『真田丸』の史跡を訪ねて。大阪市の旅
先週末、大阪市内を散策してきたのです。
今週の日曜日、その『真田丸』も最終回を迎えます。
それに先駆けて、『真田丸』と「真田幸村」ゆかりの史跡を見て、真田丸の空気を体感しようと思ったのですね。
ここから、北に歩いていきます。
高架下を通って、新世界のジャンジャン横丁を通って行きましょう。
来ていきなりですが、ちょっと小腹が空いていたんですね。
ジャンジャン横丁で、何か手頃なおやつが手に入ればいいのですが…。
午前中からにぎわっています、ジャンジャン横丁。
串カツ店ですとか、立ち飲み居酒屋などが多い商店街です。
大阪観光のテレビ番組でもよく取り上げられて、観光客の方々も着実に増えているようですね。
小腹の空いた私は、あるたこ焼き店で「たこせん」の名を目ざとく見つけました。
海老せんべいにたこ焼きを一、二個挟んで、天かす、ネギなどの具をまぶしたたこせんです。
子供の頃から食べている、お馴染みの一品であります。
だいたい100円とか200円で買えて、たこ焼きよりも手頃です。
子供のおやつにも、ちょうどいいんですよね。
このたこせんは150円で、たこ焼きの中にはこんにゃくも入ってまして、美味でした。
小腹が満たされて、元気が出ました。
天王寺動物園、美術館などがある天王寺公園界隈をしばし散策します。
通天閣も眺めに入ります。
大阪市立美術館、久しぶりに近くまで来ましたが、立派な建物ですね…。
ちなみに、この日は閉まっていました。
私が高校生のとき、美術の授業の宿題で「天王寺で絵画展を見て来なさい」と言われ、夏休みに友人たちと来た記憶があります。
それ以来、中に入ったことはないですねえ…。
美術館のすぐ近くに、渋い門があります。
昔ここにあった黒田藩(福岡藩)の蔵屋敷、その長屋門が残っているのですね…。
しばらく前にNHKの「ブラタモリ」という番組で、タレントのタモリさんがこの界隈に来たようです。
できれば、この長屋門へのタモリさんの反応が見たかったですね。
江戸時代、現在の福岡県一帯を治めていた黒田藩。
タモリさんは、その黒田藩に仕えた家柄の出身だと聞いたことがあります。
ドラマの『真田丸』では、俳優の哀川翔さんが演じる武士、後藤基次(ごとうもとつぐ)がもともとは黒田藩の黒田家の家臣でした。
今日まで、こうして門だけでも残っているというのは嬉しいことです。
大阪市立美術館と黒田藩の長屋門の近くに、大阪夏の陣の際に真田幸村が陣を置いた茶臼山があるそうで。
足を向けました。
池の向こうに緑豊かな古墳の盛り上がりがあって。
いい雰囲気ですな。
私もこの界隈には昔からよく来ていたのですけれど、不思議と茶臼山には来たことがなかったのです。
今回が初めてです。
美術館側から茶臼山側まで、河底池(かわぞこいけ)の上をまたいで掛かる、和気橋。
和気橋の名は、奈良時代の偉人、和気清麻呂(わけのきよまろ)が近辺の開発を行ったことにちなんでつけられたそうです。
この界隈、歴史の古い土地なんですね。
河底池の水面に写る、通天閣であります。
茶臼山に渡って来ました。
古墳であり、かつて大阪夏の陣の際に真田幸村(信繁)の陣が置かれた高台であります。
このように、大河ドラマを記念しての幟が関連史跡の周囲に立っています。
茶臼山の頂から、かつての徳川家康本陣跡を望もうと思いましたが…。
木々が生い茂って、方角がわかりません。
うっそうとした雰囲気です。
そう言えば、大阪夏の陣から、時代はかなり遡りますが。
かつて周防国(現在の山口県の東部)に本拠を置いた戦国大名、その名を大内氏という武家がありました。
この大内氏は自らの祖先を琳聖太子(りんしょうたいし)という、百済王族の末裔だとしています。
この琳聖太子という人物、朝鮮半島から日本に渡って来た後に摂津国の荒陵(あらはか)の地で、聖徳太子と謁見したのだそうです。
そういう伝承があるのですね。
その伝承に言う荒陵の地というのが、今ちょうど私がいる茶臼山の辺りを指すのだそうですよ。
琳聖太子も、また聖徳太子に至っても、半ば伝説上の人物で、彼らの事跡も史実かどうかは定かではありませんが…。
ひとつの土地を取り上げても、そこに重層的に各時代の歴史が積み重なっているのは面白いことだと思います。
私がここを訪れたこと自体も、大きく言ってしまえば茶臼山の歴史の一幕ではあるのですね。
まあ琳聖太子、真田幸村と私のようないち観光客が肩を並べるのは、少し無理がありますか。
大内氏、聖徳太子、真田幸村に思いを馳せながら、歩いて参ります。
境内に、幸村の立派な坐像があります。
素敵です。
花の赤備え。
「赤備え」と言うのはもともと甲斐国(現在の山梨県)の武田家の家臣、飯富(おぶ)氏が着用した、真っ赤な甲冑のことなんですね。
幸村も武田家に仕えた経緯から赤備えを採用して、真っ赤な部隊を率いました。
徳川家の重臣、井伊直政(いいなおまさ)も配下に武田家の元家臣が多かったので、この赤備えを採用していたそうですよ。
安居神社の裏手に降りると、そこは「天王寺七坂」のひとつ、天神坂。
今回は他に上りたい坂がありますので、この坂を上らず通り過ぎてしまいます。
こちらに来ました。
清水坂です。
春にも来たんですが、この上に清水寺ってお寺があって、そこからの眺めがいいんですね。
その眺め、また見たかったんです。
清水の舞台からの眺め。
いいですなあ。
私の地元がもう少しひなびたところなので、こういう風景を見ると「都会だなあ」と思ってしまいます。
清水寺の境内で修験道の聖地である玉出の滝を拝んだ後、谷町筋に沿って北に歩きます。
都会ですが、その最中にお寺も多い谷町筋。
この筋沿いに、赤穂浪士を祀った吉祥寺なんてお寺もあります。
吉祥寺は、赤穂藩主である浅野主匠頭(あさのたくみのかみ)の浅野家の、菩提寺だったんですね。
赤穂浪士討ち入りの日も近づいている中、今回は寄りませんでした。
この記事を書いている今日がちょうどその討ち入りの日でした。
お昼時をまわったので、そろそろご飯にしたいと思います。
場所は上本町にさしかかりました。
いいラーメン店があればいいのですがねえ。
ラーメン店、ありました。
谷町筋の東にある、上町筋沿いです。
「とんとん拍子」というお店です。
四段階から辛さが選べる味噌ラーメンがあったので、そちらを…。
750円でした。
一番辛いものをお願いしました。
名づけて「地獄辛」。
赤いですねえ。
「普段から激辛韓国即席麺食べてるから、平気だろ」などと思ってましたが…。
予想した以上の辛さでした。
ただ具材のチャーシューと白菜が美味しく、味噌のコクもあって。
辛うまです。
からいからい、スコットーきた。
から うま。
うまかっ です。
元ネタ知らない方、すみません…。
ともかく私には辛すぎる辛さでした。
週末でしたが、ランチタイムにはおにぎりとお漬物がついてくるサービスがあって、嬉しかったです。
しかし食後から、長らく五臓六腑に辛さダメージが響きました。
辛い料理を食べなれない皆様は、「地獄辛」ではなく「ピリ辛」ぐらいに留めるのがよろしいかと思います。
このとんとん拍子のお店の近くに、天理ラーメンの元祖、彩華ラーメンの支店もあって。
近くに来たときはどちらに行くか、迷うところです。
とんとん拍子の辛さにヤラれながら、それでも真田丸関連の史跡を巡り終えるまでは、私はまだ倒れません。
真田丸のあった場所とされる大阪明星学園のグラウンド前に来ました。
『真田丸』人気もあってか、さすがの人だかりでした。
ここにも、真田幸村がらみの史跡があります。
「真田の抜け穴」だそうですよ。
真偽は不明ですが、ここから大阪城の敷地内まで横穴が通じていたのだとか…。
今は穴が途中で崩れてしまって、中を通っても大阪城までは行けません。
実際は、ここに抜け穴ができた経緯は不明のようですね。
経緯はともあれ、謎の横穴の存在に興奮します。
細川忠興(ほそかわただおき)と、ガラシャこと玉夫人が暮らしていた屋敷の跡、越中公園。
この公園の隣には、今も「大阪カテドラル聖マリア大聖堂」の大きな建物が立っています。
公園から車道を挟んだ向かいに、「越中井」なる場所があります。
関ヶ原の合戦の際に細川ガラシャは越中屋敷で自害、その後屋敷は焼け落ちました。
その敷地内にあった井戸だけが、残ったのですね。
ガラシャの信仰を受け継ぐ大聖堂と合わせて、この井戸もガラシャが当地にいた痕跡を感じさせる史跡であります。
とは言え、天守閣にたどり着くまでが大変なのですが。
お城が攻めにくい構造になっているのを実感します。
天王寺の、黒田藩の長屋門と比べるとかなりゴツイ、多聞櫓です。
威圧感が凄い。
ここを攻めろと言われたら、躊躇します。
天守閣前は、今日も多国籍な観光客でいっぱいでした。
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