東京旅行一日目(1)。丸の内から皇居前広場へ。旅の安全をお祈り
先の三連休を利用して、東京に旅行してきました。
もう何年も、東京には行っていなかったのです。
久しぶりに東京のお洒落な住宅地を歩いたり、東京でしか食べられないファーストフードを食べたりしたかったわけなのです。
今回は東京に飛行機で出向くことにしました。
関西国際空港から千葉県の成田国際空港まで、一時間と少しのフライト。
成田国際空港からシャトルバスでまた一時間と少しかけて東京駅前にやって参ります。
東京駅の八重洲側って、こんな感じでしたっけ…。
ずいぶん変わりましたね。
前に来たのはもう5年以上前です。
東京に着いてからまだ何も食べていませんので、朝食を食べられるお店を探します。
名代富士そば、首都圏を中心に展開しているチェーンですけれど、大阪にはお店が無いのですね。
以前からこのお店で食事がしてみたかったのです。
いただきましょう。
冷たいたぬきそば、340円でした。
歯応えのある蕎麦、揚げ玉たっぷりで、さくさく食感もよかったです。
大阪はすでに肌寒い気候になっているのに、東京はまだ暖かいぐらい。
冷たいおそばが美味しいですね。
お店の雰囲気も良かったので、東京滞在中の朝食は富士そばに決めようかな、と思いました。
朝食をいただいて元気が出たので、これから東京街歩きを開始しますよ。
東京駅の丸の内側にまわりました。
以前からの慣例で、東京に来たときには、できるだけある場所に足を運ぶようにしているのです。
将門首塚まで70メートルのところに来ました。
平安時代、朝廷に対して関東の地で反乱を起こした武士、平将門(たいらのまさかど)。
反乱は平貞盛(たいらのさだもり)と藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の手により鎮圧され、将門公は討ち取られました。
将門首塚は、討ち取られた彼の首が眠ると伝わる場所なのですね。
以前に私が来たときには首塚の敷地は高いビルとビルの隙間の土地だったのです。
今回は周辺が再開発の工事中で、すっかり雰囲気が変わっていました。
工事による粉塵等を防ぐためか、塚にはガラスケースか被せられています。
将門公の首塚です。
江戸、東京の守り神として庶民の信仰も集める、将門公です。
今回の私の東京旅が無事に進むように、お祈りしました。
将門首塚まで来ると、東京の中心、皇居はすぐそこです。
せっかく東京に来たので、皇居も拝んでいきましょう。
お堀、櫓、石垣にかつての江戸城の名残りある皇居であります。
遠くに見えるは坂下門ですな。
坂下門のずっと向こうの皇居内に、天皇陛下を始め皇室の方々が住んでおられます。
南側には皇居の正門、そしてその向こうに警視庁の建物が見えます。
東京に来たのだ、という実感がじわじわ湧いてきます。
お堀を渡る石橋の向こうに、正門がそびえています。
門の脇には皇宮警察の方が常駐しています。
がっちり櫓門で警備もばっちり。
江戸城時代の遺構を利用して守りを固めているわけですな。
正門石橋のたもとに集まって、さらに遠くにかかっている正門鉄橋を背景に記念写真を撮るのが流行のようです。
外国人観光客の方が本当に多いですね。
皇居側から皇居前広場の方を見ると、丸の内のビル群が望めます。
ビルの高さは、皇居の周辺ではある程度制限されているのかな?という印象でした。
高層ビルの上層から皇居を見下ろす形になるのは、好ましくありませんものね。
正門のお堀を挟んだ外側に、桜田門があります。
幕末にはあの門の向こうで、彦根藩主で幕府大老であった井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺される「桜田門外の変」が起こりました。
歴史的事件の舞台であります。
皇居前広場の中を横切る内堀通り、大勢の皇居ランナーの方々が常に走っていて、絶えることがありません。
皇居の周囲を何周も走るのでしょう。
ところで皇居前広場と言えば、この界隈に来ると私がいつも訪れる場所が一角にあるのです。
遠くに見えてきました。
南朝の後醍醐(ごだいご)天皇に命を捧げた忠臣、楠正成(くすのきまさしげ)。
彼の銅像です。
明治時代に住友財閥が、愛媛県の別子銅山で採掘した銅を使って製作したのですね。
南大阪が生んだ郷土の英雄、楠正成公。
乗馬姿で、皇居を見守り続けています。
南大阪で生まれ育った私のようなものは、この銅像の姿を見る度に親しみを感じ、勇気づけられる思いです。
平将門公と共に、楠正成公にも旅の安全を守ってもらえるようにお祈りしました。
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