『活字中毒のひと』

私が活字中毒、と言うのは言い過ぎだ。

「いや、活字中毒ですよね?」

人の指摘は、厳しい。

「でも私程度で。活字中毒って、言ってしまっていいのかな」

目の前の相手が着ている派手なTシャツには、英文のコピーライティングが印刷されている。

私はその文面を離れたところから、人差し指でなぞるようにして読んでいる。

活字中毒ですよ。普通、人と話してる最中に、相手のTシャツの英文読んだりなんかしませんよ」

相手はすねたような声で言う。

話を聞いて欲しかったらしい。

でも、私は人の話を聞くより、文章を読む方が好き。

「僕の話、聞いてくださいよ」

「聞いてますよ」

と受け流しながら、私は相手のTシャツの英文を読む。

 

I am what I've eaten, I am what I've read, I am what I've sung.

 

そう書いてある。

私は私が食べてきたもの、読んできたもの、歌ってきたもの。

そんな内容だ。

ひねりがない、ありがち。

そう思った。

凡百のTシャツにある文句だ。

少し物足りない。

「満足できませんでした?」

相手は私の顔色をうかがいながら、尋ねた。

「ちょっと後ろ向いてくれませんか」

私は彼の問いに答えず、要求する。

「なんで?」

「いや、ちょっとだけですから、黙って後ろ向いてください」

私は発作的にむずむずしてきたので、性急に言った。

相手は、ため息をついた。

「どうせ背中の方にも何か書いてないか、見るつもりでしょう?」

「それだけわかってるなら早く後ろ向いてください」

私は、声を高める。

相手は仕方なくといった様子で、私に応じてこちらに背を向ける。

男性の背中に、私は視線を注いだ。

思ったとおり、彼の背面にも、英文のコピーライティングが印刷されてある。

 

...and I am who she've loved.

 

そして私は、彼女が愛していた者。

そんな意味。

ああ、オチまでありがちだった。

私は泣きたくなった。

陳腐な文句が胸と背中に書かれたTシャツを着て、この人は恥ずかしくないのだろうか。

私はため息をついた。

「どういう意味だったんですか?」

Tシャツの着用者は、私の反応を見て興味をそそられたらしい。

英文の意味を知らないみたいだ。

デザインに惹かれて、書かれた英文の意味もわからず着ていたんだろう。

これは、正直に教えてあげた方がいいのだろうか。

あのね、こういうTシャツを着てると、過去の恋愛に未練がましい人みたいですよ!

でもそう正直に教えた結果、「そんなネガティブな意味だったんですか、じゃあ脱ぎます!」と上半身を露出でもされたらこちらが困る。

私はもう、脚色してしまうことにする。

「これ、わりと扇情的な内容ですね…」

私は言葉を選びながら言った。

「はあ?せんじょうてき?」

男性は、大きな声をあげる。

店内の客たちが、私たちの方をいっせいに振り返った。

「しっ、大きな声を出さないで」

私は慌てる。

逆効果だった。

事を大げさにしたくなかったのに。

「せんじょうてき、ってどういう意味ですか?」

相手は無邪気な声でなおも言った。

私は、困った。

「扇情的というのは、つまり、sensationalな内容を含んでいるということです」

「ええと、そのsensationalっていうのもよくわからないんですが。意味は?」

相手は、興味をそそられたような顔で追及してくる。

やってしまった。

これだったら、相手にこの場でTシャツを脱がれていた方が、まだましだった。

私は困ってしまい、テーブルの上のグラスを手に取って、中のお酒を飲んだ。

お酒に強くない私でも飲める、アルコール度数の低いお酒だ。

「教えてください、sensationalって?」

テーブルの向かいから身を乗り出すようにして、男性は好奇心に満ちた声をぶつけてくる。

逃げなければ。

私はグラスを置き、代わりにテーブルの上からメニュー表を手に取った。

このお店の創業の経緯、提供する各料理、店の心得。

それらを私は黙読し始めた。

男性が執拗に呼びかけてくる声も、もう耳に入らない。

私は、活字中毒者だから。

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もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵 「椎名誠 旅する文学館」シリーズ

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