『ぶりぶりと夜通しうるさい者』
ぶりぶりぶりぶり、夜通し言っているのだ。
「うるせえんだよ、ぶりぶりぶりぶり」
横になっていた長太(ちょうた)は叫んで、掛け布団を跳ねのけた。
外でうるさい。
ぶりぶり、ぶりぶり。
それは単車の排気音なのだ。
このところ、毎日である。
夜が更けてから、夜明けまで。
長太の住むアパートのすぐ外の道を、行ったり来たりする単車があるのだ。
おそらく同じ一台の単車である。
短時間で、同じ道を何往復もするのである。
その際にわざとらしく、排気音をぶりぶりと鳴らしていくのだ。
郊外の、住宅地である。
ここの住人たちが皆眠っているのは、単車の乗り主にもわかっているはずだ。
安眠妨害である。
いたずらか、嫌がらせに違いない。
「俺は明日も朝早くから仕事なんだ…」
布団の上に座り込み、目をこすりながら、長太はうめいた。
彼は、眠りの浅いたちで、夜間の騒々しい物音は、特に気に障る。
もう限界だった。
腹に据えかねた。
ぶりぶりとうるさい単車の乗り主を、黙らせるべきだ。
長太は眠い頭で、敵意を募らせた。
ぶりぶり、ぶりぶり。
「貴様、うるさいんじゃ」
長太は大声を出しながら、道に飛び出した。
「わっ」
低速で走っていた単車の若者。
道の先に長太の姿を認め、慌てて単車にブレーキをかける。
目の前で停まった単車に、長太は真っ直ぐ向かって行った。
単車の上で、ヘルメットをかぶった若者が、身を固めているのが見える。
「貴様、夜通しぶりぶりぶりぶり、うるさいんじゃ」
相手の目の前に仁王立ちになり、長太は吠えた。
ヘルメットのシールド越しに、若者が顔を引きつらせているのが見える。
長太は相手が黙っているので、勢いづいた。
「こら、何とか言え」
「困ります」
ヘルメットの中で、若者が小さな声で言う。
「何がだ、困ってるのはこっちだろ」
ガン、と単車の前輪を、長太は勢いよく蹴り上げた。
「何するんですか」
若者は怯えた声をあげた。
長太は、相手をにらみつける。
「貴様、さっさと帰っておとなしく寝ろ。さもないと」
拳をつくって、相手の目の前に掲げた。
強く握り締める。
ぎりぎり。
「…わかるな?」
芝居がかった脅しも、目の前の怯えた若者には効果的だった。
若者は体を震わせた。
「きょ、今日のところは帰ります」
単車のエンジンをかけ、長太の脇をすり抜けて、排気音も控えめに走り去った。
その晩は、それ以降うるさい排気音を聞くことはなかった。
すっきりとした目覚めだ。
出かける支度をして、出勤のために家を出た長太である。
近所で、今期の町内会長を務めている主婦、武田さんにつかまった。
「ちょっと、長太さん」
とがめるような、険しい声だ。
長太は足を止めた。
武田さんは、厳しい目で長太を見ている。
「何でしょう?」
「おたくよね、昨日の晩、業者さん追い返してくれたの」
「業者さん?」
何のことだかわからなかった。
「何のお話ですか?」
「とぼけないでよ」
武田さんは、急に声を荒げた。
敵意のこもった目で、長太をにらんでいる。
長太はひるんだ。
「おたくのおかげで、こっちは寝れてないの」
昨晩に外で、ぶりぶりうるさい単車相手に暴れたことを言われているのだろうか。
確かに、長太は怒鳴りまくったから、うるさかったかもしれない。
しかし、あの単車の執拗な排気音の方が、よほどうるさかったはずだ。
「そうだよ、俺も寝れなかった」
いつの間にか、武田さんの隣に横山さんがいる。
この人も近所の住人だ。
武田さんに同調して、怒っている。
「あんたのせいだぞ」
「すみません、ちょっと話が飲み込めないんですが…」
「あなたが安眠の業者さん追い返したことを言ってるの」
水野さんも顔を出して、怒っていた。
この人も勤め人で、長太と同じようにスーツ姿でいる。
いつもは穏やかな女性なのに、別人のような表情だった。
安眠を妨害されると、人間変わるものなのだ。
「ちょっと待ってください、俺はうるさい単車の若者を追い返したんですよ」
追い詰められて、長太は叫んだ。
「あいつこそ安眠妨害だったじゃないですか」
「何言ってるの、皆でお願いして来てもらってるのに、忘れたの?」
水野さんは、目を三角にして言った。
「安眠の業者さん、この界隈が静か過ぎて皆眠れないから、町内会で来てもらうことにしたじゃない」
まくしたてている。
長太には、寝耳に水だった。
「安眠の業者って、あの若い奴のこと?」
「そうよ」
「業者さんお願いすることは例会で決めたし、回覧板でも告知したでしょうが」
武田さんがにらみつけてくる。
「長太さんさ、おたく例会に出席してるし、回覧板にもサインしてるよ」
横山さんは、手に持った回覧板を掲げて、該当の箇所を長太に見せ付けた。
そうだったっけ、と長太は思った。
そう言われてみれば。
夜間に安眠の業者を呼んで。
眠気を誘う排気音を鳴らしてもらう旨、皆で話し合った気もする。
世間の人たちは、ぶりぶりという排気音に眠気を誘われるんだそうだ。
「でもあのぶりぶり音、俺には効かないんですよ。かえってあれ聞くと眠れなくて」
言い訳するように、長太は口走った。
「あなた以外は皆、ぶりぶり音のおかげで眠れてるの」
怖い顔をした隣人三人に詰め寄られ、長太はそれ以上返す言葉がなかった。
その日の夜から、安眠の業者はまたやってきた。
夜通し単車で行ったり来たりして、ぶりぶりぶりぶり言っている。
長太は、もうあきらめた。
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