鹿の国、奈良。鹿を触る旅(1)。西大寺から平城宮跡を散策。ありがたい法華寺

先の週末、もう夏の気配が濃厚でした。

夏の気配が近づくと、私は活動が活発になってくるのです。

この折に、最近ご無沙汰の奈良県にも入県しておくべきだ、と思いました。

奈良まで日帰り旅であります。

大阪のお隣、奈良が大好きです。

 

大阪の近鉄難波駅から、まずは近鉄大和西大寺駅まで参ります。

大和西大寺駅で降車するのは私は今回が初めてです。

大和西大寺駅の近くには、駅名の由来になった西大寺というお寺があります。

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西大寺真言律宗の総本山なのですね。

真言律宗の有名なお寺には神奈川県の金沢の称名寺、鎌倉の極楽寺などがあります。

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西大寺奈良時代女性天皇、称徳(孝謙天皇の発願で建立されました。

平安時代に衰退するも、鎌倉時代の僧、叡尊(えいそん)によって復興されたということです。

その事跡により叡尊真言律宗中興の祖と称えられています。

境内を見学させてもらいましょう。

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西大寺というので、東の東大寺と対を成すお寺なのかと思い、そういう視点で境内を見ています。

ただそういう視点で見たところで、素人なのでよくわかりませんでした。

聖武天皇が建立した東大寺と、後に聖武天皇の娘君にあたる称徳天皇が建立した西大寺

創建された時代が違いますが、西大寺東大寺に合わせている感はありますな。

称徳天皇と言うと、河内国出身の弓削道鏡(ゆげのどうきょう)なる怪僧を重用したことでも知られています。

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本堂で御本尊を拝見するのは拝観料がかかりますので、外から拝むに留めました。

室町時代の戦火等で寺院の建築は失われ、現在残っているのは江戸時代以降に再建されたものだということです。

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かつて境内にあった東塔と西塔も失われました。

東塔の土台と礎石が残っています。

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蓮の花ってこんなに綺麗に咲くものなんですね。

何か心を奪われる気持ちでした。

 

西大寺のお参りの後、そのまま東に歩いて平城宮跡の見学に向かいます。

西暦710年に元明天皇によって南の飛鳥にあった藤原京から、平城京への遷都が行われました。

その跡地が西大寺からほど近い場所にあります。

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近いとは言え、西大寺から平城宮跡まで距離は2キロばかりも歩くのですが、道々に上のような案内があるので迷わずに済みました。

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平城宮跡は、だだっ広い場所でありました。

まずはかつての平城京の南の入口、朱雀門を目指して行きます。

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朱雀門の往時の姿が再現されてあります。

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朱雀門の下から、北の「第一次大極殿」の建物がある方を眺めました。

広大な平城京の跡地が保存され、敷地内では遺跡発掘、各種施設の再現等が行われております。

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敷地内を近鉄電車の線路が通り、西の大阪方面と東の奈良公園方面との間で列車が行き来します。

踏み切りを渡って第一次大極殿へ。

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往時の大極殿を再現した、このような広大な空間が広がっています。

ただ大極殿前で何か建設機械が設置されてあるのは見栄えがよくないですね。

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地面への舗装工事を行っているようですね。

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こうして順次、舗装が成されていくのでしょうね。

ただ土のままで、ところどころ雑草が生えているぐらいの方が歩いていて気持ちよくはあるのですが。

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復元された第一次大極殿です。

大極殿は朝廷の儀式が行われる場でした。

つまり儀式中、天皇がいらっしゃった場所です。

近づいて参ります。

それにしても舗装された地面は足の裏に固くて、長距離を歩くのはつらいですね。

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大極殿内部には各種の展示物があり、天皇の座も再現されていました。

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南はこうした眺めになっています。

画面右側の建物は工事資材の保管庫だそうで。

景観の完成はいつになるのでしょうね。

大極殿を出ます。

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この辺りは内裏、つまり天皇の御住まいがあった場所です。

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内裏の端だったであろう場所に、井戸跡でした。

この付近で宮廷の宴に供される料理などの、炊事が行われていたのでしょう。

ここが日本の中心だった頃には、朝廷に納められた日本全国の食材が集まっていたことと思います。

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さらに南には、かつての庭園を再現した場所も有ります。

この庭園内を散策した後いったん平城宮跡を出て、北の方角に民家の間を少し歩くと…。

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法華寺がありました。

聖武天皇の皇后、光明皇后が創建した寺院で、総国分尼寺、つまり全国にある国分尼寺の総本山にあたる寺院だということです。

稀有なお寺なんですね。

もともとこの場所には、光明皇后の父である藤原不比等(ふじわらのふひと)の屋敷があったそうです。

藤原不比等は、父の藤原鎌足(ふじわらかまたり)の跡を継いだ藤原氏の二代目当主でした。

内裏に近いこの場所に、不比等は邸宅を構えていたのですね。

彼は娘の光明皇后聖武天皇に嫁がせています。

そもそもが聖武天皇の母君である文武天皇夫人、藤原宮子(ふじわらのみやこ)が、不比等の長女なのでした。

光明皇后は関係としては姉の子、甥にあたる聖武天皇に嫁いだわけです。

婚姻を重ねることで藤原氏と皇室との関係を強めて行った、藤原不比等の方策が見えるようですね。

不比等没後、彼の邸宅跡を娘の光明皇后法華寺とした経緯にも、物語が秘められていそうです。

平成に入って光明宗という独立した宗派の寺院になりましたが、もとは長い間、西大寺と同じ真言律宗に属していたそうです。

西大寺とも繋がりがあったのですな。

西大寺創建の称徳天皇は、聖武天皇光明皇后との間に生まれた姫君でありました。

 

ちなみに法華寺の境内には、「カラブロ」と呼ばれる光明皇后が手ずから千人の垢を流したと伝わる大きな浴室があるそうで。

仏教に帰依し、病人の看護と貧者の救済に積極的だった、光明皇后の人柄をしのばせる史跡です。

カラブロの他に境内には名勝庭園もあります。

これらの見どころに興味を引かれながら、私は拝観料を惜しむばかりに門外から手を合わせるに留めました。

これでも御利益が受けられると幸いです。

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いったん近鉄新大宮駅に向かい、電車でひと駅、奈良駅で降りるつもりです。

奈良公園には鹿がいます。

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