『瞬殺猿姫(23) 膳を疑う猿姫と慶次郎』
客間の外から城の下女の声がかかり、昼食の膳が運ばれてきた。
一行の主、織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)。
彼の武芸の師匠、猿姫(さるひめ)。
表向きは三郎の家臣ながらその実は人質、蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)。
伊勢の土豪と称する男、滝川慶次郎利益(たきがわけいじろうとします)。
この四人分の膳を、四人の下女が運び、猿姫たちの目前に据えていった。
そつなく立ち働き、下女たちは客間を後にする。
その間に下女たちが、慶次郎の方に視線をやって親しげに微笑むのを、猿姫は鋭く見た。
素敵な美男子だ、とでも言うわけだろうか。
それとも、顔見知りなのだろうか。
三郎、猿姫、慶次郎の三人、それぞれが膳を前にしている。
阿波守はその場にいないので、無人の膳がひとつ。
猿姫は注意深く、それぞれの膳の内容を見比べている。
首をかしげたい点があった。
一行の主である三郎の膳だけは、品数が多い。
それはいい。
後の三名の膳は品数が同じだ。
ただ不思議なのは、阿波守の膳だけ、料理の量が少ないのである。
「伊勢は海どころだけあって、結構な御膳でござるな」
神戸城の関係者が同席しているわけでもないのに、三郎は料理を褒めた。
それとも、単純に旨そうな昼食を目の前にして喜んでいるのかもしれない。
さほど豪勢なものではないが、海の幸を使った料理ばかりが膳の上に収まっているのだ。
食べることを考えるなら、猿姫の気持ちも浮かれたかもしれない。
しかし、ここは他家の城だ。
出された食事にも、気は抜けないのだ。
「阿波守殿、遅いですな」
通路につながる障子戸の方に目をやり、三郎は言った。
膳を前にして、焦れている。
阿波守はいまだに帰ってこない。
普段なら猿姫は腹を立てているところだが、今は好都合だと思った。
食事が始まる前に、膳を調べることができる。
「まさか阿波守殿、昼餉もとらずに城内を調べ続けるつもりなのでござろうか」
不安そうな顔の三郎。
昼食までには戻るよう、特に指示を出したわけでもない。
阿波守が食事そっちのけで、城内の探査に没頭するおそれはあった。
もしくは。
この機会に三郎と猿姫とを捨てて、出奔するおそれもあった。
彼も、木曽川の渡し場から無理やり連れてこられた、人質の身だ。
有り得ないことではなかった。
三郎は、猿姫の顔を見て、彼女が考えていることに思い当たったらしい。
「猿姫殿。よもや阿波守殿は出…」
「慶次郎殿の前で余計なことは言わぬ方がいい」
三郎の言葉を封じるように、厳しい声で猿姫はたしなめた。
三郎は言葉の途中で口をつぐんだ。
それから二人は、慶次郎をそっと見た。
「お仲間が戻られないようですな」
慶次郎は二人を見返して、静かに言う。
「大丈夫だ、そのうち戻る」
猿姫は早口に答えた。
阿波守はともかく、今は昼食の膳のことが気になっている。
立ち上がった。
隣に座っている、三郎の膳の前に回り込む。
座った。
膳を挟んで三郎と向かい合っている。
「な、なんでござるか」
猿姫の挙動を、三郎は呆れて見ていた。
「悪いが、お主の膳、少し吟味させてくれ」
前屈みになり、三郎の膳をのぞきこんだ。
彼女を見守る三郎。
その表情が動いた。
「猿姫殿。もし欲しいものがあるのなら、どうぞ」
自分の膳だけ品数が多いことに、気付いたらしい。
猿姫を気遣うように声をかけた。
彼の目前の猿姫は、膳の上の小鉢類を凝視したまま、かぶりを振る。
「そういうつもりじゃない。この膳…」
料理のそれぞれ、一度盛った後に、少しずつ箸で摘み取った跡があった。
「まるで毒見でもしたかのようだ」
「おそらくそうでござろう。神戸下総守殿、拙者の身を気遣ってそのように」
三郎も猿姫に調子を合わせる。
しかし、猿姫は同意しなかった。
「私の膳と、慶次郎殿の膳は、量が減っていなかった」
「拙者の分だけ、毒見したのではござらぬか」
「阿波守の奴のは、ごっそり減っていたんだ」
「なんと」
面妖な、と三郎は続けた。
離れた場所で、膳を間に挟んで、三郎と猿姫が向かい合っている。
二人の方をそれとなく盗み見ながら、慶次郎は気が気ではない。
慶次郎は、猿姫の膳に、眠り薬を盛った。
彼の連れ、忍びの一子(かずこ)に頼まれてやったことだった。
しばらく前に慶次郎は、台所で下女たちにうまく取り入った。
三郎の膳の毒見をする口実で、それぞれの膳を割り出した。
それにより、猿姫の膳に近づくことができたのだ。
さらに、口実を設けて蜂須賀阿波守の膳から料理を奪い、空腹の一子に与える。
配膳する下女たちが猿姫たちに自分のことを伝えないよう、先回りして同席する。
ここまでは、慶次郎の考えのうちだった。
しかし、肝心なことが抜けていた。
武芸者である猿姫が、疑いもせず自分の食事を口にするのかどうか。
目の前に、三郎の膳を執拗と言っていい態度で調べる、猿姫の小さな背中が見える。
顔には出さないが、慶次郎は、針のむしろに座っているかのような心地でいる。
自分の仕組んだことが露見すれば、猿姫との対決は免れないのだ。
傍らに置いた棒を、彼女はどのような動きで繰り出してくるか。
すでに慶次郎は、頭の中でいかに猿姫の棒から逃れるか、自分の身の取り方を計算していた。
親しい女の財布のためとは言え、命までを捨てる覚悟は、まだできていない。
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