『戦わずに追い詰められる、熊殺し』
こそこそと、人の目を盗んで、それを飲んでいる。
そこに、購入したコーラを注いで混ぜ、飲んでいるのだ。
「おい、ばれたら追い出されるぞっ」
混ざりきらないプロテインとコーラを飲み下している最中、急に大声を出された。
餅田万寿夫(もちだますお)はむせて、飲んだものを吐き出しそうになった。
気道に粉っぽいものが入り込み、苦しい。
万寿夫は咳き込みながら、テーブル越しに対面している相手を恨めしく見た。
「先輩、急に大声を出さないでください」
吉川長持(きっかわながもち)の顔をにらみつける。
長持は、にやにやと笑った。
長持は、やりにくい相手だ。
高校二年生の万寿夫は、かつて「熊」とあだ名される学内の不良教師を、のしてしまったことがある。
それがきっかけで、地元の学生たちの間に「熊殺し」という異名が広まってしまった。
その結果、諸々のいきさつが生まれた。
柔道部員の三年生である長持と、手合わせをすることになった。
かろうじて万寿夫が勝てたからよかったものの、それ以来、長持は何かと万寿夫に絡んでくる。
しかし万寿夫は、それをむげにはできない。
長持には、加奈(かな)という、高校一年生の妹がいる。
万寿夫は、この加奈という娘に惚れているのだ。
長持は、万寿夫の目の前で、巨大なハンバーガーにかぶりついている。
二人は、地元で有名なグルメバーガーの店に来ていた。
長持に誘われたのだ。
「なかなか、こざっぱりした飲食店に入る機会がなくてな」というのが、長持の理屈だ。
万寿夫は孤独を好むたちだが、たまには友人と一緒に会食するのも、悪くない。
長持とは友人というほど親しくはないが、好きな女の子の兄である。
また、一度は戦ったことのある、好敵手でもある。
よしみを通じておいて、悪いことはない。
「柔道部の人たちとは、こういうお店には来ないんですか?」
依然として手製のプロテインシェイクを飲みながら、万寿夫は上目遣いに相手を見た。
グルメバーガーの店に来ているのに、万寿夫が注文したのは、シーザーサラダとコーラだけだ。
「柔道部の連中と食べに行くのは、牛丼とか焼肉とかだよ。ハンバーガーはあんまり」
「同じ肉類でも、何か見えない基準があるんですかね」
「そうかもな」
「俺は、お肉は皆苦手です」
万寿夫は、肉類全般を好まない。
だがたんぱく質の摂取には人一倍貪欲なたちなので、持ち込んだプロテイン粉を隠れて飲んでいるのだ。
なおかつ、このプロテイン粉は、大豆から精製されたものである。
「それはいいが、こんなところでプロテインを飲むなよ…」
長持は、呆れたようでいながら、どこか尊敬の混じった声を出している。
柔道部員として、彼もプロテイン粉に馴染んでいるはずである。
それでも、ハンバーガーを食べずに大豆プロテインにかじりつく万寿夫の姿には、畏敬の念を覚えるらしかった。
店員に知れたら追い出されるリスクをおかしてまで、万寿夫はこだわっているからだ。
長持に笑顔を見せて、万寿夫は美味しいシーザーサラダを、コーラ割の大豆プロテイン粉と共に味わった。
「ここのサラダ、新鮮だしドレッシングも絶妙で、美味しいですねえ」
フォークを扱いながら、万寿夫はコメントを吐いた。
「ここはグルメバーガーの店であって、オーガニック料理の店じゃないぞ」
長持は呆れながら、万寿夫の食べっぷりを眺めた。
「ところで、お前に言っておかなければならない」
自分の食事が一段落したところで、改まって長持は言った。
「何ですか先輩、改まって」
長持が大きなグルメバーガーをすっかりたいらげた後に、まだ万寿夫はサラダを食べていた。
時間をかけているのだ。
サラダを食べながら、長持の話を聞いている。
「実は、我が吉川家の祖は、かの猛将、吉川元春公である」
フォークを持つ万寿夫の手が止まった。
「本当ですか」
「元春公を知っているか」
「存じています」
吉川元春は、戦国武将だ。
中国地方の毛利家に生まれ、近隣の実力者である吉川家の家を継ぎ、後に毛利家を支えて活躍した猛将だ。
戦国武将にそれほど詳しくない万寿夫も、その名前を聞いたことがあった。
「俺も加奈も、その元春公の血を受け継いでいる」
長持は、鼻の穴を広げんばかりの自慢げな口調で語った。
「へええ…」
万寿夫は素直に感心した。
著名な歴史上の人物の、末裔が目の前にいるのだ。
なかなかできない体験だ。
「それは、光栄です」
「そうだろう?」
万寿夫の態度に、長持は気をよくしたらしい。
「それでだ。うちの家柄は、猛将の家柄だから、婿にもそれなりの人物が求められる」
「婿?」
万寿夫は聞き返した。
「そうだ、婿だ。軟弱な人間を、家に入れるわけにはいかない」
続ける長持。
万寿夫には、話の流れが読めない。
「先輩、それは何の話ですか」
「加奈のことだ」
長持は、短く言った。
万寿夫は、胃をつかまれたような気がした。
「えっ」
「うちの家で婿、と言えば俺の妹の話に決まっているだろう」
「えっ」
「うちの家は、婿を選ぶ」
万寿夫は言葉を失った。
「…すみませんが、話がよく見えないのですが」
「うちの妹、お前に惚れているらしいな」
長持は万寿夫に注意を払わず、自然な口調で言った。
万寿夫はさらに絶句した。
「今までの俺なら反対しているところだが、俺はお前を知っている」
長持は、淡々と語った。
「お前は少なくとも、俺と同じ程度には強い」
一度、万寿夫は長持をしっかりと倒しているのだ。
それであっても自分と万寿夫は同等だと言い切る。
その自信の強さを、万寿夫は尊敬した。
「ありがとうございます」
話がどこへ行くのかわからなくて、怖い。
そんな中で万寿夫は、機械的に感謝を述べるのが精一杯だ。
自分が惚れている相手、加奈の方でも自分に気があるらしい。
それを聞いても、不思議と嬉しくない。
何しろ変な状況なのだ。
「率直に言おう」
長持は、背筋を伸ばして言った。
自然と、それに向かう万寿夫の背筋も伸びた。
「はいっ」
「俺は学校を卒業したら、浪人生活の後に海外の大学に入る。そして、軍事を学ぶ」
「あっ?」
「その大学を卒業したら、知識と人脈を駆使して、在野の軍事評論家となる」
力のこもった長持の言葉に、万寿夫は憑かれたようになってうなずいた。
もともと、傭兵になるつもりだった長持である。
その夢を砕いた万寿夫にしてみれば、長持が新たな目標を見つけたことは、喜ばしいことだ。
「なるほど」
「そして俺は、海外の地に骨を埋めるつもりだ」
万寿夫はうなずいた。
長持の力の入った演説振り。
近くのテーブルに座った若い女性の一団が、こちらに物見高い目線を向けている。
「なるほど」
「国に残していく妹を支えるのは、お前以外にはいない。餅田万寿夫」
長持は、あくまで自然な口調で続けた。
「俺の代わりに吉川家を継いで、妹のことを幸せにしてくれ」
時代がかった調子で、懇願された。
万寿夫は、相手の顔を見返している。
時代がかった相手から、強い圧迫。
自分の額に、冷や汗がにじむのがわかった。
「先輩、でも」
「お前ほどの男なら、吉川家を継ぐにも遜色ない」
人の意見をさえぎるように、言葉をかぶせてくる。
なんでこんなことになった、と万寿夫は思った。
自分が悪いのだろうか。
そうだ。
自分が悪いのだ。
常軌を逸した相手を気まぐれに倒したり。
その相手の妹に下心を抱いたり。
そんな自分が、全部悪いのだ。
呆然としている万寿夫の後方に向けて、長持は急に笑顔をつくった。
手を振っている。
店内に、誰かが入って来たらしい。
「加奈、ここだ」
言葉にならない、小さな歓声が背後で弾けた。
次いで後ろから、華やいだ気配が近づいてくる。
万寿夫は、強い流れに流されつつある。
この流れを自分の思い通りに持っていくには、どうしたらいいのだろうか。
急な喉の渇きを覚える。
コーラで割ったプロテイン粉の残りを、シェイカーの底からストローで吸う。
ストローの吸い口に、粉がつまって情けない音をたてた。
傍らにやって来た吉川加奈が、自分の肩に優しく手を置くのを感じた。
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