『手間のかかる長旅(082) お酒の好きなアリス』
件の喫茶店の奥、いつものテーブル席。
時子(ときこ)と町子(まちこ)は、一人酒を飲むアリスに、素面で付き合っている。
時子に飲酒の習慣はない。
昼間から、バーボンをストレートにして、グラスから美味しそうに舐め取っているアリス。
彼女のことを、テーブルの向こうから見守っている。
アリスの隣にいる町子も、呆れた顔でアリスを見守っている。
アリスはグラスから視線を上げて、二人の顔を見比べた。
「おい、お前たちも飲みなさい」
圧迫的な声で言う。
時子は激しくかぶりを振った。
「私、駄目。言ったでしょ。飲めないの」
「そうね、時子は飲みそうにない顔をしていると思ってた」
アリスはうなずいて、あっさり退いた。
時子にしてみれば、拍子抜けだった。
確かに、彼女は酒を飲めない。
だが本心を言えば、興味を持ち始めていた。
アリスがあまりに美味しそうに飲んでいるからだ。
もし強引に勧められでもすれば、その勢いに屈して酒を口にしてみようか…と思う。
「無理強いするほど、私は悪人ではないにゃ」
アリスは済まして言った。
グラスの中の赤い液体を覗き込み、さらにひと口。
ぺろり、と音をたてんばかりの飲み様である。
美味しそうだ、と見ていて時子は思った。
「私、むしろ善人だにゃ」
液体を飲み下して、アリスは続けた。
酔いがまわってきたらしく、白い顔の中で頬が赤く染まり始めている。
町子が呆れて彼女の横顔を見ている。
アリスは、グラスを空けた。
ゆっくりとした動作で頭を持ち上げ、遠くのカウンターの方に目をやった。
例の女性従業員を呼ぶつもりだ。
「お姉さん、同じのをもう一杯くださいにゃ」
はい、と時子の背後で応じる声。
あんまり飲まない方がいいのに、という顔で町子はアリスを見ている。
だが時子は、アリスがどこまで飲みきるか、見届けたい気持ちになっている。
従業員が運んできた二杯目のバーボンを、アリスは懲りずに舐めた。
「私、この店が好きになりそうにゃ」
飲みながら、酔った様子のアリスは、嬉しそうな声をあげる。
「何言ってんの、お酒が飲めるぐらいのことで」
横合いから、町子が冷静な合いの手を入れる。
アリスは町子をにらんだ。
「それだけじゃないよ」
「そう?じゃ、何がいいの?」
「雰囲気」
アリスは短く答えた。
時子は、嬉しくなった。
彼女も、この店の雰囲気が好きで、お気に入りなのだ。
アリスがこの店を好きになってくれたなら、嬉しい。
「雰囲気って言ったって、人がいないから静かなだけじゃない」
町子は冷静に指摘した。
アリスはグラスに口をつけながら、うなずいている。
液体をひと舐めしてから、口を開いた。
「そこがいいの。静かで、私とお前たちだけ。お酒も飲める。いつまでも。いい店にゃ」
時子は、彼女の言葉に、うなずいていた。
「いつまでも、ってことはないでしょ」
町子は冷静に指摘した。
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