやって参ったわけでござるか」

三郎が悲観的な声をあげた。

猿姫にしても、血の気が失せるような思いだ。

大軍に攻められそうになっている城で、呑気に一晩、過ごせるわけがない。

「一子、その話、確かなんだろうな」

「城で働く下人が荷造りしてた。あと、見張り場の兵はみんな気が張ってる様子だった」

一子は、どこまでも気軽な調子だ。

それだけに猿姫は、相手をどこまで信用していいか、はかりかねた。

何しろ、まだ一子のことはよく知らないのだ。

二人は、財布を奪い奪われしているだけの関係なのである。

一子の身になって考えるならば、猿姫たちに親切に本当のことを教える義理も動機もないはずである。

「お前、嘘をつくと痛い目に遭わせるぞ」

猿姫は棒を手にして一子をにらみつけた。

「嫌な猿姫さん、私の言うことを疑うなんて」

にらまれて、一子は両手を目の下にやる。

泣き真似をして見せた。

「三郎様、猿姫さんを叱ってくださいませ。信じてはくれないし、それに私の財布を取ったまま返してもくれないの」

泣き真似をしながら、三郎に湿った視線を送る。

「猿姫殿、本当でござるか。貴殿、一子殿の財布を…」

驚いた顔で三郎は猿姫を見た。

こんな緊迫した状況で余計なことを喋る一子に、猿姫は殺意を覚える。

「三郎殿、素性の知れない忍びの言うことを、真に受けないように」

一子の方をにらんだまま、猿姫は押し殺した声で言った。

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