東京旅行二日目(5)。世田谷区桜の勝光院から世田谷城址公園へ。世田谷吉良氏の足跡
いったん東急世田谷線の上町駅まで歩いた後、西の世田谷区桜一丁目界隈を目指します。
桜一丁目、落ち着いた住宅街なんですね。
ところが、この中に私を引き寄せる場所があります。
見えてきました。
曹洞宗の寺院、延命山勝光院があるのです。
延命山って心惹かれる山号ですね。
なぜこのお寺に来たかというと、勝光院は世田谷吉良氏の菩提寺なのです。
南北朝時代に吉良氏によって創建された寺院です。
後の戦国時代には当時の吉良氏当主吉良氏朝(きらうじとも)によって再興され、その際それまで臨済宗だった宗旨を曹洞宗に替えました。
ちなみに吉良氏朝、北条幻庵(ほうじょうげんあん)が「北条幻庵覚書」を送った、後北条家の姫君が嫁いだ相手でもあります。
境内にある梵鐘は、江戸時代の元禄期に加藤鋳物師(かとういもじ)の一人、加藤吉高の手で製作されたものだそうです。
加藤鋳物師というのは、かつて八王子あたりに本拠を置いて三多摩地方を中心に活躍した鋳物職人の名称だそうです。
おそらく加藤鋳物師には加藤姓の人が多かったのでしょうね。
本堂に参拝の後、境内にある吉良氏一族の墓所にお参りしました。
ここには、吉良氏朝の孫にあたる吉良義祇以降の一族が眠っているということです。
かつて広大な奥州を支配した奥州管領の末裔たちの霊に、手を合わせました。
勝光院へのお参りを済ませて、上町駅の駅前に戻ります。
上町駅から北に、今度は世田谷城跡を訪ねていくことにしました。
城山通りの向こうに城跡の木々が見えて参りました。
ここですな。
世田谷吉良氏の城、世田谷城のお城跡です。
今は世田谷城址公園になっています。
14世紀後半に吉良治家が居住したことに始まり、戦国時代に小田原攻めで後北条氏が滅びて廃城になるまで、世田谷城は吉良氏のお城でした。
郭跡の高台の上から、堀跡を見下ろします。
現在の堀跡は浅いので、もはやお城としての機能は期待できません。
これからここに篭城しようとしても難しいです。
私も篭城はあきらめました。
今でも郭跡、堀跡、土塁跡の残る世田谷城址公園です。
閑静な住宅地の中にこうした場所があって、異質な空気を醸し出しています。
ご覧の通り、お堀はほとんど無いくらいの深さです。
かつてはもっと深くてお城としての防御力も高かった、かもしれません。
高台になったお城の郭跡の上にテントを張って一晩か二晩キャンプしたら楽しそうですね。
でも周囲が住宅地であるだけに、野宿したり火をおこしたりなんかしたらすぐ通報されてしまいそうです。
手前勝手な篭城はかないません。
吉良氏の時代には、城番の武士たちが寝泊りしてお城の警護をしていたことでしょう。
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