『サンタ女性との一夜』

私は怒鳴り声をあげている。

「おい、酒だ!酒がないぞ!どうして買っておかねえんだ!」

目を吊り上げて、怒鳴る。

しかしこれで私も、俺はどうしようもないのんだくれおやじだ、と自分でもわかっている。

「おい、聞いてるのかよ。酒だよ!」

返事をしてくれない。

畜生、と思った。

「酒をよこせよ!」

私の怒鳴り声だけがその場に響く。

響いた後には、かえって静けさが際立ってしまう。

なぜって、家にいるのは、私一人なのだ。

酒を買ってきてくれる家人も、買ってきてくれない家人もいない。

私は、ため息をついた。

自分以外に誰もいない部屋で、私はのんだくれおやじの演技をして、怒鳴り声をあげていたのだ。

酒が飲みたいのは、本当の気持ちである。

他に誰もいなかったとしても。

心が追い詰められて、もう、演技でもするより他にどうしようもなかった。

怒鳴っている間は、心が落ち着く。

しかし酒はおろか、相手をしてくれる人もいない。

昔からそうだ。

部屋に一人。

地球上に一人。

私は壁のハンガーにかかった上着を手に取った。

袖に通して上着を羽織り、外に出かけることにする。

 

街はクリスマスを前にして、着飾っている。

この国はもはや、クリスマス趣味の文化圏内にある。

商店がクリスマス調の装飾を店舗に施すのは、序の口である。

一般の住宅でも、クリスマスツリー、電飾ライトからなるイルミネーションを通行人に見せつけている。

そんな家が沿道に多々あるのだ。

またサンタクロースの衣装を模したおそろいの服を着て、睦み合いながら繁華街を歩くカップルも、そこかしこにいる。

彼らは、幸せそうだ。

まだクリスマスイヴまで間があるというのに。

お前たち、クリスマスぶるのはもう少し待てなかったのか、と私は彼らに腹立ちを覚える。

こちらは大好きな酒にもありつけないでいるのに、あいつらは素面でろくでもないことをしている。

酒も飲まずに浮かれていられる体質の人たちが、私は心底うらやましい。

 

街をうろついたところで、一文無しでは当然、酒は一滴も手に入らなかった。

私は全身の血が干上がるような気持ちを抱えながら隣町まで来た。

歩き続けると体の新陳代謝が良くなって、意識は明瞭になるのだ。

健康的である。

それがかえって、辛かった。

意識が明瞭になると、欲しいものも手に入らず、街をさまよう自分のうらぶれた姿ばかりを意識してしまう。

つらい。

自分は、何で生きているのだろう。

自分は何で生まれてきたのだろう。

酒への渇望、お揃いサンタ服の仲睦まじいカップルへの嫉妬。

己の無力に対する絶望。

それらが最高潮に達したときだった。

「受けて!受けて!」

大きな悲鳴。

それは、頭上からだった。

反射的に顔を上げるよりも先に、大きな塊が私の上に落ちてきた。

とっさに抱きとめようとした腕がはじかれた。

私は押し潰されるように地面に倒れる。

横向きに倒れた。

落ちてきた塊の重みが、私の体にくっついて、衝撃を加えてくる。

内臓が圧迫されて、私の喉から酷い声が漏れた。

生きた人間の重み。

「ごめんよ~」

私の体のすぐ上で、声がしている。

呼吸の乱れた息遣い。

ミントの香りのする息が、私の鼻先にかかる。

苦しい中で、私は首を曲げて見上げた。

私の上に、人が乗っている。

こちらに覆いかぶさるように。

赤い、柔らかい生地の服を着て、その姿は大きく膨らんでいた。

「ごめんよ。家の屋根の上を歩いていたら、足を滑らせたんだよ」

人を押し潰したまま、弁解している。

軽やかな、若い女の声だった。

それにしても、重みが苦しい。

「…ひとまず、どいてくれる?」

苦し紛れに私は、下から相手を威圧した。

飛び退く女。

体が、急に軽くなった。

ようやく、楽になれた。

 

立ち上がり、服の乱れを直した後、私は相手の姿を改めて見た。

絶句した。

赤い服。

それは、サンタクロースの衣装だったのだ。

赤白二色の生地からなる、ふわふわの帽子と衣装。

足にはブーツを履いて、肩から背中に大きな白い袋を担いでいる。

しかしその顔には髭などない。

若い女だ。

ぽっちゃりした、丸顔の人。

肌が抜けるように白く、頬は赤く染まっている。

さらにじっと見れば、その瞳の色は薄くて、目鼻立ちは日本人離れしていた。

どうも、外国人のようだ。

最近は、在日外国人もサンタコスプレに励むものらしい。

それにしても、彼女がまとう衣装は妙に厚手で年季も入っており、コスプレという安っぽい感じではない。

見た目にも、長年使い慣れた感がある。

何者だろう?

彼女はクリスマス行事に携わる、教会関係者なのだろうか?

宗派は知らないが、外国から日本に派遣されてくる教会関係者がこの街にも大勢いることを、私は知っていた。

教会関係者は、クリスマス行事に熱心だ。

「急に落ちてきて、ごめんよ」

先ほどの私の威圧が利いたのか、彼女は私が立ち上がるなりすぐに謝った。

その口ぶりからすると、真面目な人柄のようだ。

私は、今さら慌てた。

サンタコスプレの若者ならいざしらず、教会関係者を威圧するのはよくない。

私は態度を取り繕おう、と思った。

「教会の方ですか?」

探りを入れる。

女性は目を丸くして、私を見た。

「教会?」

「いずれかの宗派の、教会の方ですよね?」

彼女は首をかしげている。

「私が、教会の人に見えるのかね」

そう言ってうつむき、自分の胸元、衣装を見ている。

教会の人と言うより、正確にはサンタクロースの衣装だ。

「いや、見た目そのものはサンタクロースの衣装ですね」

「そうだろう?」

私が合いの手を入れると女性は安心したらしく、うなずいて見せた。

私は、わからなくなった。

なんなのだろう。

教会関係者ではなく、やはりただのコスプレ女性だったのだろうか。

屋根の上から足を滑らせて、落ちてきたりして。

雪国ではあるまいし、雪は降っていないのに。

雪かきでもないだろう。

彼女は、なぜコスプレして屋根の上にいたのだろうか。

 

混乱した様子を、私の顔に見て取ったらしい。

女性は、自分が落ちてきた屋根の上を指差した。

「ほらほら、この家。見てごらん。煙突があるだろう?」

そう言われてみると、確かにそうだった。

目の前に立つ、その家。

欧米式のレンガ積み住宅なのだ。

見上げても、高いところにある屋根の上は見えない。

それでも日本では珍しい、大きなレンガづくりの煙突の先端が、ひさしの向こうに見えた。

「立派な煙突がありますね」

「ね。あの煙突を上から見下ろしていたら、どうにも我慢できなくなってね。プレゼントを落とそうと思ったんだよ」

女性は告白した。

プレゼントと言うのは、背中に背負った白い袋の中に入っているようだ。

「上から見る、と言うのは?」

私は女性の言葉を指摘した。

「それはね。私はそのとき、トナカイの引く、そりに乗って空を飛んでいたんだよ」

女性は得意そうに答えた。

「この国には大きな煙突が少ないから、できることもなくて、持て余していたんだ。そうしたら、この家の煙突を見つけてね」

ははあそうですか、とうなずきながら、私は適当に聞き流している。

この人も、酒も飲まずに浮かれていられるクチらしい。

トナカイの引くそり。

空を飛ぶ。

プレゼント。

その浮かれ具合がうらやましいぐらいの、与太話だ。

「まあ、日本には暖炉の文化がないですからねえ。大きな煙突も少ないですよねえ」

無理くり話を合わせながら、私は、次の展開を考えている。

相手は、浮かれたサンタコスプレ姿の外国人女性である。

本来の私なら、そんな相手のことは眉をひそめて遠くから見守る程度で済ませるのだ。

でもこうやって、きっかけはともあれお近づきになれた以上、なんとかして仲良くなりたい。

そう思った。

「ところでお姉さん、喉渇きません?」

相手の顔色を見守りながら、私は注意深く言葉をかけた。

「え、喉かい?」

「うん」

「おお、確かに。お前さん、よくわかったね。確かに、何日も空を飛んでいると、喉は渇くよ?」

「ですよねえ」

と、私は話を合わせる。

「この近くに、私の馴染みの喫茶店があるんです。お茶の時間にしませんか」

馴染みの喫茶店というのは、その場で口から出た、出まかせだ。

界隈にある私の馴染みの店など、ホームセンターぐらいしかない。

そんなところにサンタ女性を連れていくわけにはいかない。

ここは出まかせを言ってでも、彼女をどこかの喫茶店に連れ込むのだ。

「お茶かい…?」

サンタ女性は、首をひねった。

どうも、不満なようだった。

私は、慌てる。

喫茶店では不足だったか。

「もしかしてお姉さん、おなか空いてました?」

相手に尋ねながら、私は漠然と自分の懐具合を思い出している。

悲しいことに、私は一文無しだった。

一滴の酒にも事欠いていたわけなのだ。

だが、思い出した。

財布の中に、普段使っていない預金口座のキャッシュカードが入っている。

あの口座、もしかしたらまだ一晩飲み食いできるぐらいの残高は、かろうじて残っていたかもしれない…。

「いやいやあ」

と、サンタ女性は鷹揚に言った。

「おなかはそうでもないんだがね。お前さん、ビールはどうかね?」

目を輝かせながら、彼女は私の顔色をうかがっている。

ビール。

それは、私の好物のひとつだ。

私も少し浮かれた。

「ビールですか、いいですねえ」

「喉が渇いたときには、ビールが一番だよ」

この人も、酒好きらしい。

これは意外に、話がうまく進むかもしれない。

「じゃあ、ビールの美味しいお店にお連れします」

「そりゃあ頼もしい。次の煙突が見つかるまで、しばらくお前さんと楽しもうかな」

サンタ女性はおおらかに言って腕を伸ばし、私の手に彼女の手を絡めてくる。

手を握り合った。

この流れは、悪くない。

彼女の手の平の温もりを感じながら私は、どのタイミングで貯金を降ろそうか、などと考えている。

その間にサンタ女性は、後ろを振り向いていた。

「お前たち、ついておいで」

小声で呼びかけている。

我々の後ろにある電信柱の陰から、突然。

何匹もの、巨大なトナカイたち。

彼らは、背後に木製のそりを引きながら現れた。

雄々しい角を持った、たくましいトナカイたちの群れである。

こんな連中が、今までおとなしく潜んでいたのだ。

サンタ女性の小声に従い、歩く私たち二人の後をついてくる。

彼らは一様に、それぞれの双眸に反発心を宿しながら私を見据えている。

私は、一瞬たじろいだ。

だが、すぐに彼らをにらみつけた。

お前ら、せいぜいおとなしくしてろ。

お前たちのご主人は、俺のことがお気に入りなんだ。

これから、二人で楽しい飲み会なんだ。

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