『瞬殺猿姫(21) 眠り薬を盛られる猿姫』

忍びの女、一子(かずこ)とその連れの男。

二人で台所の開いた戸口のへりから顔をのぞかせ、中をのぞきこんでいる。

台所では、城の下女たちが昼食の膳を整えている。

華美なものではないが、客人に振舞うこともあってか、それなりに整った食事である。

「美味しそうやな」

のぞきながら、一子は情けない声を漏らした。

「一子姉、そんなにいじましいことを言うなや」

一子の頭上に顎を乗せるようにして、自分も顔を出して台所内をのぞきながら。

連れの男はたしなめた。

「あんなしょうもない、武家の食事なんか、うらやましがったらあかん」

「そんなこと言うたって、私おなか空いてるの」

「それは仕方ないやろ」

「だから何とかあの膳から盗み食いして、なお猿姫の食べる分に、薬を盛る」

一子は明るい声で言う。

「慶次郎、お前何とかあの台所の衆を言いくるめて、ことを成し遂げてきてんか」

一子は、連れの男の方に身を寄せるようにして、甘い声で言う。

慶次郎(けいじろう)と呼ばれた男は、体を震わせた。

いつの間にか、一子の手が、彼の脇腹を撫でている。

「何をする」

「な、お願い」

「ことを成し遂げるって。何。なんで俺が」

「私が入っていったら、話がややこしくなるやろう」

一子は、人目につく忍び装束。

慶次郎の方は、きちんとした武士の装束を見につけている。

台所に入っていって怪しまれないのは、慶次郎の方だ。

「そういうことやから」

一子は、偉そうな声で言った。

慶次郎は呆れた。

「一子姉がつまみ食う分を盗んで、猿姫さんの膳に薬を盛れと俺に言うんか」

「そんだけわかってるのなら、はよう行け」

一子はけしかける。

「嫌な役目を俺に押し付けて…」

文句を言いながらも、慶次郎は渋々従う様子だ。

一子から、眠り薬の入った小さな瓢箪を受け取った。

「そしたら私、ここからお前を見守ってるから。しくじるな」

中に入らんとする慶次郎を励ますように、一子は明るい声をかける。

渋い顔をして彼女の声にも答えず、慶次郎は台所に踏み込んだ。

 

「御免」

台所の中は、座敷の板の間と、低い位置の土間とに分かれている。

双方に分かれて忙しく立ち働いていた下女たちが、いっせいに慶次郎を見た。

慶次郎は肩幅があり、背も高く、立派な立ち姿の若武者である。

突然現れたその威容に、下女たちは言葉を失った。

慶次郎は、彼女たちの顔を見比べる。

中でも座敷の奥にいる、年かさの女に目をつけた。

おそらく彼女が、現場を取り仕切る立場の、下女頭のはずだ。

「御免、少し話をしてよいかな」

慶次郎は、よく通る声で言う。

下女たちはうなずいた。

慶次郎が目をつけた女も、うなずいている。

「なんでございましょう」

慶次郎の存在に、何ら疑いを持たない声であった。

慶次郎は、軽くうなずく。

「拙者、今晩泊めていただく織田三郎様一行の者である」

慶次郎は、高らかに言った。

女たちは、うなずく。

「織田三郎様は貴人であるため、その御膳を供するには、ことさら注意を要してもらいたい」

「それはもちろん」

下女頭は答えた。

「加えて、である。前もって、拙者に、毒見をさせていただきたい」

「それには及びませぬ。私たちの仕事ぶりを疑われますか」

「そうではござらぬ。ただ、織田三郎様は、万事に抜け目のないお方であってな」

相手方の同情を買おうと、慶次郎は小さくため息をつく。

「何事も確かでないと、ご安心召されぬ。拙者もここで確かに毒見をいたさぬと…」

思わせぶりに、言葉を詰めた。

見守る下女たち。

「どうなるのです」

下女頭が、恐る恐る尋ねた。

「首が危うい」

慶次郎は短く答えた。

息を飲む下女たち。

「それでは仕方ありませぬ」

下女頭は、同情深く、うなずいた。

「お毒見なさいませ」

「うむ。ご助力感謝いたす」

座敷の上に並べられた多くの膳に、慶次郎はにじり寄った。

「どれが我らの膳かな」

「これらです」

下女頭は、慶次郎の近くの膳を指差した。

「織田三郎様、猿姫様、あと何とかというお侍様…お三方でしたね?」

問いかけに、慶次郎はうなずいた。

しかし内心、焦っている。

下女頭は、織田三郎一行の人数とその内訳を把握している。

台所方としては当然のことだ。

自分の素性が疑われてはまずい、と慶次郎は思った。

「何とかというお侍様。蜂須賀阿波守殿でござるな。とすると、拙者の名は漏れたか」

「あらまあ」

下女頭は、驚いて慶次郎の顔を見返した。

「あなた様がその蜂須賀様では」

「違い申す。拙者、滝川慶次郎と申す。拙者一人、一行から遅れて参った故…」

「お名前が漏れましたか。これは失礼しました、急いであなた様のお膳を整えます」

「かたじけない。ところで、これらのどれが主で、どれが他の者の膳であろうか」

「こちらが織田様、猿姫様、蜂須賀様…」

慶次郎は、難なく織田三郎一行の膳の聞き出した。

下女から塗り箸を借り、織田三郎の膳から少量の料理を取った。

毒見、の素振りである。

忍びとして鍛えた慶次郎の舌は、毒気にいちはやく反応する。

料理に、何ら毒気はなかった。

そして、とても美味しく感じる。

一子が言う通り、このところ他所に忍び込む生活が長く、ろくなものを食べていなかったのだ。

思わず、舌先で念入りに料理を味わいそうになる。

我に返り、下女たちの手前、毒見に気をやる表情を取り繕った。

下女たちは、固唾を飲んで見守っている。

それぞれの皿から少しずつ、料理を取っては毒見する。

顔では難しい顔をしながら、内心は一子に託された役目とは別に、味わっている。

全ての料理を毒見し終えた。

「これで、毒の気はないとわかり申した」

見守る下女たちの表情に、安堵の色が浮かんだ。

次いで慶次郎は念のためと断り、阿波守の膳から料理をいくつか摘み取る。

取り出したいくつかの懐紙に分けて包み、懐にしまった。

一子に食べさせてやるのだ。

慶次郎は、下女頭と下女たちに礼を述べた。

退出する際、素早く猿姫の膳に、液状の眠り薬を仕込んだ。

下女たちは、気付かない。

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