東京旅行三日目(5)。市ヶ谷からの靖国神社と遊就館。見学します
天気もよく、歩くのが楽しいです。
靖国通りが近づいて参りました。
ビルの上から突き出しているのは、市ヶ谷にある防衛省の電波塔ですな。
昔この近くに蓮池という池があって、そこからカワウソが坂に出てくるのを地元の人が「河童だ河童だ」というわけで、合羽坂と名がついたそうなんですね。
ひょっとすると、カワウソの中に何匹かは本当の河童も混じっていたのではないでしょうか。
ここからは靖国通りを東へ、靖国神社を目標に歩いて参りましょう。
ここには中央大学市ヶ谷キャンパス、自衛隊市ヶ谷駐屯地、防衛省が集まっていまして。
どの建物がどの建物なのかよくわかりません。
そう言えば作家の三島由紀夫が立てこもり、自衛隊員の決起をうながす演説の末に自殺したのは、市ヶ谷駐屯地内でのことでしたね。
ちょうどアメリカからトランプ大統領が来日する当日で、特にこの一帯は歩道を巡回する警官が多かったです。
市ヶ谷駐屯地と防衛省の写真を撮るのもためらわれる雰囲気でした。
私も自然と早足になります。
戦後70年余り。
市ヶ谷八幡町の交差点まで来て、ようやく息をつけました。
東京洋服会館なんていうビルがあります。
この辺りから、右側歩道の外に外堀が見られます。
江戸城の外堀なんですね。
ホームが外堀に接していて、なかなか珍しい駅ですね。
今まで市ヶ谷駅に入ったことがないので、駅の側から外堀を眺めるとどんな具合なのか、気になります。
今回は中には入りません。
靖国神社に行くには市ヶ谷駅との間にかかる市ヶ谷橋を渡ればよかったのですが、渡らずに行き過ぎてしまいました。
この新見附橋で外堀の向こう側に渡ります。
法政大学キャンパスの脇を通る、この一口坂を降りて南の靖国通りに合流しましょう。
現地の案内板には、「『麹町区誌』によると"一口坂の一口は大阪のいもあらいと同じくイモアライと読むべき"」云々の解説がありました。
イモと言うのは病の疱瘡のことで、ここは疱瘡を洗う(治療する)坂だったと。
つまりは疱瘡治癒に御利益のあるお社が昔この界隈にあったということみたいですね。
案内板によると、そのお社があった場所についてはよくわかっていないそうです。
気になりますね。
一口坂から再び靖国通りへ。
落ち着いた雰囲気の中をしばらく歩きます。
でもじっきに靖国神社に出るはずですよ。
着きました。
明治時代初期に、戦没した軍人を祀る神社として創建された靖国神社。
私はこれが初めての参拝ですが、立派な塀と門に囲まれた、予想したよりも広い敷地を持った神社であるようでした。
門をくぐって早々に、こんな場所がありました。
神道無念流、私はよく知りませんでしたが、力強い一撃を繰り出す剣術だったようですね。
もともと関東を中心に広まった流派でした。
この練兵館には桂小五郎(かつらこごろう)を始め維新の志士となった長州藩士たちも多数入門して、剣術を磨いていたそうです。
靖国神社の境内にある理由も、いろいろ想像してしまいます。
戦死した軍人の遺品、また兵器類を集めて公開し、明治以降に日本が関わった戦争についても展示解説を行っている宝物館です。
靖国神社と併せて、政治的な文脈で頻繁に取り沙汰される施設ですので、一度見学したかったのです。
以前に鹿児島の知覧特攻平和会館を見学していましたので、展示内容は似たものであろうと思っていました。
知覧特効平和会館では戦争と特攻隊についての悲惨な実態を見せつけられて、犠牲になった特攻隊員たちの遺品に涙を誘われます。
遊就館の方は、誤解を恐れずに言えば、「娯楽要素を中心にした戦争展示」と言いましょうか。
戦国時代の甲冑等の武具に刀剣、そして明治以降各時代の軍服に銃器等が展示されていました。
各国の大型兵器類の展示も豊富です。
戦争についての解説においても、日本の戦争責任または日本が戦争によって被った被害等の、見ていて苦しくなるような要素は巧妙に排除されているような印象を受けました。
日本の武具は強くて美しかった。
日本の軍人は強くて美しかった。
日本人は強くて美しい。
日本人を鼓舞する内容が濃厚で、率直なところ、私は見学していて心地良くなってきたのでした。
巷に言う「日本人であることを誇りに思う」なる気持ちが何をきっかけに刺激されるのか、勉強できた気がします。
館内に外国人観光客の方々が多かったのも、そうしたマジックの一端に触れたい一心ではなかったでしょうか。
神社仏閣の空間演出が参拝者の心に与える影響は絶大です。
伊勢神宮、出雲大社の頃から育まれてきた神道の知見が、近代に創建された靖国神社にも最大限に生かされているのですね。
新品価格 |