『魑魅魍魎の星、天ぷらを揚げる店主』
いつの頃からか、時間の感覚がなくなっている。
異次元に住む宿命である。
それなので、どのタイミングで仕込みを始めればいいのか、見切りが難しい。
それでも客が来る予感さえあれば、彼は仕事を始めるのだ。
各種のタネを衣にからめる。
鍋の中の熱した油に、タネを通す。
このタネを回収するタイミングの見切りが、職人としての腕の見せ所だ。
滞油時間の長短で、同じタネを使った天ぷらの味が、別物になってしまう。
衣の内側のタネに程よく熱が加わった頃合いで、天ぷらを引き上げるのだ。
その天ぷらを引き上げたときには、お客がそこにいなければならない。
揚げたてを、お客の口へ。
「こんにちは」
明るい声がした。
天ぷら店「みかぼし」の入口。
引き戸を開いて、入ってきた人がいる。
ごてごてとした鉄板を体中につけた、ものものしい服装の人。
服と言うよりも鎧と言った方が、実際をうまく現わしている。
その鎧の中身は、若い女であった。
みかぼし店主、顔馴染みの人である。
バウンティハンターを名乗る娘。
バウンティハンターというのは、賞金稼ぎを意味する生業のようだ。
娘は腰の横に垂らした右手の先に、レンガのような形の、太く短い銃を提げている。
高く持ち上げた左手には大きな惑星動物の死骸を持ち、肩に掛けるようにして担いでいた。
動物の死骸から店の床に、ぼたぼたと緑色の血が滴り落ちている。
彼女は狩りを終えてきたばかりのようだ。
「おじさん、私、また獣を狩って持ってきたの。天ぷらのタネになるかと思って」
「ちょっと、そういうなまものはよ、裏の勝手口から持って来てくれや」
店主は慌てて言う。
ハンターの娘は頬をふくらませた。
「なんでよ、私はこれで、お客でもあるのよ」
そう言われると、言い返せない。
お客に勝手口に回れとは言えない。
「買い取るから、そのタネはとりあえず入口の脇の方に置いといてくれや」
そう告げると、娘は嬉しそうな顔をする。
言われた通り入口の脇の方に死骸を置いて、カウンター席の椅子に座った。
娘は貴重なタネの供給元であり、なおかつ常連客でもある。
二重の意味で、店にとって大事な人だ。
むげにはできない。
「お前さんが来る予感がしてな、天ぷらは出来ているぞ」
娘が席に着くのとほぼ同時に、店主は鍋から天ぷらを引き上げた。
頃合いだった。
皿に盛り付け、付け合せの薬草を添えて、娘の前の卓上に差し出した。
「嬉しい、私、おなかぺこぺこ」
娘は卓上の割り箸を手に取って二つに割り、さっそく皿の上の天ぷらに取り付く。
口元に運んで、頬張った。
目をつぶって、咀嚼している。
次のタネを鍋に通しながら、店主はそれとはなしに娘の顔色を見ている。
「ああ、人心地ついた」
天ぷらを余さず飲み込んで、娘は満足げにうなずいた。
店主も彼女に目をやりながら、うなずく。
バウンティハンターの仕事現場がどんなものか見たことはないが、想像はつく。
魑魅魍魎が地表にあふれる、この惑星である。
それらの魑魅魍魎と日々命のやり取りをしているのが、バウンティハンターである。
店主は以前、目の前の娘から、そう聞いた。
天ぷら職人は、バーのマスターではない。
原則、客と雑談などはしないのだ。
だが生きた人間の少ないこの惑星にあっては、お互い人恋しく、店主も客の意向によっては話しこんでしまう。
目の前の娘も、話好きな常連客である。
店主は、彼女を見ると、母星に置いてきた実の娘のことを思い出してしまう。
つい、相手のペースを尊重してしまうのだ。
それで、彼女が来店する度に、お互い世間話をするのだった。
「さっきの獣の仲間が集団で現れて、私、すんでのところで殺されるところだったわ」
娘は入口近くの死骸の方を親指で指した。
「囲まれてね、一斉に襲い掛かられたの。体に取り付かれて、噛み付かれて、私はナイフを使って一匹一匹引き剥がしてね…」
抑制の利いた声で、そう語る。
その彼女の前髪の下から、たらたらと血が滴って目の上に流れた。
「あら、いやだ」
その先の戦闘で、頭部を噛まれたのだろう。
食事中に、流れる真っ赤な血液。
店主は慌てて手拭いを取り出して身を乗り出し、娘の額を拭った。
「ありがとう」
「傷は大丈夫なのかよ、お前さん」
「大丈夫よ、お父さん」
平気な顔をして、店主が出した次の天ぷらを頬張る娘。
彼女の元気さが、かえって心配になる店主だ。
満身創痍で魑魅魍魎と戦い、元気に天ぷらを食べる彼女を見ている。
赤の他人の自分をお父さんと呼ぶ彼女には、そうさせるだけの過去があるはずだ。
その過去に触れることはできないが、出来る限り、彼女の力になりたいと思う。
自分の娘もこの子ぐらいに元気でいるだろうか、と店主は地球に思いを馳せた。
「畜生、くたばれ、くたばれっ」
金切り声を張り上げて、必死にもがく。
竜子(たつこ)は、這っていた。
ねばねばとした地衣類に地表を覆われた、森の中。
這いつくばった竜子は、自分の顔を目掛けて襲い掛かってくるシイタケに、片手で串を突き立てる。
勢いよく跳ね回っていたシイタケたちは、竜子に串で刺され、絶命する。
ぼてぼてと、地面に落ちておとなしくなるのだ。
彼らに何度か噛み付かれて、顔を血まみれにした竜子は、それでもシイタケを片付け終わった。
肩も腕も、膝も噛まれ、白い法被のところどころが裂けた。
彼女自身の血液とシイタケの体液とで、法被の繊維がどす黒く染まっている。
力なく、立ち上がった。
シイタケ共の死骸を、腰に提げたびくの中に拾い集めた。
今夜の商いには、かろうじて間に合う量だ。
待乳山の森から、浅草六区にある自分の店に、重い足取りで戻った。
浅草六区は、死の街と化している。
今でも営業しているのは、竜子の店ぐらいだ。
日本全土の総人口が1000万人程度に減って以降、来店する客の数も激減している。
であるからこそ、父不在の店を、自分一人の手で切り盛りできるのだが。
竜子は10年前に異星に旅立った父の跡を継いで、浅草の「みかぼし」本店を営業している。
父は元気でやっているのだろうか、と気を揉む余裕もなかった。
父が旅立った直後から、魑魅魍魎が跋扈し始めた世界。
その中でタネの調達から店の防備までこなし、天ぷらを揚げ続けるのは、容易ではないことだった。
毎日が、命がけの戦いだ。
年がら年中、竜子は血まみれになっている。
「お父さん、帰ってきてよう…」
店に客がいないときには、つい弱音を吐いてしまう。
古くからの常連客に支えられてはいるけれど、心はいつだってくじけそうなのだ。
「私、もうくじけちゃうよ、お父さん…」
客のいない店内に、カウンターに突っ伏してすすり泣く竜子の声が響く。
「はい、あーん」
カウンター席から娘が箸で差し出した天ぷらを、店主は口で受けた。
自分で揚げた天ぷらながら、旨い。
海老に白身魚も悪くないが、この星の魑魅魍魎の味わいも、捨てたものではない。
「はい、今度はお前さんに、あーん」
今度は店主が差し出した天ぷらを、娘は口で受ける。
彼女の色艶のいい唇が、天ぷらの衣にからみつくのを、店主は見ている。
次に揚げるタネを手先で衣につけながら、店主は実の娘のことを考えている。
竜子、お前もいい男を見つけて頑張ってくれ。
店主は、いつも遠く離れた娘のことを思っている。
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