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『瞬殺猿姫(34) ぐうの音も出ない猿姫と三郎』

肩を並べて格子窓から外をのぞきながら、三人は戦慄している。

猿姫(さるひめ)。

織田三郎信長(おださぶろうのぶなが)。

蜂須賀阿波守(はちすかあわのかみ)。

伊勢の神戸城、二の丸の西の隅に立つ、二重櫓の二階である。

窓の外には、血生臭い光景が広がっている。

 

夜が更けた頃、西から関家の軍勢が来襲した。

神戸城の城主、神戸下総守利盛(かんべしもうさのかみとしもり)によると、神戸家と関家は儀式的な夜戦を行うということだった。

双方承知の上で、形ばかりの戦を行う、以前からの慣例だというのだ。

神戸家は、伊勢の由緒ある武家である関家の、分家にあたる家柄である。

神戸家と関家は、領地が隣接するうえで利害が対立することはあっても、それぞれ係累として平和的に問題を解決してきた。

形ばかりの戦の儀式も、その解決策の一例なのだ。

死人も怪我人も出ないが、お互い戦の真似事を通して緊張を緩和できる。

神戸下総守は、織田三郎にそういう説明をした。

 

二の丸の塀に沿った堀の外。

堀沿いに並んで立つやぐらの明かりに照らされて、関家の軍勢が、神戸家の兵たちを一方的に攻撃する様が見える。

数が少ない神戸兵に対し、関兵の数は多く、武装も本格的だった。

隊列を組んだ関兵たちから長槍と矢を打ち込まれ、神戸兵が次々に倒れていく。

「あれは、殺し合いのようだな」

遠くに戦の光景を眺めながら、蜂須賀阿波守がつぶやいた。

猿姫はうなずいた。

「神戸兵がやられている」

「そんな馬鹿な」

猿姫の隣で格子窓にかじりついている三郎は、かすれた声を出した。

「こたびの夜戦はあくまで儀礼的なもので人は死なない、と下総守殿が」

「あれは儀礼的なものには見えんぞ」

阿波守は鼻で笑った。

「そもそも、そんな約束の上での戦などというのが眉唾ものだがな」

阿波守の言葉を受け、うめく三郎。

「では、一子殿の言っていた通りだったか」

猿姫と三郎は、一子(かずこ)と名乗る忍びから、関家が神戸城を攻め落とすつもりでいる旨を伝えられている。

関家は、背後にいる近江国の大大名、六角家の軍勢と共に攻めてくる。

そういう話だった。

一子という女の素性があやふやなだけに、その話の信憑性は不確かだった。

だが目の前で、大軍の関勢が神戸勢を殺しにかかっている。

一子の言葉が裏付けられた。

「猿姫殿」

三郎が猿姫の顔を見た。

「関家は、神戸家を裏切ったのでござろうか」

三郎の顔を見返しながら、猿姫は眉をひそめる。

猿姫にも、確かなことはわからないのだ。

しかし彼ら三人が今この瞬間に判断を迫られているのは確かである。

「詳しいことは、わからない」

猿姫は口早に答えた。

「でもどちらにしろ、ここにいればいずれ関家の兵が押し寄せる」

二重櫓は、二の丸の西の隅に立っている。

関家の兵たちが二の丸に殺到すれば、猿姫たちの脱出の道筋はふさがれてしまうのだ。

「出よう」

三郎の目を見据えて、猿姫はうながした。

「この二重櫓を出て、本丸の下総守殿に加勢するのでござるな?」

櫓内の蝋燭の心もとない明かりに照らされて、三郎の顔に脂汗が浮かんでいるのが見える。

猿姫は、息を飲んだ。

彼女は、まだ関勢の手の及んでいない東の大手門から、神戸城を脱出することを考えていた。

神戸家に加勢することなど、全く考えていない。

「違う、三郎殿、脱出するんだ」

相手に言い聞かせる。

しかしそう言いながら猿姫も、神戸城の本丸御殿にいた人々の顔を思い浮かべている。

若き神戸城主、神戸下総守。

猿姫に対して下心のある風情を見せていたが、彼の猿姫一行への心遣いは、行き届いたものだった。

厨房にいた、気のいい下女たち。

忍びの刺客に欺かれはしたものの、この乱世にあって彼女たち自身は善良な人々だった。

猿姫が眠っている間、部屋を守ってくれていた下女。

縁もゆかりもない猿姫のために、件の下女は命を張っていたのだ。

関勢が本丸に攻め込んだら、そんな彼らはどうなるのだろう?

「こんなところで私たちが犬死にするわけにはいかない」

猿姫は、自分に言い聞かせるように、声を張り上げた。

「私たちは、堺の町を目指すはずだっただろう?」

かろうじて、そう口にした。

脳裏にある神戸城の人たちの顔を、まだ見ぬ港町のあやふやな風景でかき消そうとする。

苦しいことだった。

さらに目の前で彼女を見つめる三郎の不安な表情に、猿姫もまた不安にさせられるのだ。

「しかし、我々が逃げたら、下総守殿はどうなります?」

三郎は訴えた。

猿姫は、たじろぐ。

城が落とされれば、城にいた地位のある者たちは多くの場合処刑される。

下女、城兵たちは捕らえられる。

場合によれば、彼らもまた処刑されてしまう。

より残酷な運命が彼らを待つ場合もある。

猿姫は、三郎の視線に耐え切れず、目を逸らした。

神戸城を捨てて、自分たち三人だけで逃げて生き延びる。

もしくは、本丸に急ぎ、関勢と戦って城の者たちと運命を共にする。

いずれかの道を、彼らは選ばなければならない。

目を逸らしてもなお、三郎のすがるような視線を自分の顔に感じ、猿姫の胸の動悸は早まった。

自分に判断が委ねられているのだ。

「猿姫殿、拙者の鉄砲と猿姫殿の棒術とがあれば、活路も開けるのではありませぬか」

三郎はなおも訴える。

そうかもしれない、と猿姫は思う。

戦の経験は無いものの、自分は人一倍、強いのだ。

関家の軍勢を相手にしても、案外うまくやれるかもしれない。

猿姫は迷った。

何より、不安がっている三郎の気持ちを和らげたい。

ここはひとつ神戸家を助けて戦ってみようか、と三郎に答えたい。

そうすれば、三郎は喜ぶはずだ。

猿姫は、唇を開きかけた。

「うつけか、お前たちは二人とも」

馬鹿にしきった声が、猿姫と三郎とを襲った。

二人は、同時に阿波守の方を見た。

阿波守は、呆れた顔で二人を見ていた。

「お前たち、一度でも生の戦を味わったことがあるのか?」

二人は、黙ったまま阿波守を見返した。

猿姫は武芸の達人であり、今までに織田家から遣わされて襲ってきた刺客を葬った経験がある。

目の前の阿波守とも、木曽川のほとりで戦い、相手を痛めつけて勝っている。

しかし、そんな彼女も戦となると、未経験だった。

答えに困り、猿姫は隣の三郎に目をやった。

三郎は、弱々しい顔で、猿姫を見る。

次いで、阿波守に視線を移した。

「拙者も戦の経験はござらぬ、尾張国内の戦には弟が出陣しておりましたので」

無力な声であった。

三郎の弟は、織田弾正忠信勝(おだだんじょうのじょうのぶかつ)である。

兄である三郎を差し置いて実力で織田家を掌握し、実質的に尾張国の領主となった男だ。

戦(いくさ)ぶりで、弾正忠の強さは近隣の国々に知れ渡っている。

猿姫と共に尾張国を追われた三郎には、戦の経験も、おそらく才能も無いのだった。

「でも、この南蛮渡来の鉄砲と、お守りの箸の力があれば」

傍らに置いた鉄砲と、羽織の懐にしまった塗り箸とを三郎は手で叩く。

塗り箸は、忍びの刺客に襲われた際に三郎と猿姫とを救っている。

「ふざけるな」

阿波守の、冷静な声。

猿姫も三郎も、冷や水を浴びせられたような気持ちになり、阿波守を見た。

「一万二万の数の兵を相手に、その鉄砲だの棒だの塗り箸だので、お前たちに何ができるのか。よく考えてみろ」

阿波守は具体的な数を挙げた。

猿姫は、はっとした。

重武装の兵が、一万人。

だいたい、猿姫は一万人の人間が実際どれぐらいの数なのか、想像すらできない。

その一万人が甲冑と武具とで武装したなら、自分の武芸をもってしても、やっつけて回るのは至難の技だろう。

猿姫も三郎も、共にうつむいた。

「今ならまだ間に合う。これから、東の大手門を目指すぞ」

阿波守の高圧的な声を聞いても、猿姫も三郎も、言い返すことができなかった。

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