三十三間堂から六波羅へ。京都市の旅(1)
京都市内の観光がしたくなりまして。
前回、兵庫県神戸市を散策して、平清盛(たいらのきよもり)関連の史跡をたくさん見てきたんですね。
その流れで、京都市内にある清盛公の史跡も巡ってみたくなったのですよ。
京都観光に行きましょう。
ここは京橋というぐらいで、大阪から京都に向かう旅の出発地なんですね。
京阪電車に乗って京都に向かいます。
もう京都市内の七条(しちじょう)駅に着いてしまいました。
京橋駅から京都市内の七条駅まで、ノンストップで行ける特急電車に乗れたんですね。
あっという間でした。
週末は、こういう特急電車の運行本数がもっと増えてくれると嬉しいですね。
地下にある七条駅のホームから地上に出てくると、七条橋の目の前です。
川沿いに柳の木も立っていて、京都京都した良い風情です。
いかにもな京都感。
私のような田舎者はすぐ雰囲気に呑まれてしまいます。
鴨川が流れていますな。
涼しげで。
よろしゅおまんな。
七条橋を渡って西に向かえばJR京都駅方面です。
しかし今回の私はあくまでこちら側、鴨川以東の七条駅界隈を散策して参りますよ。
和菓子店、飲食店が軒を並べる通りを歩いて歩いて。
七条通が、南北に通る大和大路と交わります。
その交差点に今回の目的地、蓮華王院三十三間堂があるのです。
平安時代末期、後白河(ごしらかわ)法皇の住居であり政庁であった法住寺殿の一角に、平清盛公が蓮華王院という寺院を寄進しました。
三十三間堂はその蓮華王院の本堂だった建物です。
建物が三十三の間を持つことから三十三間堂という通称で呼ばれるようになったのですね。
この三十三間堂の建物、横に長さが120メートルあるそうです。
そして内部には、1001体もの数の観音像が祀られているのです。
こちらは三十三間堂ではなくて、拝観受付所です。
拝観料、600円を納めて中に入れてもらいましょう。
受付を抜けて、ロッカー完備の下足場から三十三間堂内に入ります。
残念ながら本堂内部は撮影禁止なので、中の様子は写真ではお伝えすることがかないません。
鎌倉時代の仏師、湛慶(たんけい)の手による観音様の巨像を中心にして、その左右にそれぞれ500体ずつ、十一面千手観音が祀られています。
三十三間堂内の端から端まで、どこまでも続く観音様の群れでした。
観音様たちとは別に、彼らを守る二十八部衆と呼ばれるインド由来の神々と、風神雷神の像の勇壮な姿も拝めました。
堂内の像、いずれも国宝だということです。
圧倒される眺めでした。
天上界が存在するとしたらこういう世界だろう、と昔の人たちが想像した風景を、権力と財力によってそのまま実現してしまったような。
そんな空間でした。
内部での圧倒的な体験の後、本堂の外に出てきました。
お堂の長さが伝わる写真を撮りたいのです。
ぐるりをまわってみたいと思います。
境内には池泉庭園もあります。
もともと、後白河法皇の法住寺殿は広大な敷地を誇っていました。
その総敷地のうち六分の一を占めた蓮華王院の敷地だけでも、現在の三十三間堂敷地の何倍もあったようです。
七条駅からここまで結構歩きましたけれど、もともとは七条駅のある鴨川ぎりぎりまで蓮華王院の境内が広がっていました。
その頃は、境内に五重の塔を始め様々な建物があったとか。
お堂の正面にきました。
お堂の通路には床机がしつらえてあって、参拝客が思い思いに休めるようになっています。
お寺の心遣いを感じます。
境内の一角には独特の塀で仕切られた場所があります。
太閤塀と言って、安土桃山時代に豊臣秀吉によって築かれた塀なんですね。
この三十三間堂の界隈に大仏殿方広寺という寺を建てるにあたって、その境内の南門として築かれたものだそうです。
秀吉はかつての権力者だった後白河法皇の蓮華王院を取り込んでしまう形で新しい広大な寺院、方広寺を創建してしまったんですね。
その意図はうかがいしれませんが、まあ趣きがあって、いい塀ですね。
太閤塀の際から見る三十三間堂、長さがよくわかる眺めかと思います。
お堂の西側では、江戸時代、「通し矢」の催しが盛んに行われました。
通し矢はお堂の軒下の南端から北端まで、矢を射って届かせる競技でした。
各藩に所属する弓術家たちが、藩の名を背負って熾烈な競争を繰り広げたのです。
縁側の柱や軒には、流れ矢による損傷を防ぐために、三代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)によって鉄板が備え付けられました。
由緒あるお寺で何を物騒なことをやっているんだ、と私は思いました。
ただ現在でも、お正月にはここで通し矢にちなんだ弓道の催しが行われているそうです。
殺生を戒める仏教と、殺生の技術の極みである弓術の取り合わせに、何か言葉にできない異様な感慨を覚えます。
三十三間堂の内と外、お堂の壁を隔てて聖と俗とが共存していたのですね。
などという感想を口にしながら、参拝を終えて三十三間堂を後にしました。
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