『旅先のご当地戦国武将。私の妄想』

昼食をとろうと思ったのに、変な店ばかりだ。

外出先、とある街の駅前。

駅前のロータリーを取り囲むように、飲食店が何軒か並んで立っている。

しかしここが、変な店ばかりなのだ。

「タイ式精進料理店」だの「ダイエット食品レストラン」だの「野草粥専門店」だの。

いずれも、およそ食欲をそそられない飲食店が並んでいる。

いや、人によれば食欲をそそられるのかもしれない。

しかし私は、その手の食事はあまり嬉しくないのだ。

どうしてもっと、普通の飲食店がないのだろう。

せめて牛丼かラーメンのチェーン店がひとつでもあれば、我慢できたのに。

「ちっ、なんだってんだ、この駅前は」

空腹に耐えかねて、私は愚痴を口に出していた。

道を行く地元の人たちが、いっせいにこちらを見た。

敵意とまではいかないが、皆、驚いた様子を露わにしている。

私のようなよそ者ぐらいしか、この特異な飲食店の並びに文句を言う者はいないらしい。

「だ、だって、おかしいじゃないですか」

彼らに抗議したくなり、私は小さな声で言い返した。

街の人たちは、お気の毒に、とでも言いたげな憐れみを持った視線を残して去っていく。

私は取り残された。

だって、お肉が食べたいじゃないか。

 

腹が立っているし、空いている。

この街での用事はすでに済んでいるのだ。

だからもう駅から列車に乗って、帰ってもいい。

ただ私には、未練があった。

三度の食事でも、間食でもいい。

外出先では、必ず立ち寄った街のご当地グルメを味わう。

それがご当地グルメブロガーを自認する私の、矜持のなすところである。

駅前の特異な飲食店群には、正直言って失望した。

精進料理のような禁欲的な店ばかりだった。

だからと言ってこの街の食べ物に愛想を尽かすのは、まだ早いと思うのだ。

私は、駅前でもう少し店を探そうと思う。

あのロータリー周りはもう駄目なので、駅前から東西に走る国道に沿って歩いてみることにした。

駅前から東に向かう。

ロータリーを背にしてすぐ、周辺一帯、のどかな水田の景色になる。

 

当地は、歴史のある街なのだそうだ。

もともと古くからの穀倉地帯で、平安鎌倉時代には京の都にいる有名貴族の荘園があった土地柄だ。

戦国時代にはその荘園を守る豪族の中から、全国的に有名な武将を生んだ。

その戦国武将の名を、石持流雲という。

この人物は「知謀の将」とうたわれ、数々の謀略を用いて戦乱の世で活躍した。

歴史好きの人なら、その名を知っているかもしれない。

流雲は後に天下人の片腕となり、天下統一にひと役買っている。

この街では、その石持流雲が幼少期を過ごした場所として、観光客を集めたい意向のようだ。

街のあちこちに、件の武将をもとにした可愛らしいご当地キャラクタの意匠が描かれているのだった。

しかし…。

私は、機嫌を損ねたままだった。

観光地化を目論むなら、まず駅前にご飯を食べられるお店をもっと集めなくては駄目だ。

若者向けの、がっつり系のお店もあって欲しい。

おなかの空いた私は、お肉が食べたい。

田んぼ沿いを行く国道を歩きながら、私は考えている。

駅前から、ついによさそうな飲食店を見つけることなく、郊外に来てしまった。

早々に引き返せばよかった。

ただ、いったん特定の方角に歩き始めると、成果もなく戻るのは難しいことなのだ。

人通りも車通りも少なく、心細い。

だが私は戻る踏ん切りをつかめないでいた。

飲食店を見つけることさえできれば、食事を済ませて、すぐ帰ることができるのだが。

 

空腹が過ぎると、めまいがする。

そして、意識も朦朧としてくる。

そんな状態で歩き続けるうち、私は緑の豊かな界隈にたどりついた。

山間の土地である。

こんもりと上方に膨れ上がる、緑豊かな山が目の前にある。

山の麓に山門があって、私はその前に立っていた。

立派な門の脇に表札があり、「金閣長命寺」と書かれている。

この山には、お寺があるのだ。

山頂近くまで、石段が続いている。

ぼんやりと山を見上げると、上方に寺院の建物が見えた。

結構なお寺であるようだ。

しかし、おなかの空いた私には関係ない。

ちょうどいいきっかけなので、ここから駅に戻ろうと思う。

きびすを返しそうになった。

 

そのとき、山門の表札の横に、おかしなものがあるのに気付いた。

街中のカフェの軒先に置かれているような。

四本の足がついた、ブラックボードなのだ。

「あれっ」

好奇心をあおられ、私は思わず近づいた。

何か、ありがたいお寺の標語でも書かれているのだろうか。

覗き込んでみる。

「お寺カフェ、日替わりカジュアル精進料理定食800円」。

白いチョークで、そう書いてあった。

お寺カフェ。

日替わりカジュアル精進料理定食。

空腹だった私の目に、その品名がじわじわと染みた。

ちょうど、定食、と名のつくものを食べたかったところである。

なにしろ私は、おなかが空いている。

精進料理というものには理解がないし、駅前のタイ式精進料理等を蹴ってきたところなのだが…。

成果なく駅前に戻るのも苦しかった私。

しばし、ブラックボードを見つめて立ち尽くした。

どうしようか…。

このお寺でもし食事ができるなら、していこうか。

それとも、おとなしく引き返そうか。

迷った末、山門をくぐることにした。

石段は長いが、食べ物を目の前にしてはそれを登る苦労も薄れる。 

 

石段を登りきると、山頂につくられた境内に、寺の本殿とそれに付随する僧坊がいくつか立っている。

まずは本殿で参拝を済ませた後、私は設置された案内版にしたがって、僧坊の方へと進む。

古い建物だった。

玄関で履物を脱いで、中に入った。

入口では、案内がない。

誰もいない。

ためらったが、そのまま、板の間の通路を奥へと進んで行った。

小さな座敷に出た。

その場には、いくつかの膳と座布団とが据えられている。

「そちらへお座りください」

どこからか、静かな声がした。

周囲を見回した。

誰もいない。

たぶん、私に向けての言葉だったと思う。

言われるまま、通路から座敷に入り、座布団の上に正座した。

周囲に目をやった。

掛け軸などの調度品はあるが、いたって質素な内装の座敷だ。

無駄がない、と言えばより聞こえがいいか。

そんなところに座って、私は何かが起こるのを待っている。

「どうぞ足を崩して、楽になさってください」

まただ。

静かな声。

私はそう言われて、足が痺れていることに気付いた。

実のところ、正座には慣れていない。

人から言ってもらえると、気持ちも楽だ。

言われるがままに足を崩し、あぐらをかいた。

座敷の奥に、戸が見える。

その戸が開いて、人が入ってきた。

作務衣を身に着けている。

小柄な体格。

頭が、つるつるしていた。

綺麗に剃り上げている。

僧侶だ。

手に茶托を捧げたまま、静かなたたずまいで私のところまで来た。

腰を落として、私の前に肩膝をついた。

「お寺カフェに、よくお越しくださいました」

湯飲み茶碗を、私の目の前の膳に置いた。

感情の起伏の少ない声である。

聞き覚えのある声色。

先ほどから、私に声をかけていたのはこの人だ。

私は、相手の顔を見た。

色の白い、目鼻立ちの小さな顔である。

子供のように見える。

それとも、小柄な女性なのだろうか。

少年層か尼僧か。

断定できない。

逡巡していた私の視線と、相手の視線とが合った。

私は狼狽する。

ただ目の前の僧の目は、あくまで穏やかだ。

落ち着いている。

「食事したいんですが」

私は動揺しながら、伝えた。

飲食店で僧侶に接したことがない。

いや、飲食店ではなくお寺だった。

「かまいません。なんでもご用意できます」

そう言って、僧は私の前に厚紙でつくられたお品書きを置いた。

受け取って、開いてみる。

いろいろと、料理が書いてある。

山菜そばとか懐石御膳とか、それらしいものばかりだ。

その中に、例の「日替わりカジュアル精進料理定食」もあった。

「これをお願いします」

口に出すのがためらわれて、該当の箇所を指差した。

「日替わりカジュアル精進料理定食ですな」

丁寧に、僧は復唱した。

その声には淀みがない。

何の照れも気負いなく、すらすらと読み上げる。

見事だ。

私は思わずうなずいた。

僧は一礼して立ち上がる。

茶托とお品書きとを持って、もと来た戸から外に出て行く。

日常で見ることのない洗練されたそのたたずまいに、私は思わず去る相手の背中に見惚れていた。 

若くは見えるが、それにしても少年僧、ということはないだろう。

およそ子供のたたずまいではない。 

やはり、中性的な尼僧だろうか。 

 

しばらくして、膳が運ばれてきた。

茶碗に盛られた雑穀米に、各種の料理。

全体として派手さのない、落ち着いた色調である。

いずれも野菜と山菜のみで整えられている。

主菜には鶏肉の蒸したもの、鰻の蒲焼きもあったが、箸をつけるとどうも優しい歯ごたえ。

あっ、と私は思った。

これは本物の鶏や鰻ではなく、お寺流のもどき料理だ。

そう気付いたのだ。

しかし、それでもなお、美味しい。

味付けは予想したよりしっかりしている。

料理の中には私が初めて食べる、ごま豆腐もある。

その柔らかな食感と特徴的な香り高い風味とが、私は気に入った。

おなかの空いていた私の箸は、よく進んだ。

「ご飯のおかわりはご自由にできますから、いつでもお呼びください」

静かな声がしたので、私はうなずいている。

声はするものの、あの僧はその場にいなかった。

どこか部屋の外に控えているのだろう。

 

食事を済ませて料金の支払いをし、山を降りた。

駅まで歩く。

おなかはふくれ、またお寺での対応が穏やかで洗練されていたので、私も穏やかな気持ちになっている。

精進料理は、悪くなかった。

駅前に戻ってきた。

ロータリー沿いに歩きながら、件の店々を眺める。

「タイ式精進料理店」だの「ダイエット食品レストラン」だの「野草粥専門店」だの。

始め見たときには、私はいい印象を持たなかったのだ。

しかしこれらのお店も、入ってみれば実は悪くないのかもしれない。

あの尼僧のような、浮世離れした女性が店内に控えているのかもしれない。

私は、件の尼僧の立ち居振る舞いを思い出している。

気分がいいので、私は同じ並びにある書店に入ってみた。

入ってみたら、古書店だった。

古くからあるお店らしい。

内装は古い。

狭い店内の書棚にはえらく年季の入った古書が並んでいる。

私はこの土地出身の戦国武将、石持流雲について書かれた本を、一冊ばかり買い求めようと思った。

 

「何かお探しですか」

書棚の合間に立って物色していた私に、カウンターの中から店主が声をかけた。

めがねをかけた、高齢だが快活そうな男性店主だった。

書店で声をかけられるなんて、そうそうない。

地方の古書店の接客は、こういうものなのだろうか。

「あの、石持流雲についての本を探しているのですが」

少しうろたえながら、私は正直に答えた。

「ああ…」

と、店主は顔をくもらせる。

「石持流雲ね。その関連の本は、あらかた売れてしまったんですよ」

「え」

「近いうちに、大河ドラマの題材にされるらしいとかでね。中央の学者の先生がわざわざこの店に来て、資料として買い占めて行きなさったんです」

「はあ…」

そういうこともあるのかな、と私は思った。

各戦国武将にまつわる史料は、やはり彼らが活躍した地元に多く残っているものだからだ。 

関心を持った学者は、その武将の出身地に殺到するものなのだろう。

私はろくな考えもないまま、なんとなくうなずいている。

「おたくさんも史学の学者さんですか?」

店主は、好奇心を持った目で私の顔を覗き込んだ。

私はかぶりを振る。

こちらは、ただの歴史好きの素人だ。

「最近は多いですよ、趣味で来られる方も。ところで、お寺の長命寺、参拝されましたか?」

当主は、唐突に私に尋ねてきた。

長命寺

覚えがある。

私は、若干動揺した。

先ほど食事した寺。

確か、金閣長命寺という山号だったはずだ。

「ええ、さっき見てきたところです」

うなずく店主。

こちらはそこで食事して、そこにいた尼僧のことをずっと考えているのだ。

「それはよかった。あの人はね、あのお寺で修行していた、尼僧だったんです。つまり、女のお坊さん」

店主は早口に言う。

「はっ?」

私は、うろたえた。

「誰の話ですか」

「ですから、石持流雲ですよ」

しっかりした店主の答え。

「え…」

再度うろたえた。

「えっ?そうなんですか」

「石持流雲がね」

尼僧。

石持流雲は、尼僧だった。

私は、狼狽した。

女の武将だったのか。

そうとは気付かなかった。

店主は、呆然としている私に構わず続ける。

「もともと、石持流雲は地元の豪族の娘だったんですよ。若いときには長命寺で修行をしていたんですな。尼寺ですからな」

長命寺は、尼寺だったのか。

気付かなかった。

「ところが、長命寺、隣国の大名の焼き討ちに合いましてね。流雲はそのときに焼け出されまして。その後、流浪の末に、彼女は天下人に仕えることになったんです」

さすが、地元の古書店店主は郷土史に詳しい。

私は、息をのんだ。

なるほど、と思った。

そうすると。

さっき長命寺で出会ったあの尼僧は、石持流雲の後輩ということになるのかもしれないのだ。

 

食事の際の対応にあたった尼僧の、物静かなたたずまい。

そこに、石持流雲というかつての女性武将の面影を見ながら、私は駅に戻った。

現代にも、彼女のような尼僧がいる。

彼女も石持流雲に劣らぬ、独自の物語を人生に抱えているに違いない。

妄想をふくらませながら、私は帰路に着いた。

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